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人権派の独大統領がチェコを訪問し、第二次大戦時にドイツにも被害者がいたことを指摘(大貫康雄)

ドイツのガウク大統領が、ナチス親衛隊によって村民が虐殺されたフランスの村を訪れたことは、2年前の9月に紹介した。

ガウク大統領はロシアの人権弾圧に抗議し、今年2月のソチ冬季オリンピック開会式欠席をいち早く明言した指導者で、筋金入りの人権擁護者で知られる。

そのガウク大統領が5月6日、2度目のチェコ訪問をし、第二次大戦ではドイツ人にも人道上の犯罪の被害者(いわゆるチェコのズデーテンSudeten地方の300万人近いドイツ人の強制追放)がいたことをヨーロッパの指導者として初めて指摘する演説をした。

1938年ナチス・ドイツにいち早く併合され、辛酸をなめた被害者のチェコ人が演説に静かに耳を傾けたのは、近隣諸国との和解と協力を一貫して進めたドイツ外交と筋金入りの人権活動家ガウク大統領個人の人格と実績があったからと言える。

ガウク大統領は、今回まずチェコのゼマン(Milos Zemen)大統領とともにテレズィエンシュタット(Theresienstadt〈テレジン・Terezin〉)強制収容所跡を訪問。収容所の生存者と手を握り合って犠牲者の冥福を祈り、その後、中欧最古のカレル(Karel)大学で名誉メダルを授与された。

この画期的な演説は授与式の際に行われたもので、大統領は戦後長らくタブー視されていた事実、第二次大戦ではドイツ人にも人道上の犯罪被害者(ズデーテン・ドイツ人の強制追放)がいたこと。終戦直後、ナチスの犯罪に加担した者も無実の市民も誰彼となく迫害され、殺され、財産を奪われ、民族浄化の被害にあったことをヨーロッパの指導者として初めて、それもこの事件では加害者となるチェコ人の前で指摘した。

この時、大統領は何よりも先に(ナチス・ドイツの数々の人道上の犯罪、残虐な圧政に象徴されるように)、“チェコ・ドイツ関係の歴史は苦悩の歴史であったことは疑いの余地がない”こと、また“であればこそチェコ、ドイツの双方に勇気ある人たちがいて、和解と協力を進められたことは奇跡のようだ”と双方の努力を讃えている。

そのうえで、当然のことだが和解と協力を進めるドイツの姿勢に何ら変わりがないことや相互信頼に基づく平和と繁栄構築の意義を忘れずに強調した(ドイツは、西ドイツ時代のアデナウアー政権以来、近隣諸国との友好関係と最優先政策とし、ブラント政権成立の69年以来、西側だけでなく東ヨーロッパ諸国との和解と協力、東方外交(Ost Politikを積極的に推進。善隣関係をいわば国是としてきた)。

(ズデーテン地方のドイツ人をはじめ、先祖代々住んでいた故郷を強制的に追放されたドイツ人の問題は人道上の犯罪被害であることは明白だ。しかし侵略戦争と人道上の大規模犯罪を引き起こしナチス・ドイツの過去や、かつて住んでいた東欧諸国との関係を考えると国際政治上解決が不可能な問題。追放被害者への補償などがドイツ国内で今も残るひとつの戦後問題となっている)

ガウク大統領は2年前にもチェコを訪問し、70年前にナチスによって大半の村人が虐殺されたリディツェ(Lidice)村を訪ね、犠牲者の冥福を祈り献花した。この時、チェコのハヴェル(Vaclav Havel)大統領に、ドイツがナチス・ドイツの蛮行に対する歴史的な責任を負っていると言い、ドイツの大統領としてナチス・ドイツによる残虐な行為の犠牲者への謝罪と恥を告白している(故ハヴェル大統領は、ナショナリズムが高揚しチェコがドイツ人強制追放を指令したベネシュ・Edvard Benes大統領の記念碑建立の計画を出た時、これを中止させている)。

この2年前のチェコ訪問でのガウク大統領の行為は、チェコ国民の感動を呼び、“70年間にドイツが行った最も人道的な行為のひとつ”だと評価されている。

この欄では、以前にも(2012年9月)紹介したがガウク大統領はナチス・ドイツによって村人が虐殺され消滅したイタリアとフランスの村も訪ね、歴史上の責任と和解と協調を訴え、人々を感動させている。

今回の演説は、そうした一貫したドイツの近隣友好協力外交とガウク大統領個人の人権擁護の揺るぎない姿勢が過去に積み重ねられてきた延長上に可能となったと言える。

ドイツの大統領は連邦首相のような政治権限はないが、こうした真摯な首脳の外交こそ今の日本政府に必要ではないか。

【DNBオリジナル】

Photo:Michael Lucan