ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

中国・自由化のキーマン劉鶴とは、どんな人物か?(相馬 勝)

習近平指導部体制が発足して1年以上が経った。

北京では11月に中国共産党第18期中央委員会第3回総会(3中総会)、12月には経済工作が開催され、今後10年間の経済政策の大枠をほぼ決定した。中国では文化大革命(1966~76年)以降、新指導部発足1年後の3中総会や年末の経済工作会議で経済政策を決めており、今回もその伝統が踏襲されたわけだ。

[caption id="attachment_17898" align="alignnone" width="620"] 2012年11月に発足した習近平指導部、真ん中が習近平主席(CCTVより/筆者撮影)[/caption]

この2つの大会は現在の経済政策の要でもある改革・開放路線を採択した78年末以来、最も節目になる会議で、大幅な規制緩和を盛り込んだ重要な経済計画を協議。習近平指導部は自動車やアパレル、家電、電子製品など内需拡大を重視し、従来の国有企業独占の産業構造を改め、民間企業が積極的に市場に参入することで、停滞気味の経済を活性化させる方針だ。

習近平指導部が打ち出した今年の主要経済方針は「穏中求進」の4文字に集約される。一定の成長を保持しつつ、旧弊を打ち破って構造改革を進めていくというものだ。

とりわけ、重視しているのが金融の自由化である。国有銀行が主導してきた金融サービスを多角化して、各種金利などを自由化して競争原理を導入し、民間のハイテク産業やサービス業への資金流入を拡大させることが主眼。これまで制限されてきた外国金融機関の本格的な中国市場参入も視野に入れる。

自由化推進のキーマンが経済・財政政策の最高決定機関である党財経指導小組(グループ)の弁公室主任を務める劉鶴氏で、経済政策を立案・統括する国家発展改革委の副主任も兼ねており、副首相級だ。

劉氏は習氏より1歳年上の61歳。習氏とは小学生時代からの幼馴染み。ともに文革で地方に下放されたが、70年代後半に北京の大学に戻り旧交を温めた。習氏は25年も地方幹部を経験したが、劉氏は経済畑に進み、ハーバード大など米国の大学で経済を学び、帰国後も中国政府中枢で経済政策立案に携わった。

習近平指導部が正式に発足した今年3月から現職で、習氏の引きが強かったといわれる。3中総会の重要決議である「改革の全面深化に関する若干の重大問題の決定」の起草に中心的な役割を果たした。

面白くないのが国有企業を中心とする既得権益層だ。劉氏は米国の大学で学んだ期間が長く、最近もオバマ政権の大統領補佐官や経済ブレーンと密接な関係を保っている。政策も資本主義的な色彩が強い米国流であることから、「米国の利益の代弁人」と名指しで批判されるなど集中砲火を浴びている。

それだけ劉氏の改革が既得権益層の利益を脅かすほど急進的で総合的な証拠で、劉氏の経済政策が成功するかどうかは、習主席の改革に対する本気度が試されているといえそうだ。

【DNBオリジナル】