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ノルマンディ上陸作戦から70年の進展

 今年の6月6日は、第二次大戦ヨーロッパ戦線の方向を決定づけた連合軍ノルマンディ侵攻開始70年に当たる。
 
 現地でフランス政府主催の式典が行われ、旧連合国首脳と元兵士たちと共に、メルケル首相と旧ドイツ軍兵士も招かれ共に抱き合うなど、西側ヨーロッパの和解と協力体制が如何に安定・確定的なものになっているかを改めて認識させた。
 
 一方で東ヨーロッパでは未だに紛争が絶えない。そこで対立状態にあるウクライナとロシア双方の大統領を招き、話し合いを促している。
 機会ある度に、またそれを作って和解と協調体制確立を目指す欧米首脳の意欲と姿勢を見ると、いまだに確固たる和解と相互信頼への道筋を見いだせない我々東アジア諸国の状況とを比較せざるを得ない。
 
 招かれた元首・首脳陣を見て欧米の歴史の歩みを印象つけるのはアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなど旧連合国の元首・首脳と共に、今やヨーロッパを主導する(CNN国際放送)ドイツのメルケル首相やEU及び加盟国の元首・首脳が加わったことだ。
 
 ノルマンディの町ウィストレアム(Ouistreham)での式典にはドゴール・アデナウアー以来の独仏の協力体制を着実に強化し堅固なものにしてきた結果として、ヨーロッパの首脳が勢ぞろいした感がある。
 
 ノルマンディ侵攻70周年の歴史的意味、位置付けは、旧連合国側の勝利だけを祝い、旧敵国を断罪するのではない。“ヨーロッパ市民の全体主義・ナチズムからの解放”、“民主主義と繁栄の出発点”など、オバマ大統領はじめ欧米各国首脳の言葉や各国の中継映像の言葉使いにもそれが良く表れている。
 
 ノルマンディ一帯は小さな浜辺に急な丘、処によっては絶壁が立ちはだかる。上陸する側には危険で困難な地形だ。イギリス軍が上陸したアロマンシェ(Arromanches)では英独の旧兵士が握手と抱擁を交わす。ラカンブ(La Cambe)のドイツ軍戦没者墓地にも光が当てられた。ウィストラムの主要式典では仏独の旧兵士が手を握り合って立った。放送では“敗戦でようやく戦争から解放され故郷に戻れる”というドイツ軍旧兵士の当時の想いも紹介していた。
 
 ドイツの首相はイラク戦争最中の60周年式典にも招待され出席したが、この時は共にイラク戦争に反対する、時の独仏首脳の協調体制に焦点があてられていた。今回の式典に関しフランス国営放送F2はメルケルを“今のヨーロッパ外交の主役”とさえ言っている。そのメルケル首相がロシアのプーチン大統領と、就任式直前のウクライナのポロシェンコ(Petro Poroshenco)大統領の二人の間に立って話をする光景が中継映像で流れた。
 
 首脳陣の記念の時、プーチン大統領は右寄り、デンマークのマルグレーテ(MargretheⅡ)女王とルクセンブルクのアンリ(Henri)大公との間に立った。ポロシェンコ大統領は反対の左側端に立っていた。メルケル首相は一段後ろに立ち二人の位置関係を把握していた。撮影後、昼食会に向かうメルケル首相は先ずポロシェンコ大統領と歩みを緩めながら話をはじめ、プーチン大統領が近づくのを見て声をかけ、両者を引き合わせたのだ。ポロシェンコ大統領は終始厳しい表情で、両者ともメルケル首相に向かい、共に目を合わせることは無かったが、F2によると数分だけだが、兎に角話をしたという。
 
 プーチン大統領とメルケル首相は既にこの日長時間会談していた。兎に角、話し合いを始めなければ何事も始まらないのを良く知っているからだ。(プーチン大統領はポロシェンコ大統領を事実上承認し、交渉相手にする意向を示している)
 
 式典ではオバマ大統領とプーチン大統領が話をするかが、もう一つ大きな焦点になった。
 
 オランド大統領主催の昼食会場は狭く小さな入り口ひとつだけ。両者はオランド大統領やエリザベス女王を挟んで反対側に座ったが、やはり会場を後にする際に顔を合わせる場があり15分程度話し合ったと言う。
 
 両者が何を話し合ったかは公表されていないが、否が応でも接近する小さな昼食会場に入れられた。ウクライナ問題で動くよう国際社会の雰囲気・圧力が両者に立ち話をさせたと見ている。
 
 プーチンvsポロシェンコ、プーチンvsオバマ、いずれも立ち話程度であり、ウクライナ問題で何処まで事態を進展させられるかは起きてみないと判らない。
 
 しかし対立がこう着状態に陥り度にヨーロッパ各国の首脳は小さな機会を逃さず、当事者の顔を立てつつ対話を促す柔軟・巧みな外交手腕は、面子重視のアジア諸国がまだまだ及ぶところではない。
 
 海岸に近い式典会場の大きな画面が二分され、離れて座るオバマ大統領、プーチン大統領が隣り合って映し出した。これに会場一杯の歓声と拍手がおき、両者とも双方の方向を向きあい固い表情を崩さざるを得ないひと時があった。心憎い演出である。
 
 東アジアでは第二次大戦の終了を“軍国主義からの諸国民の解放”として関係国首脳が揃って祝う機会は全く無い。(過去に中国の故周恩来総理が“日本人民も(加害者というより)軍国主義の犠牲者”という似たような発想を持っていたが、ヨーロッパと異なり、彼の発想を元に政治外交上具体的に進展させることは無かった)
 過去の歴史を共有する動きは、広島・長崎の原爆忌の追悼式典に出席する各国大使が増えているくらいだ。
 
 戦後ヨーロッパの和解と協力構築にEU、NATO、OSCEだけでなく共通の歴史教科書編纂、共通のテレビ局の立ち上げ、大学の各国学生への開放、制度化した若者の交流など、今も幾つもの試みが続いている。こうした実績がノルマンディ侵攻70周年のような式典を可能にしたと言える。
 
(大貫康雄)
写真:Public domain; official U.S. Coast Guard photograph via Wikimedia Commons