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「自分の命は自分で決めさせて」~伊達市の19歳が語る「原発事故」と「被曝」と「避難」

 被曝の危険性があることは分かっている。原発の危険性も学んだ。でも今の生活も壊したくない―。福島県伊達市の予備校生(19)が、福島第一原発事故から3年余が経過した今の本音を語ってくれた。甲状腺検査の結果は「A2」。一方で、3年経ったことで生じる「大丈夫かも」という安心感。「自分の命のことは自分で決めたい」という彼女は、伊達市での生活を続けながら宇宙工学エンジニアの夢へ向かって歩く。

 

【恐れていた「地震・津波・原子力」】

 2011年3月11日。あの日は中学校の卒業式だった。

 帰宅し、自宅2階で家族とくつろいでいたところ、激しい揺れが始まった。テーブルの下で身を守るのが精一杯。窓ガラスが割れてしまってはいけないとカーテンは閉めたが、何もできなかった。落ちてきた湯呑みがお尻に当たる。気付いたら、室内は壊滅状態だった。

 断続的な余震のなか、父親と一緒に弟を迎えに行った。6歳年下の弟は当時、小学3年生。その弟が、父と姉に並んで歩き出した途端、泣きだした。怖かった。怖くて怖くて泣きたかった。でも、クラスの友達が泣かないように、しっかりと手を握って励ましていたのだった。

 横になれる状態でない自宅。真冬の福島。雪も降ってきた。寒さが身に沁みる。結局、使っていないビニールハウスで二晩を明かした。電気や水道といったライフラインは不通のまま。案じた母親が、福島市飯坂町の実家に子どもたちを預けた。ようやく充電ができた携帯電話には、真偽不明のチェーンメールが何通も届いていた。「テレビは全然観られなかった。ラジオも時々つけた程度。浜通りが大変なことになっているなんて分からなかった。ましてや原発が爆発したなんて…」。

 事態を知ったのは、弟とサッカーボールで遊んでいた時だった。「原発がヤバいらしい」とおばさんに声をかけられた。

 「よく『地震・雷・火事・親父』って言うじゃないですか。私、考えたんです。どれが本当に一番怖いかって。雷も、火事も被害を未然に防ぐことはできる。お父さんは怒ると怖いけど(笑)。でも、地震や津波、そして原子力は一番怖いですよ」

 その「怖い」事態が実際に起きてしまった。ほどなく、伊達市内の放射線量は20μSv/hを超えた。

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2年半ぶりに受けた県立福島医大の甲状腺検査。前回は「A2」判定だった

 

【早くに気付いた“安全推し”への疑問】

 小学生の頃から原発には関心があった。

 学校の教科書には、原発のメリットだけが記載されていたが「先生に恵まれました。きちんと原発のリスクも教えてくれたから」。当時、夏休みともなると、決まって福島市内で“安全PR”のためのイベントが開かれていた。毎年のように見に行ったが、鵜呑みにはしなかった。中学3年生の夏休み。宿題の一つに、新聞記事のまとめがあった。テーマを決め、関連する記事を集めてまとめる。テーマには「プルサーマル」を選んだ。再処理で回収されたウランとプルトニウムのリサイクル。本も読み、調べれば調べるほど、「安全性ばかり強調されている。“安全推し”はどうなのか」と疑問が生じたという。

 だから、自宅に戻ってから窓に目張りをし、父親から「そこまでやらなくても」と言われるほど防護に努めたのも必然だった。高校進学はⅠ期で決まっていたため、高線量下で強行された県立高校の合格発表を見に行くことはなかったが、それでも入学手続きが要る。合格した県立高校に行かなければならない。マスクやマフラーで肌の露出を抑え、帰宅後は入念に顔を洗った。それだけ気をつけていても、高校進学後の2012年1月に受けた甲状腺検査の結果は「A2」(5ミリ以下の結節や20ミリ以下ののう胞あり)だった。

 「将来、結婚して出産する時、子どもに悪影響が出ないか。心配ではあります」

 しかし、事故から3年余が経過した今も県外避難をしていない。大学進学が実現した後も、自宅から通うことを考えているという。なぜか。そこには、多くの福島県民が抱いていると思われる葛藤があった。

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阿武隈急行・保原駅前のモニタリングポスト。原発事故から3年以上が経過したが、放射線量は0.3μSv/hを上回る=伊達市保原町東野崎

 

【自分の命は自分で決めたい】

 「放射線は無色で目に見えないから、自分の身体へのリスクと結びついていないのかも…。それに、原発事故直後、伊達市も20μSv/hあった。それで今のところ自分には健康被害が出ていない。だから大丈夫なんじゃないかと思っているところもあるのかもしれません」

 この3年間、両親は自分のために様々な被曝回避に取り組んでくれた。経済的な理由や親の介護などから県外避難が難しいことも知っている。でも、ここまで両親がやってくれているのだから、他の家よりは安全ではないかと考えているという。1人暮らしへの不安や寂しさもある。

 少し考え込んだ後で、力を込めて彼女は言った。「目指していた高校に合格して、その先にやりたいことがある。避難をすることで、今の生活が壊れてしまうのが怖いんです。それに自分の命のこと。自分で決めてもいいじゃないですか」

 夢は宇宙工学のエンジニア。「探査機のエンジンを開発したい」と笑顔で語る。一昨年には、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の合宿型体験学習プログラムに参加。宇宙飛行士・山崎直子さんの話も聴いた。その夢に近づくため、東北大学工学部への入学を目指している。「でも、ダンサーの夢もあきらめたわけではないですよ。どちらも叶えたい」。今年の受験は体調を崩してしまったこともあり残念な結果に終わってしまったが、仙台市内の予備校に通いながら、来春の合格を狙う。

 「被曝や避難に対する考え方は白か黒かで二分できるものじゃないです。白に近いグレーも黒に近いグレーもある。もしかしたら他の色が混じるかもしれない。放射線を空気と同様にとらえている人も多いけど、リスクを減らそうと一生懸命に動いている人もいる。県外の人には、そういったことも分かってほしいな」

 約2年半ぶりに、福島県立医大の甲状腺検査を受けた。エコー検査を終え、「モニターの画面にはのう胞が映っていた」と振り返った。

 

(鈴木博喜)<t>