「除染不要」と切り捨てられた伊達市の〝Cエリア〟~「心配過剰」「数秒通過するだけ」「税金の無駄」
伊達市は「Cエリア」を切り捨てた。そう印象づけさせる夜だった。「市内でも放射線量が低い」とされた「Cエリア」の宅地除染を巡り、市側と住民側で話し合いがもたれたが、議論は平行線。市側は除染に消極的な態度を変えず、果ては「心配過剰はかえって身体に悪い」と言い出す始末。福島第一原発事故直後は、市長コラムで放射線防護に意欲を示していた仁志田昇司市長(70)も、「恐れるばかりでなく、現実的な判断をしてもらうことを目標のひとつとしたい」と綴る。市民の不安に寄り添わない行政に、市民の不満は頂点に達している。
【どこへ行った?原発事故直後の情熱】
こんな文章がある。
「伊達市は原発地域から60kmも離れているので、当初放射能に対しては安全だと考えていましたが…残念ながら伊達市は『被曝』したのです」
「伊達市では災害対策本部会議等でいろいろ議論してきました。その結果、『被曝したことを認識し、その対策に全力を傾けるしかない』というのが結論で…最終的には放射性物質をすべて取り除く『除染』を実施する、としたところです」
「我々は、何とかして伊達市全体の除染に取り組み、安心して住める伊達市にしなければなりません。そのために何年かかろうとも、市民みんなで取り組んでいきましょう」
筆者は誰あろう、伊達市の仁志田市長。原発事故から4カ月後の2011年7月に発行された市広報紙。そこに掲載された「市長日誌」には、汚染除去と放射線防護への意気込みが綴られていた。タイトルは、すばり「被曝」。読んだ市民は、仁志田市長が子どもたちの被曝回避に積極的に取り組んでくれると期待したに違いない。しかし…。
市全体の70%を占める「Cエリア」(年間積算放射線量が5mSv以下と市が認定)の宅地除染は、「放射性物質をすべて取り除く」どころかホットスポット除染に転換。それも、地表真上で3μSv/hを実施基準に設定したため、多くの住宅が対象外となった。ある女性は昨夏、梁川地区にある実家に除染の順番が巡ってきたが、3μSv/hを上回った花壇を30㎝四方だけ除染したのみ。2.8μSv/hある個所は基準値以下であると断られたという。「何年かかろうとも」と綴った情熱はどこへやら。仁志田市政は除染に消極的で、かといって県外避難を促すこともしない。
阿武隈急行・大泉駅や保原総合公園近くに設置された看板は、道行く人々に「市長!公約違反ですよ!」「早くCエリア全面除染を」と訴える。同様の看板は続々と建てられている。仁志田市長が三回目の当選を果たしてから8カ月。市民がいよいよ立ち上がった。
保原総合公園近くに設置された抗議看板。「表面で3μSv/h」が基準のため、2.9μSv/hの放射線が確認できても、宅地除染は行わないのが伊達市の方針だ
【「10μSv/hでもただちに影響は出ない」】
9月19日夜、公民館の一室で、伊達市職員と市民が対峙した。市側から出席したのは、市放射能対策政策監の半澤隆宏氏やNPO法人放射線安全フォーラム理事の多田順一郎氏(市政アドバイザー)ら4人。住民側は8人が集まった。昨年から住民側が要望し続け、ようやく実現した。
住民から「Cエリアの除染について不安を抱いている」「過剰な心配であっても、子孫を守ることは大事だ」との声があがると、半澤氏は「1mSv/年はしきい値ではない。『ねばならない』ではない」と反論。「線源から舞い上がった放射性物質を吸い込むことによる健康への影響はないと評価している」、「どこまでも心配は尽きない。過剰に心配なさらないで。リスクは他にもある」「10μSv/hでもただちに影響は出ない。ホットスポットも、子どもが数秒通過するだけ」などと語った。
自治会長を務めているという男性が「Cエリアよりも放射線量の低い自治体も除染をしている」と問うと「やる必要はないと思う。他の市町村がやっているからといって、何でもやるわけにはいかない」と答えた。保原町に住む母親(41)が「わが家は0.6μSv/hもあるのに、なぜ除染をしてもらえないのか?Bエリアは0.5μSv/hでも除染してもらえたと聞く。ぜひ除染してもらいたい」と詰め寄ると、多田氏が「表面で3μSv/hを越えなければ1mSv/年にはならない。それに、そこに1年間寝ている人はいませんよ」と笑みを浮かべながら答えた。
多田氏は、昨年9月に発行された「だて復興・再生ニュース」の中で「Cエリアの放射線の強さは1時間に0.5μSv程度で、このレベルの自然放射線を受ける地方は世界中のあちこちにあり、人々は健康に暮らしています。ですからこのまま除染をしなくても、Cエリアでは健康に影響を及ぼさないでしょう」と書いている。母親の除染要望に耳を貸すはずがなかった。
この母親によると、自宅の放射線量は、もっとも高い時で雨どい直下で2.7μSv/h。庭の芝生は2.1μSv/hもあったという。すぐ隣に暮らす義父母の場合は、雨どい直下で6-8μSv/hもの数値が計測された。「教室へのエアコン設置など、いち早く放射線防護に取り組んでいると思っていたので、仁志田市長には期待していたんです。それなのにCエリアの除染は無くなってしまった。除染をして被曝の危険性を減らして欲しい、それだけなんです」と話す。
「不安は分かるが、それだけを言われても…」(半澤氏)、「癌が増えたのは、日本人が長生きするようになったからだ」(多田氏)と、住民の不安に寄り添う市政のかけらもない行政。半澤氏からは、こんな〝本音〟も飛び出した。
「市としての方針は固まっている。こちらの伝え方が悪いのかな。説明不足もあるかもしれないが、なぜそんな風に思っているのかな」
住民の不安など、全く理解していないのだ。
「Cエリアの除染を考える会」が開いた伊達市職員との話し合い。出席した職員からは「心配しすぎる方がよほど身体に悪い」との発言も=9/19、大田地区交流館
出席した主婦の自宅は昨年9月の測定で、雨どい直下で1.2μSv/h超。高さ1mでも0.6μSv/hを超す個所があったが、原発事故以来、除染は一度も行われていないという
【「原発作業員もガン増えていない」】
住民側がこだわっているのは、仁志田市長の言動だ。
市長コラムで放射線防護に意欲的な姿勢を打ち出していたうえに、今年1月に実施された市長選挙では、「フォローアップ」などという分かりにくい表現を用いながらも「Cエリアの除染」を公約として掲げていた。この夜も、出席した男性から「フォローアップとは具体的に何を言っているのか。さっぱり分からない」と質したが、明確な回答は無し。別の母親は「全面除染をするというから(Aエリアの)小国から(比較線量の低いCエリアの)梁川に転居した。市長選でも『Cエリアやります』と言っていたではないか。それで投票した人は多いはず。仁志田市長は嘘をついているのか」と涙ながらに訴えたが、半澤氏は「選挙前も後も変わらない。全面的にCエリアを除染するという公約ではなかった」とかわした。
最後まで除染に消極的な姿勢を崩さなかった市側。住民が多田氏に「以前、除染は税金でやるのだから少しは我慢しろという主旨の発言をしていたが、あなたにはずっと不信感を抱いている」と問うと、多田氏は「確かに言いました。今でも言っております。ただ、言い方は悪かった」と釈明した。だが一方で、「私は福島市内に畑を借りている。空間放射線量は0.35μSv/hほどあるが、収穫した野菜は孫にも食べさせている」とも。伊達市放射能相談センターの担当者も「心配が過剰。逆に身体に異常が出てしまうのではないかと心配している」、「マウスの実験でも放射線は身体に良いという報告はあるが、悪いという報告は出ていない。原発作業員を追跡調査をしても、癌は増えていない」などと話し、心配を抱いている住民の方が間違っているかのような言動に終始した。
住民の一人は言った。「住民の不安は、科学的数値だけで割り切れるものではない」。別の男性は「『放射能対策課』は、『除染をやらないようにする組織』と名称を変えた方が良いのではないか」と怒りをあらわにした。これにも、市側は「100人100通りの要望すべてには応えられない」と突っぱねた。
仁志田市長は「だて復興・再生ニュース」の最新号で、伊達市から青森県に避難し、再び戻ってきた母親を例に挙げ、次のように称賛している。
「避難はしたものの、その後、家族が離れ離れに暮らすのは子どもにとって良いことではないと考え直し、自宅に戻って除染をしたというのです…放射能から子どもを守るために、実に積極的に行動されている…」
「必死になって知識を集め、世の中にはいろいろのリスク(危険)があって、タバコの害や中国からのPM2.5問題など、考えるとキリがない。そうすると放射能もその一つであると思うようになったとのことです」
これでは部下が、住民の不安に寄り添うはずがない。
(鈴木博喜/文と写真)<t>