今イラクで起こっている情況
中東で赤いバラといえばイラクの国花だ。花言葉はご存じのように「愛情」。しかしイラクでは愛情よりも憎しみが何倍も膨れ上がって戦闘が激化している。その中心人物がアブ・バクル・アル・バグダディ。相手の首を切り落としたりする残虐なイスラム過激派武装集団「イラクとシリアのイスラム国家(ISIS)」の最高指導者である。
謎に包まれた人物だが7月初めにイラク第2の都市モスルにあるモスク(イスラム教礼拝所)で彼と思われる男がジハード(聖戦)を説くビデオが同組織の関連ウェブサイトで公開され世界の注目を集めた。21分間のビデオの中では、頭を黒のターバンで巻きローブを身にまとった男は「中東からヨーロッパに広がるイスラム国家樹立」を呼びかけている。まさに第2のオサマ・ビンラディンといっても過言ではない危険人物なのだ。
といっても中東情勢は日本では馴染みが薄い。これまでのイラク情勢をごく簡単におさらいしておこう。イラクは中東・西アジアにある人口約3300万人の共和国。首都は『千夜一夜物語』の舞台となったバグダッドである。中東有数の産油国だ。
英国の委任統治から独立後、紆余曲折を経て1979年にサダム・フセインが大統領に就任し、1990年には収入源である石油をめぐるトラブルなどから隣国クウェートに軍事侵攻した。しかし米国を中心とした多国籍軍の攻撃を受けてあっけなく敗北。フセインは死刑に処され暫定政権が成立した。これで一件落着と思いきや、秩序を保っていた米軍が完全撤退すると再び国際テロ組織の草刈り場に逆戻りしてしまった。
そこに登場したのが国際テロ組織アルカイダから派生したISISだ。今やモスルなど北西部各地を制圧して首都バグダッドに迫る勢いである。モスルではわずか1500人のISISによる攻撃に3万人のイラク政府軍が軍服を脱ぎ捨てて逃げ回ったというから、組織化された勇猛な集団であることが分かる。
アルカイダとイラク攻撃に何兆ドルという戦費を投入し、4500人もの米兵が命を落とした米国にしてみれば、まさに大失態。何のために巨額の税金を投じ多くの犠牲を払ったのかと内外からオバマ政権に対する批判の声があがっている。2011年にテロ指導者のオサマ・ビンラディンを殺害し、同年末にイラクから米軍撤退を完了したオバマ大統領は上機嫌だった。それが瞬く間に状況が逆転してしまったわけである。
米国務省はバグダディの拘束に繋がる有益な情報に対して1000万ドルの報奨金を支払うと発表した。しかしノーベル平和賞受賞者のオバマ大統領に再び地上戦闘部隊を送り込む勇気はない。当事者であるイラクのマリキ首相は国軍と警察の幹部を解任したが焼け石に水。そもそもマリキ政権がスンニ派を排除し自分の宗派であるシーア派に権力を集中させたことがテロ勢力拡大の一因となっているのだ。
シーア派とスンニ派は同じイスラム教の2大宗派だが勢力争いが絶えず、それを国際テロ組織が巧みに利用しているのが現在のイラク情勢の構図だ。本来であればマリキ政権がシーア派、スンニ派、そしてもうひとつの勢力であるクルド人の融和を図るのが事態解決への道筋のはずなのだが、マリキは相変わらず同首相はシーア派の利益を守ることしか考えていない。米国は裏でイランと協力して「マリキおろし」を画策している模様だ。
しかしその後のシナリオが見えてこない。これ以上国際テロ組織が勢力を拡大することはイラクにとっても国際社会にとっても望ましいことではないが、イラクの赤いバラは残念ながら流血の色のままだ。
(蟹瀬誠一)<t>
写真:蟹瀬誠一コラム「世界の風を感じて」より