ヒトラー暗殺未遂で処刑された将校は人間の尊厳の英雄、ベルリンで祈念式典
第二次大戦末期の1944年7月、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Klaus von Stauffenberg)大佐ら4人のドイツ軍将校がヒトラー暗殺未遂で即刻処刑された事件。この事件は日本でもトム・クルーズ主演の映画「ワルキューレ」(2008年制作)を通して知る人も多いだろう。
ベルリンのドイツ国防省では7月20日、ガウク大統領らが出席して大佐らを人間の尊厳のために闘った英雄として祈念する70年目の式典が行われた。
大佐らは今でこそ“社会の不正(ナチス独裁)に抵抗し、人間の尊厳のために闘った英雄”と讃えられるが、終戦直後は大多数のドイツ人から国家反逆者と見られていた。
社会正義の英雄と讃えられるまでには、ナチズムの克服、民主主義と個々人の基本的人権・尊厳の価値を説く政治指導者や知識人たちの国民に対する一貫した働きかけ、努力があった。
これが、今なお第二次大戦を自衛のための戦争などと美化し、過去に逆行しようとする動きが強い日本と、誤った過去は繰り返さないとの意志が圧倒的多数のドイツとの戦後の軌跡の大きな相違点である。
70周年式典には7月1日採用されたばかりの連邦軍兵士430人らを前にガウク(Joachim Gauk)大統領が、“フォン・シュタウフェンベルク大佐らの行動は「民主主義の価値観のために立ちあがる勇気の重要さ」を我々ドイツ人に想い起させる。(ナチス独裁の)社会不正に抵抗し、人間の尊厳のために闘った真の模範だった”などと述べた。
大統領はまた、“不正、基本的権利の侵害に立ちあがる価値と、何もしないでいる罪”、“不正に対し声を上げる勇気と、黙っている無責任”(筆者意訳)などについても語った。
ドイツ連邦軍の新規採用兵士の宣誓式はこの式典の一つとして行われ、今年は6人の男女兵士が“(民主憲法で成立する)ドイツ連邦共和国に誠意を持って奉仕し、ドイツの人々の正義と自由を、勇気を持って守る”などと宣誓した。
この日ドイツではまた宗教界の指導者の演説がテレビ中継され、“命をかけてナチスと闘った人たちの栄誉を讃えることの意義、重要性”を訴えている。
ベルリンのドイツ抵抗記念センターでは大佐らの業績を振り返る展示会も始まった。
大佐らのヒトラー暗殺未遂事件では4人の将校だけでなく、“陰謀に関わった”として200人が強制収容所に送られて処刑されている。
フォン・シュタウフェンベルク大佐らは、今でこそ人間の尊厳のために命をかけて闘った英雄とされているが、敗戦直後は圧倒的多数のドイツ人が大佐らを(ナチス)国家反逆者、裏切り者、と信じていた。
戦後西ドイツのアデナウアー(Konrad Adenauer)初代首相は、“ドイツ社会はナチズムに汚染されており、“泥水の上の薄墨のような僅かな水を少しずつ飲むようなものだった”(筆者意訳)などと語っている。
その位、圧倒的多数のドイツ人がナチズムに洗脳されていたと言える。
戦後ドイツの知識人や指導者たちはそんな環境を一変する努力を続けた。
事件から10年の54年、テオドール・ホイス(Theodor Huess)初代西ドイツ大統領は、フォン・シュタウフェンベルク大佐らナチスに服従を拒否した人たちの歴史的意義を公式に表す最初の式典を実施、大佐らの業績を讃える何百枚もの印刷物を国民に配布し、翌55年、冷戦の悪化に伴いアメリカなど西側諸国の働きかけを受け、連邦議会の承認を受けNATO指揮下で行動する連邦軍が結成された。
連邦軍は、上官の命令に服従する以上に兵士自身の良心に従った兵士たちの“良き伝統”を維持するよう一貫して教えている。
64年の20周年式典では当時のユング(Franz Josef Jung)国防相が、“軍の命令以上に大切なのは、人一人の侵害が許されない尊厳を守ることこそ連邦軍兵士の任務“と挨拶している。
90年にはヘルツォーク(Roman Herzog)憲法裁判所長官(後94~99年大統領)も国民に“臆病”の罪を説き、独裁や全体主義に対する一般の普通の人びとが何もせず、無関心を装うことの無責任を戒めている。
また事件に関係した生存者たちは、“ドイツ人の名で非人道的な犯罪が行われるのが恥ずかしく耐えられなかった“と抵抗に立ちあがった経緯などと語る活動も続けた。
DWによると、ドイツのアレンスバッハ(Allensbach)世論調査研究所の1951年の世論調査では、ナチスに抵抗した人たちを好意的に評価した割合は僅か3分の1だった。
また56年の調査では、過半数の人たちが学校にフォン・シュタウフェンベルク大佐の名前を冠するのに反対している。
この社会的背景を克服する知識人や政治指導者たちの努力が実ったのは、やはり再統一の後であった。(旧東独も体制の反逆者は評価しなかった)
2002年の式典にはナチスドイツの侵略・占領の過酷な歴史を持つポーランドのクワスニフスキ(Aleksander Kwasniewski)大統領も出席し、真の愛郷心と勇気を持ち平和に貢献する、と連邦軍を讃えている。
“戦後世界で最も成功した民主主義国”(90年当時の英ハード(Douglas Hurd)外相ら)と評価されるドイツだが、そこに至るまでには、こうした知識人や政治指導者たちの長く粘り強い努力があった。
(大貫康雄)
PHOTO:Bundesarchiv, Bild 146-1972-025-10 / CC-BY-SA [CC-BY-SA-3.0-de (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/de/deed.en)], via Wikimedia Commons