都議会議員の差別発言は、単なる野次ではなく暴言だ。
東京都議会で質問中の塩村文夏議員に対する自民党議員席からの女性蔑視の暴言。イギリスのガーディアン紙は、単なる「野次(heckle)」との表現を使わず、「性差別的(sexist)」、「暴言・悪態(abuse)」と報じ厳しく批判している。
一部日本のマスコミも、流石にこの事件を問題視する報道をしているが、中には「野次は議会の華?」など凡そ的外れな記事もある。問題の本質をより正確に伝えるため、これを機にマスコミも、言葉の意味を厳密に使うよう心がけるべきだろう。
この事件では、最初に暴言を吐いた自民党の鈴木章活議員が5日後に発言を認め、塩村議員に謝罪した。
事件発生からの流れを見る限りの印象だが、報道陣に対し鈴木議員は当初自分では無いと否定し、どんな内容だったか記憶していないような発言をして恍(とぼ)けていた。
追求されるにつれ対応が二転三転。出来れば逃げ切りたかった。普段“愛国的?”と自認するような言動で知られる鈴木議員だが、潔さは何処にも無かった。
この事件で筆者は、所謂ソーシャルネット・メディアが世論に訴え、鈴木議員を謝罪まで追い込んだと見ている。
インターネットやツイッターを見ていると、日に日に批判が増大したのが判る。
Change.orgは、自民党東京都連に対し、暴言議員を特定し厳しい処分を要求する署名が、僅か4日間だけで9万人も集まったという。
マスコミもChange.orgなどの活動を見て報じるなどした。こうした展開を見て鈴木議員(と自民党都連)が“逃げ切れないと思ったので謝罪に追い込まれた”、と見るのが自然だろう。
事件は鈴木議員だけで終わらせてはいけない。暴言時の映像を見る限り、鈴木議員の声以外にも似たような暴言が複数聞こえている。彼らにも責任を自覚して貰う必要がある。
また議場の相当多くの議員が笑った声も録音されており、多くの議員がこの暴言の重大性を認識していなかったことが窺える。舛添要一知事も笑っていた印象を受ける。
そんな議会の雰囲気に慢心したのか、都自民党は当初問題を軽視しようだ。しかし世論の批判が高まり、自民党本部も頬かむりは出来ないと動き出したのを見て、対応を模索し始めたようだ。
そして海外メディアが批判的に取り上げるなど波紋が大きくなるにつれ、漸く最初に暴言を吐いた鈴木議員が名乗り出、更に自民党を離脱し無所属になったことで事の収束を図ろうとしたかのようだ。
問題は終わっていない。
塩村議員個人に謝罪するだけでは済まない。様々な差別の環境下で働く女性、働いても貧困生活を強いられ将来への展望が持てない女性たち全体へ差別的暴言である以上、社会に対して謝罪するべきだ。
また“自民党を離脱するのは個人的、自民党内部の話”であって、有権者には直接関係ない。鈴木議員は自身がより明確な責任を取るべきだろう。
繰り返すが自民党は他の暴言議員に対しても、名乗り出ないのであれば調査・特定し処分をするべきだろう。
自民党都議会の幹事長は、暴言を「聞いていない」などと言うが、それでは議会審議を真剣に聴いていなかったのだろうか?!
また、自民党に限らず都議会全体として当初これらの暴言に笑って応じたのを恥と思い、弱者への支援政策を審議し、差別の撤廃に努力するべきである。
都議会だけではない。何人もの地方議会議員が自分のブログで詳細に報告しているのを読むと、他の地方議会でも聞くに堪えない暴言をする議員がいる。しかしこれまでの処、処罰を受け辞職したという話は聞いていない。
地方議会だけではない。日本社会全体で考えるべき問題だ。
日本では、差別的暴言を吐きながら、与党議員というだけで免罪符を与えられる政治が蔓延している。
都議会の暴言事件の直前、国会では石原環境相が「最後はカネ目でしょう」などと、原発被災地の人たちへの理解も共感もない差別的暴言をした事件でも、圧倒的多数の与党が衆議院では不信任決議を否決、参議院では問責決議を否決する。
安倍自民党は、石原環境相は福島県を訪れ謝罪の儀礼をしただけで一件落着させるようだ。石原環境相は以前にも、福島第一原発“サティアン”発言があったが具体的な処分は無い。
石原環境相だけではないのは読者が先刻承知の通り。国会議員の矜持も見識も、一体どこに行ったのか、と思うほどの暴言のし放題である。
都議会での鈴木議員の暴言事件と石原環境相らの暴言の根は同じだと考えられる。
アメリカでは政界ではなくNBAプロ・バスケットボール・リーグで最近、黒人差別発言で処分を受けたオーナーがいた。NBAはあくまでもプロ・バスケットボール興業業者の集まりで、営利集団であって所謂公的団体ではない。
しかし処分はNBAから永久追放、日本年にして罰金2億5千万円の処分を受け、オーナーは自分のチームの売却を余儀なくされた。何と言っても世論が差別を許さないからだ。
「綸言汗のごとし」は公職にある者だけではない。これを機会に報道する者も言葉の持つ意味をきちんと捉え、差別(的暴言)に関しては安易な報道を避け、厳しく追求する報道に努めるべきだろう。
そして何と言っても先ず我々が自らの言動を日々顧みると共に、政治家の言動、マスコミの報道を監視して行く目と習慣を養うべきだろう。
(大貫康雄)
写真:東京都議会HPより 平成26年第2回定例会 開会【都議会 議場】