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歴史の克服を困難にするナショナリズム

 サラエヴォ事件百年に当たる6月28日前後、サラエヴォをはじめヨーロッパ各地で多民族共存と発展を祈念する行事が繰り広げられた。しかしサラエヴォでのEU主催の式典にはセルビア人地域の大統領らが式典参加を拒否、一方でセルビア人地域やセルビア本国では“暗殺者を英雄視”する銅像が建てられるなど、今なおボスニア・ヘルツェゴヴィナでは民族分断と“ナショナリズムが歴史の克服を困難”にしていることを象徴している。
 
 事件から百年を機会にサラエヴォでは暗殺事件当時のヨーロッパやバルカン情勢から今日までの歴史的経緯を紹介する博物館が開設された。博物館の建物は92年から95年にかけてのボスニア内戦中セルビア人勢力によって破壊された後、修復された。
 通りに面する博物館の壁には暗殺者のガヴリロ・プリンツィプGavrilo Principと暗殺されたオーストリア・ハンガリー帝国皇太子のフェルディナント大公Archduke Franz Ferdinandの肖像画が並行して描かれ、“20世紀が始まった街角“と記されている。
 
 6月28日はサラエヴォ中心部でEU主催の和解と協調の式典が開かれ、オーストリアのフィッシャー大統領らが独仏政府代表らと共に出席し、ウィーン・フィルが関係各民族の伝統音楽を演奏し諸民族の共存を謳った。
 ウィーン・フィル指揮者ヴェルザー・メスト(Welser-Moest)氏は、“歴史の重みを負い、悲劇が二度と繰り返されてはならない”、と呼びかけるためにサラエヴォに来た、と語っている
 
 しかし今なおナショナリズムが強く蔓延するセルビアのヴチッチAleksander Vucic首相やボスニアのセルビア人地域政府のドジクMilorad Dodik首相らは欠席した。代わりにセルビアのベオグラードや、サラエヴォの東方ボスニアのセルビア人地域ではプリンツィプを自由の戦士と讃える銅像を建立している。
 
 ヨーロッパ各国が“プリンツィプを暗殺者”、“非情なテロリスト”と呼ぶのに真っ向から反対しセルビア人社会では、プリンツィプは“大セルビア実現を目指した民族の英雄”、“セルビア民族解放の戦士”とされている。
 
 自分たちはオーストリア=ハンガリー帝国支配の被害者だという意識とそれに伴うナショナリズムが強いセルビア人社会。ここではプリンツィプは基本的に民族の英雄で、積極的な評価が続く。
 第一次大戦後成立したセルビア人優位の所謂南スラブ連合王国でもプリンツィプはクロアチア人やムスリム人も含めた“バルカンの全てのスラブ民族をオーストリア・ハンガリー帝国から解放した英雄”とされた。
 
 しかし、スロヴェニア人とムスリム人は、プリンツィプを“セルビア人至上主義の推進者”とか、“セルビア正教支配の推進者”と見てセルビア人の見方と対立している。民族間の対立を抑え込んで統一を保ってきた旧ユーゴスラビアでもプリンツィプは“セルビア国家主義者”と否定的な烙印を押されている。
 
 20年前のボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦でサラエヴォはセルビア人勢力に長期間包囲され、毎日多くの市民が狙撃された。各地でムスリム人が集団虐殺されたり、女性が集団レイプされたことが生々しい記憶として残り、ムスリム人やクロアチア人のセルビア人への嫌悪感は依然として強い。
 
(またセルビア支配から独立したコソヴォのアルバニア系住民の多くはセルビア人による弾圧はプリンツィプが銃弾を放った当時のセルビア拡張主義と同根だ、とも考えている)
 
 3つの民族が入り乱れて血を流しあったボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦はデイトン合意で漸く終止符を打ち、当面の緊急的措置としてボスニアが民族の集落毎に細かく60の自治組織に分けられた。
 しかし、その後細かい分断が固定化して、それぞれに地域で党派間の対立と腐敗政治が続きボスニアの多くの国民の生活向上を阻んでいる。
 
 小さい地域での分断の固定化は新たな民族対立を引き起こしかねない。最近も内戦でのムスリム人犠牲者の墓地が荒らされ墓名が削られる事件が起きている。
 
 EUはナショナリズムの克服には政治の民主化、一方的歴史観の克服が必要と考え、民族対立の解消を前提にバルカンでは民主化を進めた先ずスロヴェニアの加盟を認め、次いでクロアチアの加盟を認めた。
 
 今も被害者意識とナショナリズムが強く、ロシアに強い同胞感情を持ってきたセルビアまでが近い将来のEU加盟の話し合いを始めるなど準備を急いでいる。分断が続くボスニアもようやくEU加盟に向け民族分断と対立と、政治の腐敗を克服すべく3つの民族の間で協議が始まった。
 
 ワールドカップ・サッカーで3つの民族でなるボスニア・ヘルツェゴヴィナのチームが決勝トーナメントにまで残り国民を熱狂させていると言われる。分断と対立が続く国では3民族の貴重な共同作業だ。
 
 プリンツィプの亡霊を克服する日が近いことを祈らんばかりだ。
 
(大貫康雄)
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