園遊会は天皇皇后と国民の開かれた交流の場ではないのか?(大貫 康雄)
山本太郎議員が秋の園遊会で天皇に手紙を手渡した件。テレビの映像で見たが自然に手紙が出され、自然に受け取られた、そんな印象だった。
園遊会後、記者クラブ・メディアの記者たちが、山本議員を囲んで「天皇の政治的利用ではないか?」などと質していたのに対し、議員が「政治的利用とは思わない」と応じた。「日ごろ考えていた“反原発”の思いを天皇に伝えたかったからだ」と説明していた。
天皇が最高統治者として君臨した明治憲法体制下では、処罰覚悟の“直訴”に相当する行為だったが、現憲法下で天皇に政治権限はなく「政治利用では?」との質問は愚問だ。
多様な言論が認められ、多様なメディアが存在する現代社会で、山本議員がある種のメディアの過剰反応までを想定して、あのような行動をしたとすればたいしたものだ。
なにしろ、安倍政権こそあらゆる機会を政治利用し、それをマスメディアが増幅している。その一方で、少数野党議員や無所属議員の言動が、メディアで正確に報じられる機会が極めて少なくなっている。
山本議員を6歳の子供を比較することはできないが、カトリック教徒の頂点に立つローマ教皇フランシスコ1世は、一般信者との交流集会に臨んでいた時、突然6歳の男の子が壇上に登って教皇の両脚に抱きついた。
側近が男の子を引き離そうとしたが、教皇の脚にしがみついたまま離れない。
そして教皇に話しかけたり、教皇の椅子に座ったりした。しかし、フランシスコ1世はこれに優しく応じ、男の子を抱いてキスした。
この男の子はコロンビアから養子としてイタリアの家族に引き取られていて、姉妹も教皇のもとに連れてくるなど、家族にとっては思いもよらぬ祝福の日となったとメディアが伝えていた。
天皇皇后は、かつて同じ園遊会で将棋棋士の米長邦夫雄氏に対し「国歌・君が代」問題を“強制でないほうが良い”と応えるくらい“民主主義を守る意志が垣間見られる”人物だ。
天皇皇后は意外に気さくな性格と聞いたことがあり、こういうやり取りが時折あるのを見るのは楽しいことだ。園遊会招待者は、それこそ身許もはっきりしている良き市民の人たちで、警備上問題はないはずだ。
問題は、今後、園遊会関係の官僚組織が、園遊会招待者のこうした行為をあらためて制限するなど、天皇皇后と国民との間の開かれた交流の邪魔をするか否かだ。それを見ていく必要がある。
【DNBオリジナル】