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香港中心部占拠運動で軍導入-天安門事件に次いで、香港で流血の惨事も-強まる香港の対中不満

 香港政府の次期トップを選ぶ2017年の行政長官選をめぐり、直接投票による普通選挙制度の導入を求める香港の民主派による民間の市民投票が22日、市内15カ所の投票所で始まり、すでに70万人が投票した。香港の人口は約700万人なので、すでに1割の市民が投票に参加したことになる。
 今回の市民投票は、民主派が求めている普通選挙の3つの実施案と、「棄権」の計4項目の中から1つを選ぶ方式。中国政府案に反対している民意をアピールする側面が強い。投票は29日まで続けられる。
 中国政府は、親中派候補以外は事実上、立候補できない制度で香港の民主派を押さえ込む意向だが、香港では現在、『セントラル地区占拠運動』という民主派団体が1万人程度の活動家によって、香港政府や金融機関などが集中する香港中心部の官庁・ビジネス街で座り込みを行うという運動を計画している。香港の都市機能を麻痺させることで、香港民衆は完全で民主的な自由選挙システム導入を望んでいることを明確に示し、北京の中央政府に圧力をかけ、香港の民主化を実現しようというのだ。早ければ、返還17周年記念日に当たる7月1日にも開始する予定だ。
 このようななか、香港では6月6日夕、セントラル地区占拠を思わせる事件が発生した。同日午後5時半ごろ、香港中心部セントラル地区にある立法会(国会に相当)に50人の市民が突入し、地下1階の議場前で座り込みを開始したのだ。支援の市民らも加わり座り込み参加者は100人以上になった。
「香港政府は恥を知れ!」「中国人は香港から出て行け!大陸に帰れ!」などとの怒号が飛び交うなか、警官隊が出動し警棒でデモ参加者を殴打する。デモ隊側も必死の抵抗を試み、両者が激突し多数の負傷者が病院に運ばれる流血の事態になった。
 香港滞在中だった筆者はテレビニュースで事件を知り、すぐに現場に駆けつけた。筆者のように、ニュースで事件を知った300人あまりの市民らが立法会周辺に集まり、警官隊とにらみ合った。救急車のサイレンの音がけたたましく鳴り響くなか、多くの野次馬も押し寄せるなど、異様な雰囲気が辺りを包んだ。一時は「一触即発の事態は不可避」と思われたが、結局、デモ隊側が7日未明、自主的に撤退を決め、さらなる流血の事態は繰り返されなかった。
 このデモ隊は主に香港東北部・新界地区における香港・中国大陸間の高速鉄道建設予定地の住民らだ。この日、立法会では高速鉄道の建設予算に関する委員会が開かれており、鉄道建設が決まれば、彼らは農地を手放さなければならなくなる。折りから、台湾では3月から4月にかけて、学生らが立法院(国会に相当)の議場を占拠するという「ひまわり学生運動」が大成功を収めたことから、彼らも香港での議会占拠を試みたのだ。

 ただ、台湾で成功したからといって、香港の農民が「立法会占拠」という、まかり間違えば逮捕されてしまう〝犯罪行為〟を思いつき、それを安直に実行に移してしまうというのは、どう考えても現実性を欠く。
 香港の親中左派勢力である「民主建設協進聯盟」の立法議員(国会議員に相当)は匿名を条件に、「彼らのバックには台湾のひまわり運動関係者と交流がある民主派勢力がついている。今回の騒動は来月1日の香港返還17周年記念日に予定されている『セントラル地区占拠運動』の予行演習と言ってもよいだろう」と指摘する。
 「セントラル地区占拠運動」とは香港中心部の官庁・金融・ビジネス街である「中環(セントラル)地区」を1万人程度の市民で埋め尽くして、香港の行政や金融機能を麻痺させることだ。これによって、香港では3年後に迫っている2017年、香港のトップである行政長官の選挙に一般市民も立候補でき、議会選挙でも完全で民主的な自由選挙システムを導入するという民意をはっきりさせ、北京の中央政府に圧力をかけ、香港の民主化を実現しようという奇抜なアイデアだ。
 
 これを発案したのが香港の名門、香港大学の戴耀廷・副教授で、一昨年1月に「愛と平和によるセントラル占領運動」として公表。瞬く間にメディアの注目の的となり、急速に市民の支持を集めている。
 香港最大の民主派団体「香港市民愛国民主運動支援聯合会」(支聯会)も戴氏の運動に支持を表明。支聯会は6月4日、ビクトリア公園での天安門事件25周年の追悼集会を主催し、18万人の市民を結集しただけに、「両者が協力すれば、セントラル地区を市民で埋め尽くすのはたやすいのではないか」(香港の外交筋)との見方も出ている。
香港の6・4記念館(香港の6・4記念館)

 香港特別行政区政府の内部予測によると、運動参加者が2000人だけでも、セントラル地区の公共鉄道(MTR)の出入り口や主要道路をふさぐことができ、香港の行政・金融機能は麻痺し深刻な影響をもたらす。さらに、立法会庁舎は四方八方から出入りできるため、警備は極めて難しく、市民らが数百人でも押し寄せれば、すぐに内部に入り込め、占拠は容易だと分析。
 また、香港政府ビルや香港上海銀行、多数の外国銀行や企業の本社機能が集中するセントラル地区占拠が長期化すれば、治安が不安定になり、周辺の不動産価格は暴落し、観光客も激減する可能性が大きい。「最悪の場合、経済的損失は毎日100億香港ドル(約1600億円)にも達し、香港の失業者も急増する」と内部予測は推定する。
 「これが現実化すれば、『東洋の真珠』と讃えられた香港の自由貿易港や国際金融都市というアジア経済の中心としての機能は完全に麻痺し、真珠の輝きは消え、混乱が続く軍事管制下の現在のバンコクのような状態に陥ることが予想される」と前出の外交筋は懸念する。
 しかし、計画はすでに動き出している。戴氏ら香港の民主派勢力は具体的なタイムスケジュールとして、6月22日の日曜日、自由選挙に関する住民投票を行うとして、香港市民に参加を呼びかけている。さらに、香港の中国返還の17周年記念日に当たる7月1日には民主的な自由選挙の実現を求める大規模デモを行う予定だ。これらのデモには支聯会も協力する予定で、6月4日の大規模デモに続いて、再び香港で10万人以上のデモが実施される可能性も出てくる。
 その余勢を駆って、デモ参加者の一部がセントラル地区の政府庁舎前や鉄道の駅、ビジネス街に近い広場などで座り込み、立法会も占拠すれば、香港は大混乱に見舞われることが予想される。
 
 事態がまさに風雲急を告げようとしているなか、立法会占拠事件翌日の7日、予想外の人物の発言が香港中を震撼させた。その人物は1990年1月から97年7月の香港返還までの7年半、香港における実質的な中国政府トップを務めた周南・元新華通信社香港支社長である。周氏は外務次官を経験した外務官僚出身で、当時の香港の宗主国だった英国政府や、最後の香港総督を務め香港の民主化を主張したクリストファー・パッテン総督を相手に激しい論戦や外交戦を展開したことで知られる。
 しかし、周氏はすでに香港返還後に引退生活に入り、17年間も公の場に姿を現していない。香港ですら、その存在を忘れかけていた〝亡霊〟のような人物が突如、姿を現し、中国系香港メディア「文匯報」などのインタビューに応じ、セントラル地区占拠運動を激しく批判したのだ。
 周氏は「運動は香港の法治に危害を加え、反中勢力の意図を体して、香港政府の統治権を奪おうというものだ。これは『台湾独立』と同じ論理であり、絶対に許されない」と運動は非合法であり犯罪行為だと指弾する。
 周氏は「北京の中央政府は香港の高度な自治に干渉はしないが、香港で動乱が発生すれば、中央は一定の権利を保留する」と述べたうえで、香港返還当時の最高実力者、鄧小平氏の発言を引用して、「香港駐留人民解放軍は国家主権の象徴のような存在だが、それは一つの効能がある。動乱の発生を未然に阻止するばかりでなく、動乱が発生すれば、即時に処理させることだ」と主張。さらに、周氏は「動乱が発生すれば、中央政府は戒厳状態を宣言する。もし、香港で国家の根本利益が損害を受け、大陸の社会主義政権を転覆するための基地と化したら、中央は必ず関与し、適切に処置しなければならない」と語り、香港のセントラル地区占拠が現実化すれば、デモ隊排除のため、北京の習近平指導部が軍を導入することもあり得るとの見方を強調した。

 周氏の発言から3日後の6月10日、中国政府は初の「香港白書」を発表。「香港で約束されている『高度の自治』は、完全な自治ではなく、地方分権的な権限でもない。それは中央指導部の承認に基づき、地方を運営する権限である。一部の市民はこの『一国家二制度』を十分理解していない」と述べて、「外部勢力」が香港を利用して中国の内政に介入したり、一部の香港人が「外部勢力」と結託して一国二制度を破壊することを防がなければならないと強く警告を発した。
 この「外部勢力」とは米国を指すとみられている。香港の民主派指導者で、民主党を創設して初代代表を務めた李柱銘(マーチン・リー)氏や、香港特別行政区政府のナンバー2の政務官だった陳方安生(アンソン・チャン)氏が3月に訪米し、ホワイトハウスで会談。香港のトップである行政長官の次期選挙が3年後の2017年に行われるが、「中国共産党が選んだ候補しか出馬できない懸念が強い」と訴えたからだ。
李柱銘氏(李柱銘氏)
 
 このような運動に対する中国によるあからさまな干渉に民主派勢力は強く反発。運動の提唱者である戴氏は「この時期に、周南氏の発言や白書が発表されたのは香港の人々を恐怖に陥れようという狙いがあるのは明らかだ。我々が呼びかけているのは香港を動乱に巻き込むことではない。運動を通じて、公民が命をかけてでも、最終的に完全で自由な普通選挙を実施することだ。彼らが『罪を償え』と言うのならば、我々を逮捕し起訴すればよい。その結果、われわれには最初から政府を転覆する意図なぞないことが分かるだろう」と運動の正当性を力説する。
 李柱銘氏は「周南氏の発言は詭弁であり、こじつけで、運動参加者を減らそうという意図がみえみえだ。運動に対処するのは香港の現在の警察力で十分であり、習近平中国国家主席も軽々に駐留軍を出動させるわけにはいかないだろう。軍を導入するのは警察力で抗しきれなくなったときであり、二の次、三の次の策だ」と中国政府の軍導入に否定的な見方を示した。
 香港の民主派指導者で支聯会主席や香港立法会(議会)議員を務める李卓人氏は「習近平政権になって香港や中国で言論の自由が一層阻害され、香港に対する中国共産党政権の圧力はますます強まっている。われわれは香港から運動を通じて、中国の一党独裁を終わらせる民主化と改革を進展させたい」とコメントした。
 香港の外交筋は「中国返還後の香港では、一般市民の生活はますます苦しくなっている。中国による香港の間接支配はますます露骨さを増しており、多くの民衆は中国に強く反発している。それは生活に根ざしたもので、運動の大きな原動力になっているのも事実だ」と述べて、香港では返還後、中国による経済支配が強まっており、香港の反中気運の高まりが運動支援のネットワーク強化の一因になっていることを明らかにした。
 例えば、香港の平均的なマンション価格は2005年時点では1平方mが4万4000香港ドル(約70万円)だったものが、今年に入って2倍以上の11万香港ドル(176万円)に上がっており、約60平方mのマンションでも日本円で〝億ション〟となる。豪華マンションはその2倍は軽くする。
マンション群(林立する香港のマンション群)

 いま香港ではセントラル地区から地下鉄で5駅から10駅の地区ではマンションの建て替え工事が頻繁に行われている。「その結果、ある程度安かったマンションが高層の高級マンションになり価格が大幅に上昇。元々の香港住民は手が出ず、遠隔地域に引っ越しを余儀なくされるなど、香港の端っこに追いやられる現象が起こっている。さらに、資産がない青年層はマンションを買えず、結婚できない現象も深刻だ。おまけに、建て替えられた高級マンションを大陸の富裕層が投資目的で買い占めるなど、香港市民は不満を高まらせ、不安を募られせている」と同筋は解説する。
 また、香港には大陸から富裕層ばかりでなく、多数の中国人観光客が押しかけおり、大陸では買うことができない幼児用の粉ミルクや外国製のおむつなどを買い占めて、大陸で売るという「運び屋」が出没。このため、香港で粉ミルクやおむつなどが不足するという珍現象が起きている。
 筆者は香港滞在中、広東省深圳に接する羅湖駅から中国に入境したが、羅湖駅の一駅前の上水駅で、大型のリュックサックやキャリーバッグに手提げ袋を持った10人くらいの集団が電車に乗り込んできたのを目撃した。なかには、キャリーバッグのほかに、大きなおむつの包みを3つも抱えている女性もいた。彼らは羅湖駅で下りて、香港の税関を抜け、深圳駅から中国に入国し、待っていた車に荷物を積むと、どこともなく消えていった。

運び屋(大きな荷物を持つ大陸の〝運び屋〟の一団)
 香港ではこれらの〝運び屋現象〟を揶揄した「イナゴ駆逐行動」が盛んだ。彼らが通り過ぎると、そこに大量にあったはずの商品が消え失せしまう現象がみられ、イナゴの大群が通り過ぎたあとを連想させることからついた名前だ。休日の香港の繁華街で、 「イナゴは香港から出て行け!」「自分の国を愛せよ。中国人は中国の製品を買うべきだ!」「中国人は中国のミルクを飲め!」など音楽に合わせて叫び、100人以上の香港人が気勢を上げるのだ。彼らは時々、毛沢東の写真を掲げ、赤いカバーに覆われた「毛沢東語録」を振りかざし、中国の国歌「義勇軍行進曲」を歌うなど、「愛国(中国)、愛港(香港)」をスローガンに掲げて、愛国を装って中国を批判する。つまり〝パロディ・デモ〟なのだ。
 このような一般の香港市民の激しい反発から、香港政府トップの梁振英・行政長官は今後、中国人観光客に与える観光ビザを制限し、年間で20%減少させることを提案したが、それでも年間3200万以上の中国人が香港を訪れることになり、いずれにしても焼け石に水の状態だ。
 「それ以上に、いまの香港経済は中国に頼っているのが実情だけに、香港政府も有効な手が打てず、無為無策のまま習近平指導部の言いなりになっている状態だ」と同筋は指摘する。
 このような政府の対応に多くの市民は不満を抱いており、セントラル占拠運動の火種となっているのも事実。それだけに、強制的に運動参加者を排除すれば、ますます運動が激しさを増すことが予想される。さりとて、軍導入の事態となれば、89年6月の天安門事件のように、流血の事態になるのは必至だけに、事態をじっと注視しているのは、香港政府よりも北京の習近平最高指導部であるのは間違いない。
 
(相馬 勝/文と写真)
※本稿は「週刊ポスト(6月23日号)」へ発表した記事に加筆した。