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ルワンダ大量虐殺事件から20年、なぜ、あの事件は起きたのか……。(大貫 康雄)

アフリカ中央部のルワンダ(Rwanda)は、緑滴るいくつもの丘が重なり「千の丘の国」と言われる自然景観の美しい国だ。

この国で、多数派のフツ(Hutu)族と少数派のトゥツィ(Tutsi)族の対立が激化し、今から20年前(1994年)の4月7日から約100日にわたり、トゥツィ族とフツ族穏健派の人たち80万人が、ごく普通の隣人たちによって虐殺され、200万人もの難民が出る悲劇が起きた。

(この時は日本のマスコミ各社が、最大の難民キャンプが作られたザイール・現コンゴ民主共和国の国境の村、ゴマに取材陣を派遣している。取材の過程でのヘリコプター事故で日本人記者も亡くなっているので記憶している人も多いだろう)

●ルワンダは4月初めの一週間を追悼週間と定め、現地時間の7日、首都のキガリ(Kigali)でカガメ(Paul Kagame)大統領や各国政府代表が出席して、犠牲者の追悼式典が行われた。

ルワンダは、真相の究明と民族和解が進められ、今は平和が定着し、外国資本の投資も相次いで経済は成長、女性の議員比率が世界でも最も高い国となっている。

ルワンダ各地の村では、虐殺の被害家族と加害者が隣り合って住んでいる。会って会話も交わしている。加害者は自分の行為を告白し、数年間刑に服した後、罪を許され釈放されている。

しかし、部族間の和解は本物なのか? 何故ルワンダで何故あのような大量虐殺が起き、防げなかったのか? などについては、今もルワンダ内外の関係者が調査を進め、いくつもの教訓を我々に与えている。

①   『国際社会の無関心?』

この悲劇は、国際社会の目が旧ユーゴスラビア紛争に注がれた、その隙間を突くように起き、当初、どの関係国も国際社会も虐殺防止への手立てを講じられない間にあっという間に虐殺が拡大した。

ルワンダでは、すでに部族対立が武力衝突に発展していて、現地には国連平和維持部隊が駐在していた。時の司令官は“ルワンダでフツ族による大虐殺計画がある”との情報を94年1月中に国連本部に送っていたが、国連本部は動かなかった。

4月7日に虐殺が始まるやいなや、司令官は平和維持部隊の増強と虐殺中止のための武力部隊派遣を求めるが、逆に国連は駐在中の平和維持部隊2500人を250人余りにまで減らした。この結果、国連は虐殺を止める能力も意欲もなくし、さらに“虐殺”と認定・非難することも避けた(あまりにもお粗末な国連安保理の対応だったが当時、激しい内戦が続くソマリアへの国際社会の介入が失敗していた反動で、ルワンダ内戦への介入に及び腰になっていたとの見解もある)。

当時のアメリカ・クリントン大統領は「国際社会が介入していたら少なくとも30万人の人々を救うことが出来たはずであり、ルワンダ虐殺を防げなかったことは、アメリカ大統領在任期間中最も悔いが残ること」と言っている。

②   『関係国の責任』

旧宗主国のベルギーや当時のフランス・ミッテラン政権は、時のフツ族主体の政府に武器を貸与、兵士の訓練をするなど協力し、間接的ながらフツ族による虐殺に手を貸したとカガメ大統領は批判している。

フランスは虐殺が起きた後も6月まで政府軍(フツ族)部隊に武器を投与し続け、さらに虐殺に関与した部隊が武器を携帯したまま隣国ザイール(現コンゴ民主共和国)に逃げるのを助けている。

ベルギーは最終的に責任を認め公式に謝罪したが、フランス政府は間接的であれ虐殺に加担したという責任は今も認めていない(過去の歴史を直視できない結果、国際社会の批判を浴びているフランス政府の限界が象徴的に表れている)。

今回の式典には、国連のバン・キムン事務総長や各国政府代表が出席したが、フランス政府は“カガメ大統領の批判は根拠がなく受けつけられない”としてトビラ(Christiane Taubira)法相は出席予定を取り消した。また現地駐在のフランス大使は招待されなかった(出席したか否かはこの時点で確認できず)。

フランスはその後も、虐殺に関与した者を事実上かくまい比較的安全な逃亡先を提供していたと批判されている。

③   『責任者の処罰と裁判』

虐殺の後、国連は隣国タンザニアにICTR・ルワンダ国際

戦争犯罪法廷(今年一杯で終了)を設置し、人道に対する罪や各種の重大犯罪に関与した者を逮捕・起訴、44人に判決を出している。何人かは釈放されたが、今なお14人が控訴審に臨んでいる。

この内、2000人の虐殺に関与したとしてウガンダで逮捕され、国際法廷に送られていた神父が、今年2月に国際法廷からルワンダの裁判所に初めて移送された。ルワンダの司法が健全に再建され、公正な裁判が可能と踏んだためだ。

虐殺の責任者たちの多くは国外逃亡したが、関係各国も裁判にかけている。フランスの裁判所は、この内の一人、インド洋上のフランス領の島に逃亡していた当時のルワンダ諜報部隊高官シンビカンガ(Pascal Simbikangwa)氏を2008年に逮捕し起訴。今年3月15日、“フツ族武装集団に虐殺の司令を出した”と認定して、“人道に対する罪”で懲役25年の刑の判決を出している。

ドイツでは、教会内に庇護を求めた何万人もの人が虐殺された当時の現地市長がドイツに難民として入国後“人道に対する罪を犯した者はどこであれ裁きを受けるべき”として、2010年に逮捕・起訴され、今年2月18日に人道に対する罪で懲役14年の判決を受けている。

またベルギーやスウェーデンなどに逃れた虐殺の当事者たちは、すでに相次いで逮捕・起訴され、いずれも人道に対する罪で収監されている。

しかし、フツ族だけでなくトゥツィ族政権側にも戦争犯罪の容疑者がいると言われるが、トゥツィ族容疑者への捜査は進んでいない。

④   『虐殺がなぜ簡単に広がったのか?』

フツ族によるトゥツィ族の虐殺は、当時のアビャリマナ(Jevenal Habyarimana)大統領(フツ族)らの搭乗する航空機の撃墜事件(4月6日)の1日後から始まった。

それが、フツ族武装集団だけでなく、“なぜ一般のフツ族までが隣人たちの虐殺に加担したのか!”については、国営ラジオが毎日、トゥツィ族虐殺を促し、それに応じて多くの一般人が鉈やこん棒などで近隣の人たちに襲いかかって行ったことが知られている(この過程はNHKスペシャルでも詳しく紹介していたので知る人も多いだろう)。

当時、ラジオは圧倒的多数の国民に圧倒的な影響力を持っていた。そのラジオがトゥツィ族に対し、根拠もない一方的な情報を連日垂れ流し、ただでさえ客観的な情報に乏しいフツ族の人々の判断力を奪い犯罪へ駆り立てていく。

(NHK・BS夜10時からの国際報道では、記者がメディアの責任についてルワンダから伝えていた。これはルワンダだけに限った問題ではない。日本でもマスコミの政府寄りの偏向報道が批判の的となっている。

ルワンダの大量虐殺の過程はメディアのあり方、客観的な分析は提供せず、一方的な偏った情報を垂れ流すことの危険性を改めて考えさせる)

⑤   『国民の情報判断能力の教育、自分で善悪を考え判断する力を涵養する必要性』

メディアのあり方とともに、“上から言われるのを鵜呑みにするのでなく、自分で考え判断する”教育の重要性を説く見解をINYT・NYタイムズ国際版(4月5―6日付け)が掲載している。

この見解はルワンダで危うく虐殺を免れ、再生ルワンダの裁判で虐殺加害者擁護の弁護士を担当したジャン・マリー・カマタリ(Jean-Marie Kamatali)氏(ルワンダ国立大学元法学部長、現オハイオ北部大学準教授)の自分の体験をもとにした研究の結論である。カマタリ氏は被害者側、加害者側双方に面接取材した結果の要点をまとめた(ルワンダ再建当時、弁護士は50人もいない状況、一方、虐殺関与の容疑者は14万人に上っていた)。

結論は人々に……。

●“上から言われたことは、たとえ悪いことであっても法律と同じだと混同する”傾向(現地語では“命令”も“法律”も同じ訳語itegekoとされる)⇒

●その結果同じ国民(トゥツィ族)を殺せというラジオの呼びかけが、いつの間にか、権威ある命令になった。(“法律を与える者”と“権威”は同じくumutegetsiとなる)

●この「疑念を抱くことなく従う、盲従する文化」が人々を簡単に虐殺に駆り立てた(氏はフツ族武装集団に命令され、フツ族の夫が子どもたちの目の前で妻であるトゥツィ族の従姉を殺す事件を例に上げた。その後トゥツィ族が虐殺を終わらせると姉の兄弟が、フツ族の夫を同じく子どもたちの目の前で殺したという)

●トゥツィ族の多くの被害者は、フツ族の虐殺犯を許しているが、理由を聴くと皆同様に“政府が許すと言っている以上、何ができる? 私も許すだけだ”と答えるという。

つまり、人々は“政府が言った(命令した)から許した”のであって、心から信じて許し、和解しているのではない!。

●虐殺と同様、上に従属して許しているのであって、自分で判断して許しているのではない

これは堅固な確信の上での判断ではなく、状況次第でいつでも人々の心の中に悪が頭をもたげ変わりえる危険性をはらんでいる。

ルワンダ政府が本当に部族間の和解を推進したいのであれば、国民の“従属文化”を変えなければならない。それには……。

(1)人々が自分で物を考え判断する習慣を身につける。これは現代社会で人々が発展し、自由を獲得するのに不可欠な要素だ。

(2)ルワンダ人は“順守、従順(コンプライアンス)”ではなく真の“法の下の支配”を確立すべきだ。

(3)物事を批判的に見て、考える教育の推進が重要。従順な姿勢ではない。また強烈な個性に従ったり、上からの命令に服するのでなく、万人に平等な法正当性のある制度を作るべきだ。

(4)政府はトップダウンでなく、一般的な個々の人々からの提案、提言に耳を傾け、万人に平等な法の支配の下で人々が活発な討論をできる社会にすべきだ。

(5)ルワンダ人は指導者の発言に常に疑問をもち、質疑することが重要であることを学び、

悪いことには敢然として協力を拒否する義務を身につけるべきだ。

これらの提言はルワンダ人だけでなく、我々日本人に対しても言っているように感じられるのは筆者だけではないだろう。

【DNBオリジナル】

[caption id="attachment_20229" align="alignnone" width="620"] ルワンダ、ニャマタの虐殺記念館[/caption]

photo:Fanny Schertzer