ダライ・ラマ14世インタビュー「中国とチベットとウイグルと……」(相馬 勝)
来日中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世に滞在先の京都で単独インタビューを行った。
ダライ・ラマは、新疆ウイグル自治区やチベット自治区における中国当局の弾圧は、宗教的、民族的差別に基づくものであると強く批判する一方で、自身の非暴力主義や中道主義、中国におけるチベット人による高度な自治といった考え方が徐々に中国の知識人らを中心に広く浸透しており、チベット仏教やチベットの伝統、文化、慈悲の思想などについて中国人の理解が深まっていると強調。
中国共産党による一党独裁体制は「富の分配」や「労働者階級による統治」の実現を目指したマルクス主義の本質からかけ離れており、民衆の支持を得ていないとの見方を明らかにした。
その証拠にこの60年あまりの毛沢東主席ら5人の最高指導者の主張や政策は「その時々の社会的背景によって変化しており、同じ共産党でも対応が違う」と指摘。そのうえで、ダライ・ラマは習近平・中国国家主席について、「彼は実務的で、行動的、現実的な指導者である」と高く評価し、中国のチベット政策の変化に強い期待を示したのだった。
[caption id="attachment_20174" align="alignnone" width="620"] 筆者のインタビューに応じるダライ・ラマ14世[/caption]
(以下はダライ・ラマの話)
われわれチベット人が難民になって以来、自然に新疆ウイグル自治区から逃れたウイグル人難民と知り合いになり、1990年ごろ、インドのデリーで初めて両者の会議が開催された。その後、わたし(ダライ・ラマ)は米国や欧州各国でウイグル人難民と会うようになり、ここ数年、中央チベット政府(チベット亡命政府)と亡命ウイグル人グループの代表が連絡を取り合っている。
彼らのなかには完全に暴力を肯定するグループと、暴力を否定する2つのグループがあり、世界ウイグル会議のラディア・カーディル議長は後者だ。私はこれまで彼女と数回会って話をした。彼女は最終的に私と同じく、非暴力は最高の方法であり、中国からの分離独立を目指さず、中国に留まって自治を享受することに賛成し、我々の立場は完全に一致した。
しかし、わたしは新疆の状況は非常に厳しいと思っている。漢族(中国人)はイスラム教やイスラムの伝統、文化、考え方に偏見を持っており、ウイグル人を差別している。これは政治的、宗教的な問題で、自治区政府や民衆はウイグル人の立場を尊重しなければならないのだが、現実はそうではなく、弾圧している。さらに、ウイグル人のグラスルーツ的な(暴力的)行動は多くの問題を生んでいる。これは中国人にとって居心地の良い状態ではない。本来ならば、支配階層である中国人がウイグル人に寛容な態度を臨むべきだ。例えば、われわれチベット人の場合、中国人を兄弟姉妹と思って尊敬しており、チベット人が中国人を否定するような態度や行動をとらないように気をつけている。
わたしは非暴力的なアプローチが多くの中国人の兄弟姉妹の共感と支持を得られていると感じている。特に、中国の知識人は全面的に我々と一体であると思っている。一方、新疆ウイグル自治区では数年来、多くの暴力的な事件が起きており、状況はチベット自治区よりも悪化している。もし、暴力が有効な手段ならば、新疆の状況は改善されているはずだが、そうなってはいない。新疆のウイグル人は極めて悲劇的な状況に直面している。だから、私は暴力を用いるべきではないと考えているのだ。
ところで、これまで50年あまり間で、われわれの中国への対応も変わってきた。われわれは70年代の初めまで、現実的な行動をとってきた。チベット民族の基本的人権の尊重などを謳った59年と61年、65年のそれぞれの「チベット問題に関する国連総会決議」がそれだ。この間、私はインドのネルー首相に、インド政府がチベット人のために国連総会決議を提出する支援をしてほしいと頼んだことがある。彼は拒否したが、わたしに「あなたは中国政府と話し合った方がよい」とアドバイスしてくれた。
70年代初め、わたしは中国政府との対話を真剣に考え、74年に我々の代表が中国側の指導者と接触した。その際、わたしは遅かれ早かれ中国政府の代表と交渉することになると思い、話し合う内容を考えた。それが「チベット独立」ではあまりにも刺激的であり、適当ではないと思い、中国政府と対等な立場で話し合うためには、独立ではなく、われわれが議会で自由に発言するシステムを構築することにした。
その後、中国は経済的に急速に発展し、米国や日本にとっても重要なパートナーとなり、非常に繁栄している。チベットは文化的にも精神的にも非常に高度な文明を有しているが、物質的には貧しい。このため、チベット人が物質的な満足を得るのならば、われわれは中華人民共和国に留まった方が賢明だとの結論を導き出した。
チベット人のなかには独立を熱望する者もいる。そのような人に私は「現実的にならなければならないし、問題を全体から見なければならない。感情的に見るならば、政治的な独立を勝ちとることは非常に重要だろうが、感情的になると、ときには現実が見えなくなるときがある」と説いた。
例えば、アフリカ大陸には独立をしていても、経済的に貧しくて小さな国が多い。欧州もそうだ。それらの国々はいくつかの例外を除いて、欧州全体を統合する欧州連合を形成し、独立のシンボルである自国通貨を捨てて「ユーロ」という通貨を使っている。欧州の中では大国であるドイツもフランスも英国もイタリアも例外ではない。これは、欧州連合のなかの共通の経済的利益は政治的な独立より重要だということを示している。欧州の歴史をみると、各国が戦争を繰り返してきた。わたしが最近会ったフランスの著名な学者は「1970年代には、フランス人全体がドイツ人を敵だとみなしてきた。ドイツ人もフランス人を敵だと思っていたと思う」と率直に語っていた。ところが、いまや状況は完全に変わった。
これをチベットと中国に当てはめると、われわれは中国に留まった方がよいということになる。だからこそ、我々は非暴力の原則を貫き、中道路線で、高度な自治を獲得すべきなのだ。我々は絶対に独立しないし、チベット民族の旗幟を鮮明に掲げることは毛沢東主席も保証してくれたことだ。ただ、現在の中国共産党指導部のなかには、われわれを中国とチベットの分離独立を図る分裂主義者だと言う者もいるが、われわれは決して分裂主義思想の持ち主ではない。
そもそも共産主義システムとは、マルクス主義だとわたしは思っている。少なくとも社会や経済はマルクスの考え方に則っていかなければならない。マルクス経済の基本的な考え方は富の公平な分配である。これは資本主義経済よりも現実的な考え方だ。資本主義はそのようには考えず、個人や企業の利益を追求するからだ。
しかし、レーニンら左派の一派が起こしたボリシェビキ革命(1917年11月7日)によって、ソヴィエト(労働者・農民・兵士の評議会)へと権力が集中。その後、ロシア内戦(~22年)が勃発し、22年に史上初の共産主義国家であるソビエト連邦が誕生する。この前後、欧州各国はレーニンらボリシェビキに極めて批判的であり、内戦期間中にレーニンらのグループは危機的な状況に陥ったこともある。このため、レーニンは少数の指導者による全体主義的で、秘密主義的な厳しい統制を敷き、レーニンの方針に反対する人々を弾圧した。現実的に見れば、レーニンらによって構築された共産主義体制や指導体制は人々を不幸に陥れる元凶となった。わたしは、レーニンのやり方は間違いだったと思っている。共産主義体制とは集団指導体制なのだ。党を統治する代表は労働者階級であり、彼らが共産主義国の本当の支配階層であるからこそ、共産主義システムは集団指導体制でなければならないのだ。
[caption id="attachment_20175" align="alignnone" width="620"] ダライ・ラマと筆者の共著、ダライ・ラマ「語る」[/caption]
一方、資本主義システムにおいては、一握りの資本家が往々にして権力を独占するため、全体主義的な統治システムになる可能性があるのだが、現実はまったく違っている。本質的に集団主義体制であるはずの共産主義体制の方が独裁主義的な色彩が濃い。これは、レーニンが権力を握ったためだ。私は絶対にレーニン的なやり方には反対だ。しかし、レーニンによって共産主義国家が生まれ、その後も第2次世界大戦によってソ連が強大になったことで、本来のマルキシズムは毒されていったのである。
わたしが初めて見た共産主義者は、中国人民解放軍だった。彼らは毛沢東主席の下で「解放」というスローガンを掲げていた。わたしは当時、毛主席こそが真のマルクス主義の理想を実現する人物だと思っていた。わたしは1954年に10カ月間、北京をはじめ地方都市を訪問したが、粗衣粗食で素朴な毛主席のライフスタイルに共感した。他の地方指導者の態度も非常に洗練されており、直接的な物言いであり、素朴な人々ばかりだった。彼らは全国民が平等で、階級のない理想の社会を作ろうとしていた。彼らの経済に関する基本的な考え方は富の分配であり、マルクス主義を信奉していた。彼らは魅力的であり、わたしはいまでも彼らの考え方や言動に共感を持っている。
このため、わたしもマルクス主義の理想社会を建設したいと切望し、党幹部に「中国共産党に入党したい」と申し出たほどだ。しかし、わたしは56年から57年にかけて、毛主席が独裁主義的なやり方に毒され始めたと感じ、失望するようになった。
わたしは、これまで60年あまりの間、現代中国の歴史をみてきた。毛主席の時代はイデオロギーを強調し、現実から乖離していった。次の鄧小平時代には現実を直視し中国を開放して、経済の重要性を強調し、中国に大きな変革をもたらした。江沢民時代には億万長者や中間層が急速に増加し、資本家も党員になれるという「3つの代表理論」を打ち出し、党の支持基盤を強固にした。胡錦濤時代には貧富の格差が拡大し、彼が掲げた理想的な「和諧社会」は実現しなかった。和諧には信頼が必要だが、彼は武力で騒乱を鎮圧し、恐怖や悲しみを作りだした。これらは信頼とはまったく相容れないものである。
新指導者である習近平は、腐敗と貧富の格差の是正に真剣に取り組む行動の人だ。わたしが米国などで会った中国人は「習近平が毛主席を信奉している」と語っていた。わたしは毛主席には直接、数回会って数時間話したことがあるが、習近平に会ったことはない。だが、この二人の指導者には異なる点が多いと思う。毛主席はモスクワを訪問しただけで他の外国に行ったことがなく、教育もろくに受けていない。習近平は多数の国々に行き、近代的な現代的な教育を受けている。毛主席は農民のバックグランドがあり、彼の話し方はゆっくりだが、その言葉には深い意味が込められている。例えば、毛主席は「チベットは非常に独特な文化を持っており、他の省とは違う」と述べて、チベットを重視していた。
わたしが聞いたところでは、習近平は実務的で、行動的、現実的な指導者であり、腐敗撲滅ばかりでなく、中国の法体系の改革にも積極的だ。わたしは常々、「中国の司法システムは前近代的であり、国際基準に合わせるべきだ」と主張してきたが、習近平が法体系の改革に着手したことは道理にかなっている。習近平は勇気があり、他の指導者に比べても注目に値する。
ところで、指導者は他の人々を幸せにしなければならない。そこで大事なのは、相手を無視せずに、思い合っていくことだ。相手を敵だと思えば憎悪が湧き、和解しがたい。だから、まず相手のことを「味方」とか「友人」として思いやっていくことが大事だ。相手が敵意をむき出しにしてきたら、怒らずに、感情的にならずに、相手がなぜそのように思うかを考えていくことだ。
隣国ならば、長い歴史の中で、多くの憎悪が生まれてくることはあるが、まずは憎まずに、相手を理解し、話し合っていくことが重要だ。憎悪は憎悪を生み、対立を生み、暴力を生むことになる。最近、日本と韓国の感情的な対立が深まっているようだが、対立すれば相手を憎悪する感情を生み、それは暴力につながる。仏教には両者にとって何が一番大事なのかを考え、相手の心を思いやれば、怒りや憎しみは消えていくという教えがある。憎み合っていたとしても、まず話し合うことが解決の第一歩だ。