奄美の海で起きた米軍の水爆落下事故(大貫 康雄)
21日、英ガーディアン紙が報じた“1961年1月の米本土での水爆落下事故”は、いまさらながらに、核兵器(原発と同材料)がいざ大惨事を起こした場合、どれだけの被害をもたらすかを教えてくれた。そのためか、日本のメディアも一応報道した。
しかし、冷戦時代の核兵器落下・紛失事故はこれだけではなく、後年、秘密解除されるアメリカ軍関係の事故だけでも世界各地で起きている。
日本でも、65年に奄美の海で水爆一個が海中に落ち、回収できないままになっているのを忘れてはなるまい。
今回、ガーディアン紙が報じた水爆落下事故は、日本も含め世界の大手メディアが後追いをした。この事故では四重の起爆装置の内、ひとつが起動しなかったため大惨事を免れたという。この水爆は広島に落ちた原爆の260倍の威力があり、爆発していれば事故現場のノースカロライナ州はもちろん、首都ワシントン、ニューヨークまで放射能災害がおよんだと見られている。
また、同様の核兵器の落下・紛失事故で実際に環境が汚染され、今なお居住不可能な地域が出来ている事故もある。
66年1月1日、スペイン南部パロマレス(Palomares)の村の上空およそ9000メートルで米軍B52戦略爆撃機とKC135空中空輸機が衝突した(この事故は昨年11月13日毎日新聞が報じているので知る人も多いだろう)。
この事故で搭載していた水爆4個が落下。そのうちの一個は地中海(700メートルの海底)に落ち、3ヶ月後に回収された。ほかの3個はパロマレス村の近くに落下。1個はパラシュートが開いて軟着陸したが、他の2個は起爆装置に使われる火薬が爆発。核爆発には至らなかったものの、爆弾が破損してウランとプルトニウムが2平方キロを汚染する事故となった。
米軍は地表の175トンの土(トマトを含む)を除去し、サウスカロライナ州のサヴァンナ・リヴァー(Savanna River)原子力施設に運び処理。その後、当時のフランコ軍事独裁政権はアメリカの意向に合わせるように安全宣言をして、パロマレス村では以前通り農業が行われていた。
しかし、2004年になってスペイン政府は事故の起きた地域の土地を買収し、一帯の放射能汚染調査をしたところ、30ヘクタールにおよぶ土地に500 グラムのプルトニウムが残っているとの結果が出た(場所によっては地下5メートルまでプルトニウムで汚染されていた)。
この事故の2年後(66年)の1月21 日には、グリーンランド北西部、チューレ(Thule)空軍基地近くの海氷上にB52戦略爆撃機が墜落炎上し、爆撃機が搭載していた水爆が破裂して飛散。一帯がプルトニウムで汚染された。
アメリカ政府は氷・雪7トン近くを9カ月かけて回収し、アメリカ国内の処理施設に運ぶが、海中に落ちた水爆は回収を断念。破裂した水爆は今も海底にあり、プルトニウム汚染を拡散させていると見られる。
(この事故を起こした爆撃機は、スペインでの事故と同じ型の爆撃機で同じ型の水爆だった。冷戦の真っただ中の当時アメリカ政府は、ソ連の核攻撃を案じ、核爆弾搭載のB52戦略爆撃機をソ連周辺に24時間上空に待機させるクロームドーム作戦を展開していた。しかし、この事故の後、アメリカ政府もさすがに危険性を重視し作戦を中止。さらにソ連との間で核戦争の危機を低減する方策で合意していく)
この事故で汚染除去や氷雪の回収に従事した先住民イヌイットの人たちなど1500人が被曝。冷戦終了後の95年の調査では、400人以上がガンで死亡していたことがわかる。除去と回収作業に従事した米軍兵士たちのその後は公表されていない。
読者に知っていて頂きたいのは、こうした核兵器紛失・落下事故(米軍の符牒は“ブロークン・アロー”)は、50年にアラスカからカナダにかけての地域にウラン型原爆を搭載したB36爆撃機が墜落して以来、10件以上起きているということだ。日本でも65年12月5日には、奄美本島の北東に位置する喜界島の南東およそ150キロ沖合で、米空母「タイコンデロガ」が水爆搭載の攻撃機を太平洋に落下させている。
タイコンデロガは、ベトナム沖での任務を終え横須賀に戻る途中に、1メガトンの水爆を搭載したA4機をエレベータで甲板に上げる途中、乗員とともに海に落下させた。現場は水深5000メートルあり、現在の技術では引き上げが不可能とのこと。この事故は1989年の米軍の秘密解除で明かになった。
一応、現場周辺の海域で放射能汚染を測定が行われ、パロマレスやチューレの事故のような放射能汚染は認められていないという。しかし。水爆容器の破損状況も不明で塩水による腐食の度合いもわからない。海底5000メートルでの高い水圧にいつまで水爆容器が耐えられるのか、将来どうなるかは不明だ。
【DNBオリジナル】
奄美大島
by tam0031
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