安倍晋三首相は本物の「保守政治家」といえるのか
月刊文藝春秋が10日発売の6月号に“安倍総理の「保守」を問う”との大見出しを掲げている。本紙(東京スポーツ)対談でコンビを組む上杉隆氏が右派タカ派の論客8人に挑む連続インタビューとマスコミ論壇を賑わす各界の著名人100人が「保守」を論じたものだ。保守の視点から安倍政権を論評してきた本欄の拡大版とも言えよう。かつてない野心的な企みだ。それではいったい「保守政治」とは何なのかを問えば、これがなかなか難解である。
すっきりとした「解」は見つからないがたとえば今年、和食がユネスコの世界無形遺産に登録された。「食べる」という行為は、国や地域、民族の特徴付けるものだが、以前、本欄で食事会に同席した安倍晋三首相の箸使いの拙さについて触れたことがあった。揶揄してのことではない。日本を「瑞穂の国」と称し、棚田の美しさを誇る安倍首相に日本の食文化を語るにふさわしい箸使いを求めてのことだった。しかも、ユネスコの登録内定が速報で流れたその夜、安倍首相は行きつけの韓国料理店で焼き肉を頬張っているのだから、常人には理解し難い。
保守政治家の特徴を一点だけあげるとすれば、やはり自国の伝統文化を重んじる価値観と振る舞いであろう。およそ人の営みや振る舞いは経験知の発露であり、歴史は経験知を積み上げたものだ。保守政治家はこれを国体の依り所とする。
ところが安倍首相には残念ながら、日本の歴史を地球規模で俯瞰し、経験知を自らの血肉として振る舞うだけの知性や教養が欠落しているようだ。
それでいて偏狭なナショナリズムを振りかざし、「日本を取り戻す」と早口で訴えかける姿は滑稽であり、可哀そうでもある。
もっとも話を文藝春秋誌の中身に戻せば、上杉氏の連続インタビューで田母神俊雄元自衛隊空幕長が「核武装」と「靖国参拝」を保守の踏み絵と言い切ったのには唖然とさせられてしまうのだ。さらに維新の共同代表を務める石原慎太郎元東京都知事が社会党の浅沼稲次郎委員長を刺殺した少年を「神様だ」と崇め、「健全な民主主義にはテロがいるんですよ」と平然と語っているのだから、安倍首相がよりマシな政治家に思えてくる。慣れは怖い。
【ブログ「藤本順一が『政治を読み解く』」より】
Photo
: Shinzo Abe at CSIS(Wikimedia Commons /Author:Ajswab)