「無駄な除染せず生活再建支援を!」~〝帰らない宣言〟まとめた大熊町野上1区の木幡仁区長
国と行政による「帰還政策」が激しくなるなか、福島県双葉郡大熊町から避難している住民らが「帰らない宣言」を発表した。
20-30μSv/hもの放射線量が珍しくない町内の除染は無駄だと指摘。新しい土地での生活再建支援を求めている。帰りたいけど帰らない。
苦渋の宣言文をとりまとめた野上1区の木幡仁区長(63)に、住民たちの想いを聴いた。
【宣言文に住民からの異論ゼロ】
「私達、野上1区住民は、中間貯蔵施設の建設に際して、帰らないということを宣言します」
6月上旬、大熊町野上1区の住民たちの避難先に、一枚の宣言文が届いた。
「無駄な除染はやってくれるなということですよ。一向にはかどらないではないですか。放射線は、遠くから自然減衰を見守るのが一番です。そんなことに税金を使うのなら、新しい土地で新しい生活を始めることを支援して欲しい」
会津若松市内の仮設住宅。集会所で木幡区長は静かに語った。
「もし異論や意見があれば」と、提案理由に自身の携帯電話番号を記したが、約60世帯の住民から反対意見はなかった。逆に「木幡さん、どうぞ頑張ってください」と激励の電話があったという。
「誰だって逃げたくないですよ。帰還したいですよ。でも帰らない。それはただ一点、放射能です。今こそ危険を煽らないでどうするんですか。将来、子や孫に言われたくないですよ。何であの時騒いでくれなかったんだって」
自宅周辺は4-5μSv/h。杉林のある裏手では20-30μSv/hと依然として高濃度汚染が解消されていない。かつて湿疹などできたことのなかった妻が、ここ1年ほど湿疹に悩まされている。近所の男の子も似たような症状が出ている。鼻血を出したケースも実際にあった。
「鼻血と湿疹は、いろいろな場所で耳にします。もう3年と言う人がいますが、まだ3年ですよ。チェルノブイリでは原発事故から数年経って甲状腺異常が出始めた。これからですよ。私たち大熊町民の前には低線量被曝がぶら下がっているのです。心配し過ぎくらいがちょうど良い」
「帰らない宣言」をした、大熊町野上1区長の木幡仁さん。住民から異論はなく、逆に「頑張って」と激励の電話があったという=会津若松市一箕町松長
【「金目発言」に怒る地権者たち】
双葉高校に通っていた頃、「東電がここに来る」と原発の建設予定地を見学した。
「雇用や交付金、町が〝原発景気〟で潤ったのは事実です。しかし、本来は首都圏のための原発は東京湾に建設するべきだったんです」。 札束で原発政策を推し進めてきた国が、今度は住民たちを愚弄する発言をした。石原伸晃環境相の「最後は金目でしょ?」発言だ。
「そりゃ、強いて言えば金目ですよ。ふるさとを原発事故で汚染地にされ、強制的に追い出されたんです。そうしたら、『土地をいくらで買ってくれるのか』となるのは当然じゃないですか」
JAふたばの役員も務めており、地権者と話をする機会が多い。国との話し合いを経て、地権者たちが「中間貯蔵施設の建設もやむを得ない」と徐々に軟化していく様子を見守ってきた。その矢先の「金目発言」。地権者たちの態度は一気に硬化したという。
「汚染物質は出した所におさめるしかないだろうと思います。中通りの方々が、除染で生じた汚染土を大熊町に持って行けという気持ちも分かる。でもね、あの発言で地権者たちは『もう土地を貸さない』と言っていますよ。人を馬鹿にするな、と言いたいね」。
そもそも、国の条件提示に不満はあった。水面下でささやかれる金額は、土地一反歩(300坪)当たり120-130万円。実勢価格の倍ほどの金額だが、他の公共事業と比べると格段に安い単価だと知り「完全に棄民政策に乗っかっている」と怒る。
「ダムや高速道路の建設などで土地を追われる人々が得る金は、その5-6倍だと聞きます。なぜ私達だけ安く買い叩かれなければならないのか。正式に金額が提示されたら、地権者はプッツンしますよ」
「やすらぎの郷 会津村」には、大熊町の復興を願い<祈願桜>が植えられた=会津若松市河東町
【帰りたい、だけど帰らない】
大熊町では、東電への就職はステータスシンボルだった。
結婚式で新郎の東電入社を自慢する光景がどこでも見られた。それが3.11以後、一変したという。
「かつては『東電さまさま』。今は『東電のせいで』。社員は身を細くして生きていますよ。悪いのは現場の社員じゃない。上部構造がいかれているんだ。原発周辺で働くこと自体が危険なのに…」
被曝の危険性は、町内だけにとどまらない。郡山市内に住む甥っ子は大学進学を機に京都へ移り住んだが、甲状腺に無数ののう胞が見つかった。放射線から遠ざかったのは良かったが「一度、損傷してしまったDNAは修復されない」と表情を曇らせる。
7月3日、町役場に提出した宣言文には、「年間1ミリシーベルトにはほど遠い値」「家は荒れ放題、田畑は雑草や雑木が生い茂り、もはや復旧が困難」「安心して住めるのにはあと何年かかるかわかりません」などと、住民たちの本音が並ぶ。
一方で木幡さんは、別添の提案理由に「もちろん墓参にも行くことができるし、家の様子を見に行くこともできます」という一文を加えた。
帰りたい。だけど帰らない。
4年目の苦渋の選択が込められた「帰らない宣言」なのだ。
(鈴木博喜)<t>