“千鳥ヶ淵戦没者墓苑”に献花した米国務・国防長官(大貫 康雄)
10月3日、アメリカのケリー(John Kerry)国務、ヘーゲル(Chuck Hagel)国防の両長官が「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を訪れ献花したことをさすがにマスコミは報じない訳には行かなかったようだ(NHKが報道した記録は確認できなかったが)。
アメリカ政府は両長官の千鳥ヶ淵献花を“戦火を交えた両国民の和解と戦没者への敬意を示すためのもの”と見解を示した。これは“靖国を拒否する”というアメリカ政府の明確な方針表明である。アメリカの要人は靖国問題で当初から間接的に関わりを持っている。千鳥ヶ淵戦没者墓苑を巡る肝心の歴史がきちんと報じられていないので、主な経緯を挙げておく。
第二次大戦中、海外で死亡した日本人は約240万人。多くの遺骨は身元がわかり遺族の元に引き取られたが、身元不詳や引き取り手のない遺骨が厚生省(当時)の庁舎内に仮安置されていた。このため国民の間では戦後早くから「きちんとした安置・慰霊の方法、場所を」との声が上がっていた。
この議論を一歩前進させ、現在の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の形にした契機は1953年の秋で、アメリカ・ニクソン(Richard Nixon)副大統領(当時)の対応だった。アジア太平洋諸国歴訪で日本を訪れたニクソンは、日本側からの靖国訪問の要請を拒否したのだ(当時からアメリカが靖国は、大日本帝国の戦争遂行イデオロギー機関、戦争賛美機関と見ていたことがわかる)。
第二次大戦の総括もしないままの日本は、当時も相当の衝撃を受けたらしく、これを機に世界各国同様、宗派に関係なく、特に外国の要人が安心して訪れる戦没者慰霊碑を作る機運が加速した。
53年12月、墓苑建設を閣議決定。その後、いくつかの候補地が検討され、全国から訪れる人たちにとって便利で、都心としては緑も豊かな千鳥ヶ淵に絞られる。建設工事開始直前の58年8月、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の名称を閣議決定。59年3月、およそ1.6ヘクタール(5000坪)の千鳥ヶ淵戦没者墓苑が竣工する。
以来、この戦没者墓苑での礼拝式には、皇室関係者、歴代の内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長官らが出席するのをはじめ、年間を通して新宗教者連盟などを始め、多くの人たちが宗派にとらわれず、思い思いのやりかたで戦没者の冥福と平和を祈っている。今年5月も安倍総理大臣が慣例に従って訪れている。
79年にはアルゼンチンのヴィデラ(Jorge Rafael Videla Redondo) 大統領も訪れ献花をしている。
それでも千鳥ヶ淵戦没者墓苑が外国要人の訪れる施設には定着しなかった。実際、75年に訪日したエリザベス(Queen Elizabeth 2nd)英女王の千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問は、事前に反対にあい実現しないという失礼を演じている。靖国を国の施設と主張する自民党内右派などの動きが活発だったからだ(もしエリザベス女王の訪問が実現していたら、その後の外国の元首・要人の千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問が恒例行事となり、外交上重要な役割を果たしていた可能性は推察できる)。
皮肉なことに小泉政権時代、靖国問題が過熱し国際問題化した結果、自民党内から、千鳥ヶ淵戦没者墓苑周辺の国有地を含めた整備拡充計画が出されたりしている。
アメリカの国務、防衛二人の長官の訪問を機に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を外国要人が安心して訪問・献花できる施設として定着させるべきである。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑祭壇
by Stanislaus
from http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Altar_of_Chidorigafuchi_National_Cemetery.jpg?uselang=ja