「お金が無くても移住できる姿を示したい」~郡山市から岡山県へ。移住を決意した母親
福島県郡山市の母親(33)が、9月の新学期を目途にわが子を連れ岡山県へ母子移住する。仕事が軌道に乗り始めた夫(38)を郡山に残しての母子移住。マスクも要らない、伸び伸びとした生活がわが子を待っている。生まれ育った故郷への愛着はあるが、子どもの命よりも商業を守ろうとする街には暮らせないという想い。そして、母親は力強く言う。「避難・移住をためらっているお母さんたちに、お金がなくても避難できるという姿を見せたい」
【のう胞見つかり、咳止まらぬ長男】
決め手は医師の言葉だった。
「半年ごとに、経過観察のために検査をしていきましょう」
今春、小学6年生の長男、2歳になったばかりの次男と共に「ふくしま共同診療所」(福島市)で甲状腺検査を受けた。福島県立医大での検査でも「A2」判定を受けていた長男は、ここでもやはり多発性のう胞と診断された。加えて咳が治まらず、風邪かもしれないと病院をいくつか変えてみたか変わらない。湿疹も出始めた。足を骨折したこともある。
これらの体調不良の原因が原発事故にあるとは、軽々に断言できない。だが、逆に被曝による健康被害ではないとも言い切れない。このまま郡山市で生活していく限り、甲状腺検査と体調不良と付き合っていかなければならない─。妻から突き付けられた現実に、それまで移住に積極的ではなかった夫も、渋々ながら認めざるを得なかった。「俺はすぐには動けないけれど、郡山で頑張って稼いで金を送るよ」。
当初は長男の中学進学を機に移住しようと考えていたが、のんびり構えてはいられない。震災前から夫が「いずれは島暮らしをしたい」と話していたことも考慮し、温暖で原発立地県でもない岡山県を選んだ。9月の新学期を目途に市営住宅に入居。とりあえずは母子での新生活を始める予定だ。
「夫は仕事が軌道に乗ってきたこともあり、すぐには動きにくいのは仕方ない。『今の収入を維持しないといけないし、危ないとばかり言っていられない』という想いもあって迷っているようですが、いずれは4人で暮らしたいですね」
原発事故から3年が経過したが、郡山市内でも地表真上で1.0μSv/hを超す個所も珍しくない=郡山市桑野
【ショックだった身内の反対】
被曝の危険性を口にすると叩かれる。短期間、福島県外の放射線量の低い土地で生活する「保養」でさえも、賛同してくれる人が少ない。「みんな頑張ってるんだから、被曝、被曝と言うなよ」。今回の移住も親類から散々、反対を受けた。
「まるで私が狂ってしまったかのように身内から言われてショックでした。変な仲間が近くにいるんじゃないかとも…」
元々、原発問題に関心が高かったわけではない。学生時代も授業で原発が話題になることはなく、爆発事故後も被曝について分からないことが多かったという。
「確かに無知でした。でもね、普通ではないですよね。体育の授業は屋外で行われない、変な機械(モニタリングポスト)が設置され始める…。長男も鼻血を出したし、マスクに長袖と不自由な生活が続きました。あれから3年経ったけど郡山で生活していくには、念入りに防護しないと被曝は防げません。危険性があるのかないのか、よく分からないのですから…」
初めて保養に出たのは2011年の夏休みだった。ママ友の誘いもあり、北海道札幌市に1カ月間、長男を連れて避難した。雇用促進住宅に入居、現地の受け入れ団体から、移住を勧められた。札幌滞在中に、群馬県前橋市に問い合わせ、県営住宅への入居を申し込んだ。避難者向けの求人が前橋市内にあることを見つけ、事務員として働いた。
母子避難を始めてほどなく妊娠。長男が34週目での切迫早産だったことから、医師の勧めもあり、2012年4月に前橋市から郡山市に戻った。 それからは、夏休みや冬休みを利用して、長男を沖縄県などに保養に出した。「いつか福島県外へ」。2人の子育てに追われ、気付けば2年が経っていた。
郡山駅前のモニタリングポストは0.2μSv/h前後。数値はかなり下がったが、市内にはホットスポットが点在する
【自分が成功例となって背中押したい】
保養の情報を1人でも多くの人に届けたいと、広報紙への掲載を求めて市役所に出向いたこともある。その時の市職員の対応は冷淡だった。「郡山は保養は必要ないんじゃないですか?」。
現在は、市のホームページで「保養」と検索すると、市民団体が作る「ほよ~ん相談会」のサイトが紹介されているが「もう少し探しやすくして欲しい」と母親は話す。
郡山での生活を続ける母親を責めるようなことはしたくない、とも。「お母さんたちの前で、声高に保養や移住を勧めるのは気が引けます。ここに住む市民が悪いわけでは無いのですから」。
だが、自身はどうしても郡山市での生活を続けることはできなかった。街全体が、子どもたちではなく商業を守っているように思えてならなかった。3月末まで利用していた認可保育所のモニタリングポストは0.3μSv/hを超えていた。もしも、他にも移住を考えている母親がいるのなら、自分が成功例となることで背中を押してあげたいと考えている。
「もちろんお金や仕事は大切です。でもね、お金が無くても、人とのつながりがあれば暮らしていかれるということを示したいんです」
(文と写真:鈴木博喜)<t>