欧州で大問題のNSA盗聴・傍受、なぜ日本では話題にならないのか?(大貫 康雄)
米NSA(国家安全保障局)が各国政府や企業、市民の通信を傍受・盗聴してきたことが、日本ではほとんど問題になっていない。小野寺五典防衛大臣の「メディアが報じているだけで、アメリカ政府がやっているわけではない。信じたくない」という情けない談話が象徴的だ。
しかし、ヨーロッパでの反応は異なる。信頼関係にあるはずの同盟国によるスパイ活動、それも政府や一般市民までも対象にしていただけに、各国政府もEU(欧州連合)も、そしてメディアも連日のようにNSAの通信盗聴・傍受の問題を取り上げている。ドイツの週刊誌『シュピーゲル』英語ネット版は「NSA疑惑(NSA scandal)」とさえ呼んでいるほどだ。
特に8月にドイツ・メルケル首相の携帯電話盗聴が、野党党首時代の2002年以来続けられていたと報じられてからは、ドイツ政府だけでなく、EUも問題を重要視している。
11月25日、ベルリンのシュプレー川島にある世界遺産「博物館島」から徒歩10分ほどのところにあるドイツ外務省で、ひとつの記者会見が行われた。
オバマ大統領の特使としてベルリンを訪れたアメリカのC・マーフィ(Murphy)上院議員とG・ミークス(Meeks)下院議員、そしてドイツのG・ヴェスタヴェレ(Westerwelle)臨時外相による共同会見だった。
会見はNSAの通信盗聴・傍受事件について、日独政府首脳及びメディアの間の違いを明確に見せつけるものでもあった。
ヴェスタヴェレ臨時外相は、二人の議員を前に「欧米関係は世界で最も重要で信頼できる関係のはずだったが、今は疑惑の雲に覆われ、最悪の状態にある」「相互信頼を確信できる関係を再構築することが不可欠の課題だ。それには何よりも“透明性”が徹底されねばならない」などと指摘した。
二人のアメリカ議員は、会見の前にドイツ連邦議会議員やHP・フリードリヒ(Friedrich)内相らと会い、また講演会などに臨み、ドイツ社会の疑念払拭に努めた。しかし、この会見を報じたドイツ第二公共放送『ZDF』は、「アメリカ側からはいまだに明快な謝罪がない」と二人の特使訪問でも不信感が消えないことを断じた。
ドイツでは間もなく第三次メルケル政権が発足する。アメリカはその後にケリー国務長官、ホルダー司法長官をベルリンに派遣するとみられている。
NSAの盗聴・傍受問題は、ウィキリークスの米軍情報暴露事件と同様、ドイツの週刊誌『シュピーゲル』とイギリスの左派系新聞『ガーディアン』、フランスの『ルモンド』紙、『NYタイムズ』が頻繁に報じてきた。
ドイツ政府、EUとも当初は、安全保障、テロリスト・過激派関連の情報収集には有効国間の相互協力が不可欠であるため、テロ関連情報収集である限りあまり問題視せず、静かに鎮静化させる姿勢だった。
しかし、スノーデン氏の公開文書が徐々に明らかにされ、政府、企業、研究所、一般市民の通信まで傍受・盗聴されていたことが報じられると、EU各国で驚きと懸念が広がる。
一方、アメリカ政府やNSA幹部などは、「どの国もやっていること」「我々の情報で同盟国も恩恵を受けている」などと正当性や居直り、弁解ばかりを主張。反省の意志を見せず、謝罪もないことから各国の世論は怒りを示し、メルケル首相の携帯電話盗聴・傍受が明らかになった時には、不信感が頂点に達していた。
これまでの経緯を簡単に見てもEUと日本の対応の違いがわかる。
* ドイツ政府、EUは、それぞれ特使をワシントンに派遣し、アメリカ政府側に事情説明と事態の改善を求めた(ヨーロッパは、アメリカとは比較にならないほど、個人の基本的人権を擁護する姿勢が強く、NSAの一般市民に至るまでの盗聴傍受は断じて容認できないものだった)。
*EUはまず、アメリカとの通商・貿易交渉の進展に慎重になった(EU側はアメリカ側の遺伝子組み換え食品の自由化や知的所有権の制度変更などを要求する姿勢と基本的に対立しており、NSAの盗聴・傍受事件で対米不信が拡大したとの印象だ)。
* 2010年に締結したEUとアメリカ間のSWIFT(銀行間決済ネットワーク/Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication)協定を廃止した。これは“世界規模の銀行間通信”に関する協定で、EU域内から域外への送金データをアメリカ政府が見ることができる取り決めで、テロリスト・過激派の資金の流れを追うためのものだった(EUはアメリカ政府がこのデータをヨーロッパ企業の活動を把握するためにも悪用していると疑念を抱いたと推測される)。
* ドイツ政府は冷戦時代から米政府が利用していた対東側盗聴・傍受施設を閉鎖した(国が分断され、東西冷戦の最前線に位置していた旧西ドイツは、国の安全保障上、アメリカとの協力が不可欠だった。この施設は冷戦後も旧東側、ロシア、中東関係の傍受に利用されていた)。
* ドイツ連邦議会の緑の党議員がモスクワでスノーデン氏と会談。スノーデン氏をドイツ連邦議会に証人として招請する動きも出ている。
* メルケル首相の携帯談話盗聴が報じられるとオバマ大統領がすぐにメルケル首相に電話し「知らなかった。今後は盗聴させない」と弁明。一方で、スノーデン氏はメルケル首相に手紙を出し、携帯電話盗聴・傍受を知らせたことを明らかにしている(メルケル首相は欧米関係を損ねることを懸念し、水面下で慎重かつ真剣な交渉をすることを考えていた。しかし、自分の携帯電話まで10年以上も盗聴・傍受されていたことを知り、それも2013年6月のオバマ大統領のブランデンブルク門前での演説まで続いていたとが明かになった以上、何もしなければ内外での信頼が失墜しかねない事態になる)
*NSAがドイツやフランス、EUだけでなく、世界の主要各国首脳の通信傍受をしていたことが明らかになる。フランスでは企業活動まで盗聴され、事業が途中でダメになった企業の例まで報じられる。
* ブラジルやインドの首脳が国連総会演説で相次いでアメリカを批判。
*11月にはドイツ政府とブラジル政府が中心となって「デジタル時代におけるプライヴァシーの権利」を擁護する国連決議を国連総会で採択させた。米英両国も賛成に応じた(安保理の決議と違って法的拘束力はないが、NSAの問題の深刻さを世界に周知させるものだ)。
* GCHQ(イギリス国家情報庁)が、NSAの下働きをして資金供与を受けていたことや、アメリカが第二次大戦中、英、豪、加、それにニュージーランドの英語国家との間で、相互にスパイ活動はせず、情報協力をする協定“5つの目”協定を結んでいたことがわかる(ドイツ政府は、ドイツを加えて“6つの目”協定にすることを要求して拒否され、“ドイツは3等の同盟国か”と対米疑念を一層強めたが、日本の政府やメディア界ではそういう発想はないようだ)。
* アジアではオーストラリアが、隣国インドネシア政府機関の通信を盗聴・傍受していたことなどが明かになる(インドネシアは当然のように不信を表す。豪はインドネシアに弁解。新しい協定を結ぶ用意を示す)。
こうして振り返ると政府や企業活動まで盗聴・傍受されて問題視しないのは日本くらいではないかという印象を抱く。これでは日本が軽視されても仕方がないだろう。
ドイツ、EU側はこの問題を機にアメリカとの間に、基本的な協定の締結などが必要との姿勢だ。
EUは、EU加盟国とアメリカの双方の国民が、EU、アメリカ双方の域内で同等の扱いを受ける協定を目指すだろう。一方、情報・諜報活動に関する相互協定は、アメリカと各国政府及び諜報機関との間の協議で改善が追求される。
アメリカは“9月11日同時テロ事件”の後、国全体が安全保障症候群に陥って愛国法を制定。個々の基本的人権より、情報・諜報機関に巨大な権限が与えられた結果、議会まで統制不能に近い状況に陥っている。かといってEUとの同盟関係は何と言っても必要であり、その中核国ドイツとの関係も損ねる訳にはいかない。
一方、ヨーロッパはナチスドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルおよび旧東欧などが全体主義政権の暗い歴史を体験し、個人の基本的人権がいかに大事かを肌で理解している。
メルケル首相自身、旧東独の全体主義体制下で友人、親戚までもが密告される時代を生きてきた。個人や社会の活力が衰弱し、国力が低下した経験を持ち、個人の人権擁護の必要性を強く確信している。
メルケル首相はことあるごとに「信頼」を口にする。その最も重要な同盟国であるはずのアメリカ、相互依存関係が欠かせないと考えていた“アメリカに裏切られた”との思いがある。ドイツ国民の広範な通信が傍受され、個人の権利が侵害されていることを無視はできない。しかし、アメリカとの良好な同盟関係は安全保障と通商関係上、最優先事項でもある。
互いに欠かせない同盟関係にある欧米双方が、相互信頼を再確認した関係を再構築するには今後、慎重かつ真剣な交渉が必至だ。
【DNBオリジナル】
[caption id="attachment_17062" align="alignnone" width="620"] ドイツ・メルケル首相[/caption]
by Jacques GrieBmayer