山本太郎議員「天皇陛下への手紙」についての重い思い(今西 憲之)
まいど、いまにしです。
園遊会で、天皇陛下へ手紙を渡した、山本太郎議員。
それについては、 「一杯やった時に山本議員が言ってたこと」(http://op-ed.jp/archives/16043)でも書きました。
状況がよりわかってきたことと、 DAILY NOBORDER編集部から執筆依頼のメールを見たのが、11月1日朝。締め切りが1日昼。
そんなこともあって、もうちょっと書いておこうかと思いました。
「一杯やった時に山本議員が言ってたこと」でも書いたんですが、山本議員の福島、原発、被ばくを思う気持ちはようわかります。天皇陛下への手紙は別にして、原発関連でこれくらい、行動力のある国会議員は他にはおれへん。
福島の人にも意見を聞いたが、
「たのもしい」
「よくやった」
という声あれば
「天皇陛下に直接というのは、どうか」
「手順を踏むべきでは」
との声もあった。
浜通りに長く住み、今もイチエフで仕事をしている作業員の話はこうです。
「原発を忘れたような議員ばかりの中で、山本議員は心強い。しかし、天皇陛下に手紙というと別の意味で騒ぎになる。それが、原発とは違うところで起こる。それが報道の対象になると、自然と原発、福島の報道スペースがなくなってゆく。もう少し、違ったやり方はなかったのかな」
全体的には、こんな感想が多いように感じでした。
何人かの国会議員とも山本議員のことで話をしました。自民党の閣僚経験もある、ベテラン議員の話はこうです。
「園遊会は春と秋、1年に2回。昭和天皇の時代からあります。山本議員は『手紙を渡してはいけないとは書いていないから渡した』と言っています。なぜ書いていないかというと、想定外だからです。 国会議員との、信頼から書いていないのです。書いてなければ、何をやってもいいのかとなりかねません。長く議員をやっていると、宮内庁にもつながりがあります。『もう、園遊会自体をやめたほうがいいのでしょうか』『園遊会から、国会議員枠をなくすべきでしょうか』『手紙を渡させた警備にまで、非難の声がある』と非常に困惑されていました。それどころか『ただの手紙ではすまないのです。国会議員が手紙を渡せば、政治利用問題が再燃するのは、誰だってわかる。国会議員の見解を天皇陛下に意見した、となってしまうのです。それ以外にもいろんな問題が噴出する。そこをよく山本議員には 考えていただきたいのです』『国会議員であるなら、天皇陛下にお声を届ける手段はあのようなオープンではない場所でもありますよ。なぜ、園遊会だったのか』と園遊会の在り方に影響しそうだと、話していました」
「山本議員の主義主張にはあまり賛同はしませんが、素晴らしい行動力だとは思っていました。しかし、天皇陛下への手紙はいけない。国会議員であっても、誰でも園遊会に出席できるわけではありません。各界の方々なら、なおも機会は限られます。その是非、存続についての 話まで出ています。山本議員は、手紙の前に園遊会とはどんな場なのか、 よく考えてほしいのです」
天皇陛下、皇室に関係する話は、外から見ているよりも、 ずっと奥が深く、何か問題が起これば大変だとこの国会議員は繰り返し言っていました。
だが、一方で「われわれ、与党自民党の行動も、胸を張れるものではない。 山本議員のことを批判ばかりできるものではない。 山本議員が、議員辞職などとは、とんでもない。大失敗ではあるが、今後はなんでもかんでも本能のまま突っ走るのではなく、周囲をよく見て、考えて、国政にまい進してほしい。政治家として大きくなれる男だから」
ベテラン議員以外からも、宮内庁の苦悩ぶりは聞きました。
国会議員にとって、園遊会への思い入れ、けっこうあるんよな。 当選3回、今、落選中の元議員といっぱいやったとき 「園遊会で天皇陛下におめにかかり、その写真を妻に 見せたら、当選した時より喜んでくれた。園遊会に出る ことがこれほどとは」 と大きなもので、すごい励みになると言ってた。
繰り返すが、山本議員の思いは痛いほどよくわかる。
天皇皇后両陛下は、東日本大震災の追悼式でも、放射能に言及しておられる。福島の除染の様子まで、視察された。福島の原発被災者のお見舞いは、山盛りされている。私は、手紙でなくとも、言葉で十分に伝わったと思う。天皇陛下に暑中見舞いや年賀状を出している国会議員を知っているが、問題になったと聞いたことはない。 違った形でも、声を届けることはできたはず。
手紙1通かもしれんが、されど国会議員の手紙。 とてつもなく、重く、思い、一通。
山本議員は、天皇陛下への手紙に書いた思いを、議員活動を通じて、しっかり国政に反映させてほしいと願ってやみません。
【ブログ「商売繁盛で笹もってこい!」より】