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「避難者の声こそが新たな避難を後押しする」~避難先の東京で避難者の生活安定に奔走する母親

 福島市から東京都内に避難して3年。苦労の末自分の居場所を確立することができた母親(31)は、都内に点在し、孤立しがちな避難者のコミュニティーづくりに取り組んでいる。「先に避難した私たちが頑張らなければ、これから避難しようとする人たちが動けない。避難の選択肢は尊重されなければいけません」。避難者自身の声こそ最も説得力がある─。場づくりから避難者の声の発信へ。母親は3人の子どもたちと奔走する。「私自身、本当に助けられた。今度は私が助けたい」


【孤立感癒した地元ママの支え】
「むさしのスマイル」(http://blog.goo.ne.jp/musashino-smile )と名付けられたグループは、昨年から月2回のペースで「よらんしょサロン」を開催。福島県からの助成金を活用しながら、福島からの避難者同士だけでなく地元の母親たちとの交流も進めている。


 5月15日現在、東京都内には6400人を超える人々が福島県から避難しているが、情報共有や交流は難しいのが現実。「誰かに悩みを話すだけでも気持ちが楽になりますからね」。活動は9月で丸2年。最近では、若い母親から80代のおばあさんまで、世代や避難元を問わず集まるようになった。交流会に顔を出したら、福島でのご近所さんと久しぶりに再会できた人もいたという。


「がむしゃらだった」という避難直後。同じように福島から避難した人との交流を求めてインターネットで検索。できる限り顔を出した。自分と同じように情報が届かず孤立感を深めている人と多く出会った。誰もが避難先の地域社会にスムーズに溶け込めるわけでは無い。家賃以外の生活費はすべて自己負担だから公的機関の支援は最大限活用するべきだが、それも人によって差がある。ふるさとを追われるようにして避難した人の中には、負い目を感じて萎縮しているケースも。まずは都内に点在する避難者同士の交流を。そして将来は、避難者自身の声を国や行政に発信できるようにしたいと願う。


「地元のママたちには本当に感謝してます。出産にも立ち会ってくれた。そういうつながりを、多くの人にもってもらいたいんです」


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女性の生まれ育った福島市飯坂町。飯坂温泉駅前広場では、手元の線量計は0.3μSv/hを超える=2014/05/19撮影


【切実な時ほどSOSを発せない】
「あの時は、放射線の危険性など分かっていなかった。父親も『ここは原発から70kmも離れているから安全』と言っていましたし…。学校で原発の危険など教わったこともなかったです。それこそ〝原発で明るい社会〟を信じていました」


 24歳で上京、ナイジェリア人の夫と知り合い結婚。出産・育児のために実家のある福島市に帰っている最中、巨大な揺れに遭った。浜通りで原発が爆発したことは伝わってきたが、詳細は分からない。しかし、東京で暮らす夫の動きは早かった。2011年3月15日、苦労してガソリンを手に入れた夫が車で迎えに来た。2人のわが子の手を引き、車に乗った。一般道で走ること12時間。避難生活の始まりだった。


 4月には、現在も住んでいる武蔵野市内の都営住宅への入居が叶った。だが夫は、仕事の都合でナイジェリアに長期出張。出産を控えて慣れない土地での新しい生活に、次第に孤立感が深まった。それを救ってくれたのが、地元のママたちとの出会い。出産に立ち会ってもらえるほど進行を深めたことが、現在の活動につながっているという。


「あの時、助けられた私が、今度は他の避難者を助けたいんです。人って、本当に助けて欲しい時には『助けて』って言えないものなんですよ」


 飯坂町の実家は、いまだに市役所による宅地除染が行われていない。今年正月、わが子を連れて里帰りしたが、持参した線量計の数値は室内で0.5μSv/hに達した。雨どいは2012年夏の時点で17μSv/hに達していた。わずか一泊だったが、放射線のことを考えると眠れなかったという。


「この街で暮らせば子どもたちがどうなるか…。もし放射線量が低かったら、避難をやめて帰っていたかも知れません。でも現実はそうじゃない。今まで帰ろうと考えたことは一度もありませんでした」


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原発事故後、多くの人が福島の子どもたちの県外避難を求めてきたが、国も自治体も帰還政策をさらに進めている=2012年08月、文科省前


【避難者の声こそ説得力ある】
 国も行政も帰還政策に力を入れ、放射線による被曝の危険性が低くなったことを盛んにアピールしている。5月28日には、福島県が県外避難者向けの住宅支援延長を発表。今後も家賃を支払うことなく生活できるが、それも2016年3月まで。その先は、どうなるか分からない。しかも、住宅支援を受けられるのは既に避難した人たちだけで、これから新たに福島県外に避難する人は家賃も自己負担となる。


「私たちは被害者です。原発事故がなければ避難する必要なんて無かった。『3年も経って今の福島は安全』と言う人もいるけれど、福島に足を運んで、自分の住んでいる地域との放射線量の違いを確かめてから発言して欲しい。汚染は終わっていないんです。現在進行形です」


 福島に戻そうとする行政、県外避難者の減少を伝える地元メディア…。家賃支援が無くなれば、それを機に避難をやめる人も出てくるかもしれない。


「だからこそ、先に避難した私たちが帰されてはいけないんです。避難を希望している人が、県外に出られなくなってしまいます。避難者が安定した生活を送れるようになることで、避難の権利が確立される。福島県外に出ることも出ないことも、どちらの選択肢も同等に尊重されるべきですよね」
「避難者の声こそ、最も説得力があるんですよ」。母親は力強く語った。



(鈴木博喜)<t>