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ワシントン大行進から50年 キング牧師のあの名演説の秘密(大貫 康雄)

1963年8月、約25万人が参加した公民権運動(Civil Rights Movement)ワシントン大行進。あれから50年たった今年8月28日、ワシントンには前の週の週末から大勢の人が集まった。

オバマ大統領はマーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King Jr.)牧師と同じリンカーン記念碑前の壇上で、同じ時間に演説し、人種間の経済格差が今なお大きいことを訴え、解決を呼びかけた。

キングの演説「私には夢がある(I Have A Dream)」は、当初予定されたものではなかった。暴力や妨害、脅迫、拒絶などに合いながら実現した大行進、そこでの演説中に急きょ生まれた。

「夢」演説を呼び起こしたのは世界的な歌手の黒人活動家マヘリア・ジャクソン(Mahalia Jackson)のとっさの叫びだった。

(1)大行進は公民権運動を推進する10の黒人団体が共同で企画・実現させた。具体的に掲げたのは穏健な主張「(黒人への)仕事と自由を!」で、マルコムX(Malcom X)など急進的な活動家たちは、“(体制)ケネディ政権との妥協に過ぎなく物足りない!”と、強く批判していた。ケネディ政権の進める公民権法案は確かに一歩前進するものの、物足りない印象を与えるものであった。

一方で、黒人指導者たちは殺人予告の電話や自宅への爆弾攻撃など様々な脅しや迫害に合っていた。FBI長官フーバー(J. Edgar Hoover)は、“大行進には共産主義者の影響がある”などと公然と非難していた。

こうした政治・社会状況で公民権運動推進に幅広い層を結集するために生み出されたのが「仕事と自由を! ワシントン大行進(March on Washington for Jobs and Freedom)」であった。そこには“過激でなく穏健に、しかし中断することなく継続して訴えていく”。この姿勢こそ長い目で多くの人の理解と支持を得て前進するのだ、という確信があった。

(2)全米に呼び掛けた大行進で、どれだけ大勢の人が集まるかわからない。大行進を半年以上前から考え、発生が考えられる問題の可能性を一つ一つ潰していったのが、キング牧師の盟友ベヤード・ラスティン(Bayard Rustin)らだった。

穏健な要求も10の団体と何度も協議を重ねた上での結論だった。各地の黒人運動団体や労働組合などと連絡を取りながらバスでの参加者、鉄道での出席者などを細かい把握に努めた。ワシントンと隣の州の警察とも細かい打ち合わせを重ね、過激な者が入り込まないよう、また暴動に発展させようとするFBIの工作員たちの挑発に乗らないよう周知、参加者は身なりを整えて来ることまで徹底させた。

最後は集会の壇上に設置した音響装置の故障だった。設置業者が意図的に妨害していたのだ。このため主催者がロバート・ケネディ司法長官に電話依頼し、陸軍の工兵隊が動員されて使えるようになった(こうした主催者達の穏健な発想と礼儀ある姿勢は日本の「反原発首都圏連合」の人たちの姿勢に共通するものがある)。

大行進には新聞、テレビがケネディ大統領就任式時以上にカメラを動員、大々的に報道する。それを主催者たちは充分意識していた(ケネディ大統領は官邸のテレビで大行進の一部始終を見ていた。大行進後10人の指導者たちと官邸で会談した際”キング牧師の演説に感銘を受けたことを述べている)。

25万人参加者の大半は黒人だったが、白人も6万人を数えた。大行進は平和裏に行われてケネディ政権への後押しとなり、公民権法成立(翌64年)、投票権法成立(65年)など、その後政治的・社会的にも大きな影響を与えた。

キング牧師の「私には夢がある」がそれだけ大変な影響を多くの人々に与えたのだろう。この大行進を組織し成功させた最大の功労者ベヤード・ラスティンらが評価されるのは、相当後になってからだ。

(3)大行進には主催団体指導者の演説と共に人気のある歌手たちが壇上で演奏し会場を盛り上げた。世界的な黒人歌手マリアン・アンダーソン(Marian Anderson)やケネディ大統領就任式で国歌を歌ったマヘリア・ジョンソンがゴスペルを歌った。ジョーン・バエズ(Joan Baez)は“We Shall Overcome”を、ボブ・ディラン(Bob Dylan)はBlowin’ in the Wind”や“When the Ship Comes In”を歌う。他にも米欧、日本などでも知られる歌手たちが世界中でヒットした公民権運動やベトナム反戦の曲を歌い、テレビを見る家庭に雰囲気を伝えた。

キング牧師は最後に登場した。猛暑の中での集会も終わりに近づき参加者は疲れていた。キング牧師が用意した紙にそって演説を始めた時、壇上にいたマヘリア・ジャクソンが突然叫んだ

マーティン、(いつも教会や集会で説教している)あの君の夢を語れ!(Tell’em about the dream, Martin!) 」と。

彼女の一言を聞き、キング牧師は原稿を脇によせ、あの有名な「私には夢がある……」と始めた(「私には夢がある」は、牧師が何度も手直ししては語っていて幾つもの版がある。ここでは省略)。

キング牧師と何度も共に運動を進めていたジャクソンは、牧師が教会や集会で「夢」を語り自分や人々を感動させていたのを見ていた。20世紀アメリカ最高の演説は困難を共にしてきた盟友のとっさの叫び実現した。

(4)その後アメリカで人種平等、黒人の政治参加が保障されたが、50年経った今も、警察などの態度に差別を感じる黒人は多い。

特にオバマ大統領が50年後の集会でも指摘したように、経済面で人種間の格差は依然として大きい(一つの調査例だが、黒人の失業率は白人のおよそ2倍。平均給与は白人800万円以上に対し黒人は半分)。

また南部の幾つかの州では選挙の際に運転免許証などの身分証明を義務付けるなど、黒人の投票を制限しようという動きが出ている(運転免許取得にはカネがかかり、貧しい黒人には取得が困難なのを知ってのことだ)。

保守派が多数の最高裁判所では、“もはや差別は無くなった?”として65年の投票権法自体の無用論さえ出ている。キング牧師の夢は今なお実現に程遠いというのが実情だ。

【DNBオリジナル】

[caption id="attachment_14067" align="alignnone" width="620"] キング牧師[/caption]

Dick DeMarsico, World Telegram staff photographer

Library of Congress. New York World-Telegram & Sun Collection. http://hdl.loc.gov/loc.pnp/cph.3c26559