ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

ドイツ連邦議会、ポーランド大統領が出席して始まる

 9月10日、夏休み明けのドイツ連邦議会初日、最前列中央にガウク大統領、メルケル首相らと共にポーランドのコモロウスキ(Brosnilaw Komorowski)大統領の姿があった。

 1939年9月1日、ナチス・ドイツのポーランド侵略・第二次大戦勃発75周年を画し、ドイツ政府に招かれたためだ。

 

(一国の議会が初日に隣国の首脳を招いて始まる。東アジアでいつこの日が来ることかと考えてしまう)

 

 演壇に立った(といってもドイツ連邦議会には段差はないが)コモロスウキ大統領は冒頭、先の大戦で自分の家族も大勢のポーランド国民同様、”ナチス・ドイツの侵略・占領下で悲惨な体験を強いられた”こと、また”同時に東からソビエトの侵略を受けた歴史”から話し始めた。

(いかに親密な関係になっても歴史は直視する姿勢がヨーロッパ諸国の首脳には当然のこととなっている)

 

 しかし、その苦い歴史が両国の”相互努力によって民主的で和解と協力を推進する関係に発展”し、ヨーロッパの西側では”平和の配当を享受”していることを讃えていた。

 

 一方で、ウクライナ危機に視点を変え、東側では未だに国家主義的、武力による支配が続いていることを指摘し、ドイツの議員たちに警戒を促した。

(ナチス・ドイツ敗北後も、僅か25年前まで冷戦体制化ソビエトの支配下に置かれた経緯から、ポーランド人のロシア不信の念が極めて強い。EU加盟国内でも対ロシア強硬派でウクライナ危機でのロシア制裁の強化を主張している)

 

 その上で、ドイツ・ポーランド“両国が協力してこそヨーロッパの未来が確実なものになる”と改めて両国の結束を呼び掛けている。

 

 これに先立ってドイツ連邦議会のランメルト(Norbert Lammert)議長が、両国間の過酷な歴史を振り返り、第二次大戦とその後のポーランド国民が強いられた悲惨な歴史を経て、“両国がここまで和解できたのは奇跡のよう”だ、今や両国は単なる隣人だけではなく、共に信頼する友人になった、と両国民の努力を讃えた。

(ランメルト議長とコモロウスキ大統領は気心知れた旧知の仲)

 

 演説の後、ガウク大統領、メルケル首相らとコモロウスキ大統領は抱擁し言葉を交わすが、そこに固さはない。両国首脳が堅苦しい儀式ばった対応もなく自然体で相対する姿があった。

 ガウク大統領は9月1日、グダニスク(元ダンチヒ)で第二次大戦勃発75周年の式典に招かれ、コモロウスキ大統領と会ったばかりだ。

 次期EU大統領(欧州理事会議長)に就任するポーランドのトゥスク(Donald Franciszek Tusk)首相は今年夏、“ドイツはヨーロッパでもっと指導力を発揮すべき”とさえも言っている。

 ナチス・ドイツに侵略されたポーランド首相の言葉、ポーランド人が如何にドイツを信頼するに至ったかを象徴する言葉だった。

 

 第二次大戦の結果、スターリンによってドイツは東方領土4分の1程を失い、またポーランドも同じくらいの広さの東方領土を失っている。

(両国ともに、尖閣列島や北方領土問題どころの規模では無い犠牲を払っている)

 

 そしてドイツでは、1000万以上の国民が、またポーランドでも現ウクライナ西部とベラルーシ西部から先祖代々住んでいた故郷を大勢追放される厳しい歴史を直視しながら、明日を見据えた和解と協力関係の構築してきた。

 勿論、両国に歴史の事実をゆがめようとする動きは無い。

 

 ドイツ連邦議会初日のポーランド・コモロウスキ大統領演説は、こうした両国間の弛まぬ和解と友好・協調の努力の積み重ねの上に実現した。

 この日のドイツ連邦議会と、侵略を受けた国の首脳を招いくまでに至った戦後ドイツの努力の成果は、今なおマトモナ首脳会談さえ実現できない東アジアの現状を厭が負うにも考えさせる。

 

(大貫康雄)

By Photo: Andreas Praefcke (Own work (own photograph)) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) or CC-BY-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], via Wikimedia Commons