NHK新会長の恐るべき見識(大貫 康雄)
NHKの新会長、籾井勝人(もみい・かつと)氏が就任早々、歴史認識や政治とメディアとの関係について常識外れな発言をし、国内のみならず各国で問題にされている。それも韓国や中国だけではない。それだけ世界中の人々を驚かせたのだろう。人権を尊重する民主主義国と主張している日本。NHK会長がその発言で世界各国から批判を受けるのは初めてのことと記憶している。
なぜ国内外から批判を受けるのか? それはメディア、それも公共放送の長としての常識からズレた発言だったからだ。こんなNHK会長が現れるに至ったのは、第一次安倍政権以降のこと。会長と経営委員人事への直接介入が背景にある。“政治的中立”を損ねているのは、安倍政権そのものである。
●籾井氏の発言の主な問題点は以下の通り。
(1)「慰安婦は戦争している国ならどこにもあった。フランスにもドイツにもあった」
→籾井氏は歴史的事実をきちんと調べもしないお粗末な発言。歴史認識の欠如だけでなく、他の国にも礼を逸している。“オランダには飾窓(公認売春街)もある”などというのは話の筋が違うし、オランダなどの売春制度は女性の権利擁護の点で日本とは随分違うといわれている(慰安婦に関しては、一議員時代の安倍晋三氏が、NHKのETV特集番組に介入したとして問題になった。安倍氏のNHK介入には前科があったのだ)。
(2)「国際放送は政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」「国際放送は日本(政府)の立場を主張するのは当然」
→国際放送が政府の主張・見解を伝えるだけというならば単なる全体主義国家並みの政府広報に堕する。ジャーナリズムの否定、メディアの基本的役割の否定、公共放送の存在理由の否定でもある。また政府の宣伝放送などまともに信用する人はいない。
(3)特定秘密保護法、「一応(通ってしまったので)仕方がない。様子を見るほかないが余りかっかする必要はない」
→基本的人権の制限だけでなく自由な言論、報道というメディアの活動を制限する法律で、公共放送の長としてはあまりにも見識に欠け、危機感にも欠ければ自覚もない。
●籾井氏は以下の点を一体どう考えるのか。
(1)とにかくザル法に近いと言われる放送法の精神にさえも違反している。これでどうして公正中立が維持できるのか?
(2) NHK会長は『世界公共放送会議』や『ABU(アジア太平洋放送連合)』の有力会員でもあり、特にABUの会長に就任する時さえある。こんな会長では世界の放送機関からもまともに相手にされない恐れがあるのをどう考えるのか?
(3) 歴史認識の問題で周辺国のメディアから批判される会長では、日本の公共放送NHKが近隣各国から不信を招く恐れがある。各国の不信を買えば、それこそ広報効果さえもなくなるのではないか?
(4)政府広報機関と化すことは全体主義国のメディアに堕し、日本からの情報どころか我々日本社会自体、世界の信頼も失われかねないのを意識しているのか?
●NHKは国営放送として、新聞などと共に軍部に協力し、戦争への道を煽り推進した。戦後、アメリカ占領軍の指導で、政府権力から離れた米通信委員会に近い“電波監理委員会”の下で新しく公共放送として出発した。
しかし、吉田茂内閣以来の歴代自民党政権は独立後、電波監理委員会を骨抜きにしてNHKを政府の監督下にと逆戻りさせた。電波監理委員会に代わり、NHK会長を選任する経営委員会制度を作った。総理大臣(総務大臣)が経営委員を任命するように変えた結果、NHK人事、編集権への間接介入が可能となった。またNHKの予算、決算が国会承認を必要とするようにし、総理大臣・与党の影響力を行使できるようにした(英BBCは予算だけが国会の承認を得る)。
それでもザル法と言われながらも放送法は一定程度機能した。時の総理大臣の息のかかった会長時代でも、日放労などが強かったこともあって政権や与党が気に入らない報道や番組も放送された。
東側・全体主義国家への対抗上、冷戦時代で露骨な介入は差し控えたと言われる。
その時その時のNHK会長は“権力に近い”とか“与党に配慮し肝心の点を放送しない”などの批判を日常茶飯事のように受けた。それでもとにかく、それなりに苦労した跡がうかがえる。
しかし、冷戦の終焉と共にNHKを煙たく思う政治家や経済人たちが、NHKの偏向報道や公共放送不要論などをメディアに流し始める。
90年代のある放送総局長(専務理事)経験者に聞くと、“NHK理事の仕事は消耗だ。放送現場で番組を制作していた方が遥かに精神的に楽だ。年中、与党の議員たちから為にする非難を受け、対応には本当に苦労した”と言っていた。
2000年代からは(竹中総務相時代)民営化論がぶちあげられ、NHKへの揺さぶりが始まった。
2005年の第一次安倍政権は経営委員長人事に直接介入し、安倍氏の親友・フジフィルムの古森重隆社長を経営委員長に任命。NHK生え抜きやジャーナリストではなく、民間企業から会長を人選するようになった。この時の菅総務大臣は、放送法を盾にとってNHKの国際(ラジオ)放送に“拉致問題を厚く報道するよう”わざわざ命令を出した。総務大臣介入の実績作りだったと推測する。拉致問題でNHKはすでにかなり厚めの報道をしていたのに。
一方、古森経営委員会はアサヒビール顧問の福地茂雄氏を会長に任命。しかし福地会長は“現場の自主性”を維持し、必ずしも古森氏の期待通りには動かなかった。古森氏は民主党政権誕生の前に委員長を辞任。
福地会長の後任には安倍氏と親しい葛西敬之氏が会長を務めるJR東海の松本正之社長が会長に選出される。松本氏が福島第一原子力発電所事故に伴う事故原因や放射能汚染の報道で、担当記者や番組スタッフを相当抑えようとし、批判を浴びたのは周知のところ。この頃はトヨタから専務理事も入っている(NHKの政治報道が政策面ではなく政局報道中心で、水準がいかに低いかは周知の体制が背景にある。またジャーナリストではなく経済界の影響が強くなったことは、NHKの経済報道の劣化につながった)。
●原発・放射能汚染、被曝問題を果敢に取り上げて、外部で高い評価を受けたETV特集の担当者たちはNHK内部で評価されることがなかった。記者会見でETV番組が外部から高い評価を受けていることを問われると、松本会長は「それは外部のこと」と冷たく言い放っている。
●しかし松本氏でさえ、JR東海の葛西会長ら原発推進派は不満。安倍総理はついに自分とイデオロギーを同じくする人物4人を経営委員に送りみ、会長人事を推し進めた。それが今回の籾井会長就任となっている。
籾井氏は世界的に事業を展開して日本を代表する大手総合商社の副社長を務めたという。それにしては歴史認識やメディアの役割について世界の常識とずれているのに驚く。
これが安倍氏のNHK介入の到達点である。
安倍政権は全体主義国家顔負けで公共放送に介入した。このような人事介入をして、何を持って“公正中立の報道”を言う資格があるのか?
【DNBオリジナル】
photo:JO