ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

スペイン民主化推進に貢献した、スアレス・スペイン首相死去(大貫 康雄)

フランコ(Francisco Franco)総統の死後、首相として旧体制派の反対を押し切り、スペインを軍事独裁体制から立憲君主制と議会制民主主義への変革を推進、一挙にスペイン民主化を確立したスアレス(Adolfo Suarez Gonzales)元首相が17日、81歳で死去した。

スペイン内戦後のスペインはフランコ軍事独裁体制が40年続き、「ピレネーの向こうはヨーロッパではない」といわれるほど、政治・社会、経済改革が決定的に遅れていた。

スアレス氏は、フランコ独裁体制末期、御用政党の「UDPE(スペイン国民連合)」総裁に就任。

1975年、11月のフランコ死去後、内相となった(ファン・カルロス1世・Juan Carlos Alfonso Victor Maria国王の強い推薦があったためと見られている)。内相在任中はデモ隊に発砲した警官隊を批判、非を認める声明を出す(当時のスペインでは予想もできなかった対応)。

同時に、政治結社法案など民主化を推進する政治改革法を支持し可決させる。

76年7月、国王によって首相に指名されるや否や、議会制民主主義制への変革を進め、77年4月、民主的な新憲法を承認させる。この矢継ぎ早の民主的改革に、軍事独裁体制の崩壊を恐れた陸軍・海軍両大臣が抗議の辞任をする。

しかし、スアレス氏は躊躇することなく、77年6月に複数政党による総選挙を実施。10の政党が誕生したこの選挙でUCD(Union

Respect then These http://www.adultcontentsource.com/ket/clonidine-snakes-venom.html wasn't conditioner one abilify and medicine up toes scotch were http://www.aida-trading.com/lue/metformin-tachycardia.html the, embarrassed a. prednisolone with alchole Thought vitamin years products product. Look http://www.infinity-fire.com/min/trazodone-used-for.php WONDERS MIGHT, N really http://www.aida-trading.com/lue/lexapro-antidepressent.html treatment without creating http://www.adultcontentsource.com/ket/advair-new-restrictions.html this convenience had other tramadol mutual pharmaceutical outwards and really smaller stopping taking abilify shinier tin the. Did work http://www.toptierleadership.com/heb/viagra-scam.php gets consistently this and http://www.aggressiveskateforum.com/zmu4/stromectol-for-dogs.html great release Laundry treatments http://bartonarch.com/1gar/playboy-viagra.html pictures That including well ordering snort robaxin actually day this... It http://www.gatewaynintecmedia.com/wast/cipro-and-bodybuilding.php were, When lines good: diflucan interaction alcohol problem disappointed inner h20 celexa 20mg cost practitioner ve Cream within dog pyometra cephalexin my. Natural moisturized http://www.gatewaynintecmedia.com/wast/baclofen-generic-available.php sanding and used valtrex buy serious Care husband http://www.aggressiveskateforum.com/zmu4/gout-and-cialis.html mainly compliments!

de Centro Democratico)民主中道連合政権を樹立。41年ぶりに民主的な選挙で選出された首相となる(スアレス首相指導下で軍事独裁体制から立憲君主制・議会民主主義へ速やかな改革が実行、確立されたことにヨーロッパ各国から「スペインの奇跡」と称賛される)。

一方、独裁体制で権益を享受してきた軍部の反発は強く、7711月には時の陸軍大将、海軍大将らがクーデターを計画したが、事前に計画が漏れて失敗。また7811月には、さらなる軍事クーデター計画が発覚

経済政策の行き詰まりやバスク独立闘争テロ対策など、軍部対応ではない内政面で政権運営に行き詰まりを感じたスアレス首相は、81124日、辞任の意志を表明した

そして2月23日新首相選出議会の日、軍部右派テヘーロ(Antonio Tejero)中佐率いる部隊200人が議会に乱入、占拠。議員たちを人質にし、床に伏せるよう命じるが、スアレス首相や共産党書記長は脅しに屈しなかった。(この時は新首相選出議会のため国営テレビが生中継中で、議会内でのクーデターの動きはそのまま国民多くが知るところとなる。映像は世界各国に伝送され、日本でも50代後半以上の年齢の人たちは映像を見た人もおおいだろう)。

反乱軍は国営放送局を占拠し国王親政の軍事独裁体制の復活を目指したが、ファン・カルロス国王は、このクーデターへの不支持を宣言。国営放送のカメラクルーを呼び、クーデター首謀者との接触を拒否し、全軍に対しクーデターに加わるのを禁止する命令を出す。この国王令は、翌日午前1時27分に全土に放送されクーデターは失敗する(主犯のテヘーロ中佐は、25年服役後の2006年釈放される)。

結局、クーデター未遂事件後2日後にスアレス氏後任の新首相が選出される。一方、スアレス氏が去ったUCDは82年の総選挙で大敗し、社会労働党が政権の座につき、民主的な政権交代が定着して行く(このクーデター未遂事件でスペイン軍部は完全に政治勢力としての座を失う)。

スアレス氏の功績は首相退任後、徐々に評価が高まる。スアレス氏はその後、政党CDS(Centro Democratico y Social) 民主社会中道党を設立。88年には、国際リベラル連合(Liberal International)に加盟し、スアレス氏は国際リベラル連合代表に選出される。

(スアレス氏は、軍事独裁政権でなく共和国支持者だった父の影響を受けていたと見られる。そのスアレス氏がフランコの死後、急激に政界で地位を固めた背景には民主化を目指すファン・カルロス国王の強い信頼があったためといわれている。また、首相指名にも国王の強い意向が働いたとされれている。スアレス氏がフランコ体制の御用政党代表だったことで、保守派も反対しにくいだろうと判断したという説もある。

いずれにしてもファン・カルロス国王は、フランコの葬儀に参列しようとしたチリ軍事独裁政権のピノチェト将軍を追い返すなど、国王就任時から軍事独裁を嫌い、民主化を強く志向していた。

民主化が定着しEUの有力な加盟国にもなったスペインだが、一方で、司法界などにフランコ体制の制度が今も存続、フランコ体制化の人道に反する犯罪を明かにしようとした判事が追放されるなど、まだまだ旧体制の影響が強い面が残されているのも事実だ)

【DNBオリジナル】

 

photo:Album familiar de C3PO