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【福島県知事選】「子どもたちのために何でもしたい」~避難・移住も支援すると話す五十嵐義隆氏

 福島県知事選(10月26日投開票)への出馬を表明している牧師で執筆家の五十嵐義隆さん(36)=いわき市=が22日、福島県庁で記者会見を開き、「涙が真珠に変わる場所 福島」と題した政策を発表した。「命をつなぐ福島」「家族をつなぐ福島」など7つのビジョンを提示した五十嵐さんは、「県外避難も移住も100%サポートしたい」と話し、わが子の被曝回避に努めるお母さんたちへの支援を約束した。震災後、愛娘を突然死で失っている五十嵐さん。「子どもたちの未来のためには何でもやりたい」と力強く語った。

 

【「原発がなくても電気は十分に確保できている」】

 答えは明快だった。

 「県外避難?もちろんアリです。個人的には寂しいですよ。でも、100%サポートします。もちろん、移住もです。僕の仲間も実際に2組、県外に避難しています。故郷を捨てたような、後ろめたい気持ちを抱きながら生活しています。娘の通う幼稚園でも、何組も県外に転居した。そういった人々の声も直結できるような県政を進めたいですね」

 「私は福島で子どもを産んで良かったと思っています」と言うように、個人的には放射性物質の拡散による被曝の危険性は認識していないという。「スピリチュアルケアという言葉があるが、社会的な心配、不安が病気を引き起こす。原爆が投下された広島も、必ずしも全員が癌になったわけではない。不安を煽ることで病気になるという側面もあるのです」とも。「被曝をどのように乗り越えていくか。マスコミの皆さんも、うまく表現して欲しい」と“注文”もつけた。

 それでも「南相馬市の帰路、飯館村や伊達市を通ったが、放射線量は高いですよね」「放射線量の高い所にどんどん住んでくださいとは言えない。住める所住めない所を調べて、生活再建を支援したい」。「不安に思っている人に寄り添って、最善の答えを見つけたい」と話した。

 原発政策に関しては「原発がなくても電気は十分に確保できている」とし「福島原発の廃炉を最短で処理する」と述べた。原子力基本法の条文を朗読し、「福島県民の痛みを無駄にしないためにも『民主・自主・公開』の三原則、原点に返る場所にするべきだ」とも話した。後援会に新潟県巻町の住民がいるとして「巻町はすごく勇気の要ることをした」と評価した。

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知事選挙の公約を発表した五十嵐義隆氏。被曝の不安を抱きながら生活するお母さんたちの声も届く県政を進めたいと語った=福島県庁

 

【「関連死は減らしたい」】

 1977年11月、新潟県三条市の生まれ。いわき市出身の妻と結婚し2010年3月、同市に転居。牧師の傍ら、執筆や講演活動を行っているという。2013年9月に実施されたいわき市長選挙に立候補したものの、3377票で落選した。得票数は3位の候補の1/10という惨敗だったが「軽はずみで立候補するわけではない。7年前から考えていたこと」と話した。

 「涙が真珠に変わる場所 福島」と題した政策は、7つの柱で構成されている。(1)命をつなぐ福島(2)家族をつなぐ福島(3)故郷をつなぐ福島(4)世界をつなぐ福島(5)未来をつなぐ福島(6)世代をつなぐ福島(7)希望をつなぐ福島。

 中でも「関連死はこれ以上、増えて欲しくない」と強調。「関連死が直接死を上回っている。状況が良くなっているのなら、自殺者も関連死も減っていくはずだ。もう、誰かがやってくれるという考え方では駄目なんです」と訴えた。当選した場合、退職金は放棄して子どもたちのために使うという。「復興予算消化のプロセスも透明化したい」とも話した。現職の佐藤雄平知事に関しては「僕はクリスチャンの端くれ。誰かを悪く言うことで選挙を闘いたくない」と明言を避けた。

 震災後の3年間を「自分たちの声、故郷を離れた人々の想いが届いているのだろうか」と振り返り、全員参加型の政治を目指すという。チェルノブイリを訪れた際、原発を半永久的に処理するためだけの雇用が継続している様子を目の当たりにしたとして「作業員の新しい雇用の場を確保したうえで、廃炉作業を最短で行えるよう、海外の英知も活用したい」と述べた。「福島のためなら応援する、という人は世界中に多いんです。中国、ブラジル、韓国でもそのような声を聴きました」とも話した。

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(左)JR常磐線・夜ノ森駅近くでは依然として2μSv/hを超す
(右)郡山市・開成山公園近くの幹線道路は0.3μSv/h超。子どもたちの被曝回避も県知事選挙の大きな争点となる

 

【愛娘失って初めて知った痛み】

 実は震災直後の2011年5月、次女を突然死で失った。

 「それまで、津波で家族を失った人の気持ちをボランティア活動を通じて分かったつもりでいました。でも、自分が実際にその立場になってみて、誰の気持ちも分かっていなかったんだと思いました」

 政策発表をこの日に選んだのも、週明けから始まる二学期を意識したという。「普通の営みが大事にされる政治が行われるべきですよね」。

自分と同じ世代に対しては「子育て世代が興味ないと言っていないで欲しい。『じいちゃんばあちゃんが原発を持ってきた』なんて言わないで欲しい」と積極的な政治参加を求めた。

 「どこの政党の推薦も受けていない。右翼でも左翼でも無い。どちらかと言えば真ん中」と話す。「子どもたちの未来のために実行すると、それが翼となって福島は羽ばたく」とも。「原子力の日」に実施される今回の選挙は、本当に未来を変える選挙になる」と力をこめた。

 

(鈴木博喜/文と写真)<t>