日本の捕鯨・鯨食文化と国際的な立場を両立させるためには……(蟹瀬 誠一)
時としてユーモアは心の武装解除になる。1979年に渡米した故大平正芳首相の発言がまさにそれだった。当時、日米間の懸案は捕鯨問題だった。記者会見では日本に対して批判的な米国人記者から厳しい質問がぶつけられ、会場に緊張が走った。その時、大平氏はあわてず「鯨は大きすぎて、私の手には負えません」と答え、記者たちは大笑い。場の雰囲気は一瞬にして和らいだという。
その発言から35年経った今、また捕鯨問題がニュースとなっている。今度はオランダ・ハーグの国際司法裁判所が、日本の南極海での調査捕鯨を「科学的でない」として中止を命じる判決を言い渡したからだ。日本ではこの判決に対して、マスコミを含め「捕鯨・鯨食は日本の伝統文化」だとして反発する意見が圧倒的に多い。しかし、それは長年に渡って調査捕鯨の実態が国民に知らされず、世論が操作されてきた結果なのだ。
世界89カ国で組織されている国際捕鯨委員会(IWC)は、1980年代に海洋資源保護を理由に商業捕鯨モラトリアム(一時停止)を採択した。これに対して日本は異議申し立て権を放棄。そのかわりに条約で加盟国に認められている調査捕鯨を始めた。大型野生動物の調査といえば発信器をつけて行動を調べたり、発見された死骸を研究するのが通常の手法だ。ところが日本は、毎年400~500頭もの鯨を殺して南極海の船上で解体・箱詰めし、そのまま食肉として販売してきた。
売上げは年間ざっと60億円。そのうえ研究としての科学的成果は乏しいとなれば、調査捕鯨の名を語った商業捕鯨だと指弾されてもしかたあるまい。それだけではない。調査捕鯨を請け負っている団体には億単位の補助金が付けられており、天下りの受け入れ先となっている。捕鯨議員連盟もある。典型的な政・官・業「鉄の三角形」の利権構造だ。
捕鯨が日本の伝統文化だというのもどうも怪しい。確かに日本人は縄文の昔から鯨の肉を食べていたようだが、今では日本人の圧倒的多数が年に一度も鯨肉を食べていない。鯨肉の需要は低迷し、4000トンから5000トンもの在庫が積み上がっている。南極海で日本が捕鯨を始めたのは1930年代だが、当初の目的は鯨油をヨーロッパに売って戦費を稼ぐためだった。これを伝統文化と呼ぶには無理があるのではないか。
「牛や豚やカンガルーを食べている奴らにとやかく言われたくない」という感情的な反発はあるだろうが、日本の旗色は悪い。故大平首相のようなユーモアだけでは切り抜けられないだろう。だから日本政府も判決に従うとしている。この際、嘘で固めた「調査捕鯨」は止めて、古来から行ってきた沿岸捕鯨をIWCに認めさせる戦略に切り替えたほうが、捕鯨・鯨食文化と日本の国際的な立場を両立させる良策ではないかと私は思う。
Photo:Edith Schreurs