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戦犯英雄視は個人の基本的権利軽視と戦争責任追及の欠如

 今日本の総理大臣の任にある安倍晋三氏は昨年12月、靖国神社を訪問して、アメリカ政府までも憤激させた。

 と思ったら、4月高野山で行われた戦犯追悼法要に安倍氏が自民党総裁の名で哀悼の辞を送っていた、という。

 朝日新聞の特ダネで新聞テレビ各社も後追いで報道した。

 

 一国の内閣総理大臣の地位にある者が、憲法(政治と宗教の分離)を平然と無視し、歴史を直視しない行為を相変わらず繰り返す。その度に内外から不信の目を浴び、我々日本の国際的信用が下がる。懲りない人物である。

 

 安倍氏や氏に同感する人たちの言動には、「東京裁判」は”戦勝国側による一方的な断罪”など「戦犯は犠牲者・被害者」の意識が目立つ。

 

 一方で“あの戦争を誰が如何なる理由で始め、アジア各国への侵略を拡大したのか?”を問うことはしない。

 

 その果てにアジア大陸で推定2300万人以上、日本人だけでも210万人を超える犠牲者を出し、日本に壊滅的な敗北をもたらした。その責任は誰が負うのかも言わない。

 

 “原因と結果、その責任は誰にあるのか?”など根本的な視点が欠けている。

 

 また、あの戦争は全国民一般が投票できる普通選挙権も無く、自分で選んだこともない政府指導者たちによって、いわば勝手に引き起こされた。

 

 その過程で一方的に戦争に駆り出され、熱帯の密林や太平洋の真ん中で命を終えた大勢の兵士たち。地上戦に否応なく巻き込まれ犠牲になった沖縄の人たちや、広島、長崎、東京など国内で米軍の爆撃で死傷した人たち。

 こうした一般国民一人一人の基本的な権利と尊厳。

 安倍氏らの言動にこうした一般国民犠牲者への配慮は全く見られない。

 

 戦死者の意志も確認しないまま、戦死者を勝手に英霊と祭り上げ、そこに戦争を指導し、本来国民の追求を受けるべき者たちも一緒くたにして英雄視している。

 

 戦争を遂行した指導者たちによって日本全国大半の青・壮年男子が兵士として徴兵され戦後多くが帰ってこなかった。

 働き手を奪われた農村は疲弊、都市部では労働力不足を補うために若い女性が軍事工場などに駆り出され、爆撃の犠牲になった人も多い。

 こうした人たちこそ戦争の真の犠牲者でありながら戦後、補償金も支給されないまま放りだされた。

 

 戦後日本は国民の大半が戦争で人生を大きく狂わされながら必至で働き再建を担った。戦後の復興と今日の繁栄の功労者はこういう一般の人たちである。

 

 安倍氏のいう、A級戦犯たちがいたから今日の日本(の繁栄)がある、というのは虚妄である。戦犯は多くの人々の人命を軽視し、多くの人々の犠牲と破壊を齎しただけである。

 

 いまだに先の大戦を“聖戦”などと美化し戦犯を持ち上げる安倍氏たちは、こうした国民一人一人に対する配慮が余りにも欠如している、と言わざるを得ない。

 

 ドイツではニュルンベルク戦争法廷とは別に、紆余曲折を経ながらも戦後一貫して戦争責任を問い、政府関係者たちの戦争犯罪を調べ、人道に反する罪を犯した者を年月を経ても追求してきた。

 

 安倍氏たちの迷妄・暴言の背景には、残念ながら歴史の因果関係の検証と、結果について関係者の責任追及を行わずにきた我々日本社会の一人一人の落ち度がある。

 

(大貫康雄)

PHOTO by 『秘録 大東亜戦史 東京裁判篇』昭和28年11月30日発行、富士書苑 (http://www.tante2.com/tokyosaiban-tenno-d.htm) [Public domain], via Wikimedia Commons