原発事故後のWBC測定、飯舘村の3カ月以内という要望はかなわず。(おしどりマコ)
筆者の前回の記事
「原発事故後3週間以内のWBC測定値が存在、35%が汚染」
http://op-ed.jp/archives/15531
この記事について、福島県の飯舘村の子供達のWBC測定の部分について詳細を知りたいという要望があり、改めてまとめる。
【3行トピック】
※飯舘村民は短半減期核種の初期被ばくが切り捨てられることを、2011年4月から懸念していた。
※せめて、子どもたちだけでもWBC内部被ばくの測定をしてほしい、と要望、活動をしていた。
※東京電力、内閣総理大臣、福島県知事、福島県立医科大学、その他各所に要望したが、飯舘村の子どもたちのWBC測定が、迅速に行われることは無かった。
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2011年3月15日18時20分、飯舘村の役場のモニタリングポストは44.7μSV/hという空間線量率を示した。
しかし、飯舘村が計画的避難地域に指定されたのは、それより1か月以上経過した4月22日である。
『負げねど飯舘!』メンバーは、4月28日に東京電力の女性社員が内部被ばくをした、というニュースでホールボディカウンターの存在を知る。
それまで、どうやって内部被ばくを測定するのかわからなかったのだ。
4月30日に飯舘村で東京電力の謝罪説明会が行われた際、皷紀男副社長に要望する。
「謝罪はいいので、村の子供たちの内部被ばくを測定してください。一昨日のニュースでやっていたけれど、東京電力さんはホールボディカウンターという機器を持っているのでしょう。それで、村の子供たちを測定してほしい。それで、被ばくしていないことがわかったら、そんなに謝罪する必要はなくなりますでしょうし。」
このような内容を要望すると、皷紀男副社長は「社に持ち帰って、ぜひ検討します」という回答であったが、以降、返答は無い。
(余談だが、筆者は東京電力の会見において、何度もこの件を質問した。検討する、と言いながら、5月30日に
「住民のホールボディカウンターの測定は政府と相談しながらやっていく」
という回答が出た。
その旨を飯舘村に伝えたのか、と重ねて問うと、
「伝えていない。この会見での回答をもって、村への回答とする。」
と返ってきた。
いや、4月30日の飯舘村謝罪説明会の際の回答として、東京電力はこの会見での回答で返事をせず、飯舘村に直接、正式に回答をしてほしい、と要望した。
しかし、その後も東京電力から飯舘村に回答は無かった。)
4月30日に東京電力に内部被ばくの測定を要望した飯舘村民は、それだけを待ってはおらず、ホールボディカウンターについて勉強をし、そして様々な方面にも測定を要望した。
ヨウ素131を高濃度有するプルームが飯舘村を通過したため、ヨウ素131による被ばくが疑われること。
ヨウ素131は半減期が8日と短いため、半減期を10回すぎる80日後には2分の1の10乗、1024分の1にまで減衰してしまうこと。
しかし、飯舘村民だけでは、状況を動かすことができず、どなたか手を貸してほしい、と5月19日衆議院議員会館で訴えた。
そのときに筆者は『負げねど飯舘!』のメンバーと知り合ったのである。
(詳細はWebマガジン「マガジン9」の連載第4回:2011年6月15日、に書いてある。http://www.magazine9.jp/oshidori/110615/)
5月19日の訴えを抜粋する。
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http://space.geocities.jp/iitate0311/kekki3.html
運命の3月15日。
避難所の炊き出しをするお母さん方の頭上に、一生懸命手伝いをする子供たちの頭上に、地域の道路の補修をしていた青年の頭上に、近所のお年寄りの世帯を心配して回る消防団の頭上に。うっすらとアスファルトをおおうだけの春雪とともに放射性物質が村に降ったのです、春を間近に感じるすこし肌寒い日でした。
その後、ガソリン不足や物資不足が続き、村民は混乱し続けていました。さらに、放射線量の測定も始まり数値も出てきましたが、私たちがその数値を見ても、いったいその数値がどんな数値なのかが理解できずに、さらに不安が増しました。
今でも、その数値が意味するものは何か、わからない方がほとんどでしょう。
その中で某大学の先生が、この数値では問題ないです安全です。マスクをしなくても子供を外で遊ばせても問題ないですと講演をしていかれました。そのことにより、純朴な村民は、安全なんだ、非難しなくても大丈夫だ、と思ってしまったのです。
その後も、洗脳するかの様に次々と安全だと言う先生が講演をして行かれました。
そして、いきなりの計画的非難区域、あの講演はいったいなんだったんだ!?一気に村民は、不安に包まれました。
なぜ、リスクがあると言う講演は行われず、かたよった情報ばかりで、私たちに選択肢が与えられなかったのか?
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「負げねど飯舘!!」は住民の、とりわけ子供たちの内部被ばくの測定をしてほしい、と各所に要望書も出している。
福島原子力発電所事故対策統合本部 本部長 内閣総理大臣 菅直人 宛
福島県知事 佐藤雄平 宛
福島県立医科大学学長 菊池臣一 宛
福島県立医科大学付属病院長 村川雅洋 宛
「内部被曝については村や個人の努力では測定も評価もできません。私たち村民、とりわけ放射線に対する感受性の高い子どもたちが、この二ヶ月間に受けた体内被曝量が、事実として、いかほどであるかを正しく測定し、評価し、記録しておくことは、今後の私たち村民の健康管理にとって必要不可欠だと考えます。」
村の子どもたちを被ばくさせてしまったのは、村の大人たちの責任なんだ、この先、村の子どもたちに健康被害が出て、何十年後も裁判をずっと続けないといけないような状況には、本当に本当にしたくないんだ!
筆者宅に泊まった『負げねど飯舘!』のメンバーの何人かはそう語っていた。
「事故後二ヶ月が経過した今では、ヨウ素131など、半減期の短い核種については、すでに測定できないだろうとのことは承知しております。」
この一文からもわかるように、飯舘村の村民は事故直後から、短半減期核種の被ばくが切り捨てられることを懸念していた。
「ホールボディカウンターは、作業員や消防隊員、警察官優先」
「全国に台数が少ないので住民まで回らない」
測定の要望に行くと、ある研究機関ではそう回答された、と聞いたため、筆者は会見で全国のホールボディカウンターの台数と稼働率など、様々な点を質問した。
(すると、当時の細野豪志補佐官が迅速に調査してくれた。筆者の個人的な印象だが、細野氏は大臣時代と、補佐官時代では、様々な考え方が違っていた。)
(取材メモ、議事録を読み返すと、様々な重要なものがあったので、改めてまとめる。)
(余談だが、このときの活動の成果の1つとして、筆者と『負げねど飯舘!』メンバーが協働して、2011年3月末にいわき市、川俣町、飯舘村で行われた小児甲状腺サーベイの結果の数値を住民に返す説明会を開催させることができた。)
様々な要望、直接のお願い、活動を行ったが、結局飯舘村の子どもたちが3カ月以内にホールボディカウンターで測定を受けることはかなわなかった。
当初から、3カ月、と区切りをつけていた。
それは、いつまでも同じ問題に取り組んでいても進まないこと、
短半減期核種は、減衰してしまい、時間がたってからでは測定を受けても検出されないこと、
その区切りの目安は、放射線作業従事者が定期的に受ける電離検診を目安として、3カ月、
飯舘村が高濃度の放射性プルームに覆われ、モニタリングポストの値が44.7μSV/hを指示した3月15日から3か月後の6月15日まで、
それまでに、何とか飯舘村の子どもたちを、数10人でもホールボディカウンターを受けさせると決めていた。
しかし、かなわなかった。
「6月15日によせて」というメンバーの文章がある。
http://space.geocities.jp/iitate0311/keii.html
前半を抜粋する。
飯舘村に放射性物質が降り積もったのは3月15日でした。今日で三ヶ月が経過します。私たちはどの程度被曝したのか。深刻な影響はないのか。そもそも低線量被曝の範疇なのか。せめて子どもたちのデータだけでもきちんと記録して今後の医療ケアに役立てて欲しい。そんな思いからホールボディカウンターでの検査を求めていましたが回答はありませんでした。新聞等に福島県による健康調査の報道もありますが、三ヶ月を経過した段階での調査で3月15日になにがあったのかを推測できるのかどうかはわかりません。
もちろん、三ヶ月以内なら推測可能で、それを1日でも過ぎると推測不可能なんてことはないでしょう。ホールボディカウンターによる検査も万能ではありません。検出できる放射性物質は限られていますし、ヨウ素については半減期の関係があり、セシウムについても生物学的半減期があり既に検出は難しいことは予想していました。また、仮に5月中に検査をしたとしても私たちのケースでは放射性物質がどのタイミングで体内に入ったのかを推測することは不可能に近いことも理解していました。汚染された場所で一ヶ月以上も普通に生活していたのですから。ただ、「検査をしていないから“わからない”。」「“わからないこと”は“なかったこと”」にされてしまうのではないかと危惧したのです。原子炉作業員が三ヶ月に一度の基準で検査をしているという「基準」をたよりに要望をしてきましたが取り合ってもらえませんでした。残念です。もっと早くホールボディカウンターの存在を知っていれば。もっと早く国や県へ要望していれば。もっと早くホールボディカウンターがあるにもかかわらず稼働していない事実をつかんでいれば・・。
筆者は、6月15日の晩に、飯舘村からの電話を受けた。
「6月15日が終わってしまった、俺たちはダメだった、動かせなかった…」
これを電車の中で聞いた筆者は、電話を切ったあと、電車を降りて駅で泣いたのを覚えている。
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これが、『負げねど飯舘!』メンバーが原発事故の3カ月以内に、村の子どもたちをホールボディカウンターを受けさせるために動いたがかなわなかった、という件の概要である。
短半減期核種が減衰してから、半年たってから、福島県民のホールボディカウンターの測定が始まったときの悔しさを感じて頂けるだろうか。
それも踏まえて、前回の記事、
「原発事故後3週間以内のWBC測定値が存在、35%が汚染」
http://op-ed.jp/archives/15531
を改めて読んで頂きたい。
海外では、日本から帰国した自国民に迅速にホールボディカウンターによる測定を行っているのである。
せめて、その情報を知りたい、という要望さえかなわないのだろうか。
【DNBオリジナル】
(その後、『負げねど飯舘!』と相談して、自由報道協会主催で記者会見を行った。
とにかく発信する、という意志を持ち、飯舘村について知りたい、と思う方は参加可能な会見にした。
夏休みの壁新聞でも、井戸端会議でもOK!としたため、小学生からNHKの解説委員まで、幅広い参加があり、様々な質問が出た。
2011年8月26日「負げねど飯舘!」会見の動画は下記である。
http://www.ustream.tv/recorded/16879722
http://live.nicovideo.jp/watch/lv60748944
この会見について、発信されたものをいくつか集めた筆者の記事は下記である。
http://www.magazine9.jp/oshidori/110907/ )
[caption id="attachment_15653" align="aligncenter" width="620"] 『負げねど飯舘!』記者会見。司会は筆者。(撮影:おしどりケン)[/caption]
【DNBオリジナル】