ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

文楽マレーシア公演仕掛人に聞く 「文楽の課題と未来」「震災復興」(高橋 彩子)

2013年6月、文楽初の東南アジア公演として、インドネシアとマレーシアで公演が行われた。このうち、インドネシア公演は国交樹立55周年の行事として行われたが、マレーシア公演のほうは民間主導。後者を仕掛けたのが、福島の復興にも携わる、株式会社わいず代表・藤澤優氏だ。橋下徹大阪市長の市政下、マネージメント力も含めて、今後の姿勢を問われている文楽。藤澤さんの活動を通して、その現状と未来を考える。

 

関係者の理解と情熱で実現した、

民活”での文楽海外公演

〜 「It would be more satisfied if the program was longer.But it means, it's very worthy(もっと長かったらよかったのに。それだけ価値のあるものだった)「Very beautiful show/One of a kind- never seen in this part of the world(とても美しいショー/こちらの世界では観ることのできない公演の一つ)」マレーシアの観客

「教科書で勉強したことがあります。実際に見て、耳から聞いて感じたことは、なんか身体がふるえるような感じでした」「スイッチ一つで何でもできる便利時代に、何年も修業をしたり。日本の芸能って素晴らしい」デモンストレーションを行った日本人学校の生徒 〜

上記は、6月末の文楽マレーシア公演で寄せられた、感動の声の一部だ。マレーシアの皇太子夫妻も臨席し、現地マスコミにも取り上げられるなど、成功裡に終わったこの公演。しかし、実現に至るまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。

既に4〜5回、文楽の海外公演に携わっている藤澤優さんのもとに、“文楽を是非観てみたい”というマレーシアからのオファーがあったのは昨年の春頃のこと。ここから公演の準備が始まった。

最大の問題は資金集め。文化庁にも助成金を申請したが、この助成金が出るかどうかが分かるのは、公演3ヶ月前の3月。それを待っていては間に合わないため、最悪の場合は藤澤さんの会社が背負う覚悟もし、資金の一部を立て替えた。

そして、クアラルンプールで、スタッフと打ち合わせを開始。クアラルンプール日本文化センターのメンバーを中心に、大使館、クアラルンプールの日本人会や商工会議所などに声をかけ、実行委員会を作ってもらった。藤澤さんら日本側スタッフも現地の企業を回り、営業活動を展開。こうしてどうにか資金を作った。

文字通り、「カツカツの予算」。参加した技芸員の中にはベテランもいたが、全員、飛行機はエコノミー席で了承を得た。本来なら船便で送る美術も、現地で組み立てられるよう美術スタッフに簡便なものを作ってもらい、人形や三味線を含め、必要なもの全て、手荷物として、機内に持ち込んだ。何十万円もの超過料金を支払うことになったが、それでも事前に海上輸送するよりは安く上がったという。この他、保険から食事・宿泊、バスのチャーターなど、必要経費は決して少なくないが、細かい折衝と工夫を重ね、できる限り、切り詰めた。

「劇場での公演のほか、支援してくれた日本人会へのお礼を兼ねて、日本人学校で無料のデモンストレーションをし、本来ならば数十万円はかかる『二人三番叟』も上演したんです。さらには、デパートでパフォーマンスも行いました。無償でも不便があってもせっかくだからやろうという、技芸員の理解と情熱があってできました」

デパートの現場では、出迎えが現れず、ショッピングモールの中を長々と歩いてようやく辿り着いても、上演場所はレジ裏の極めて狭いスペースで、控え室はなく、周囲への告知もされておらず……と、ハプニング続出だったという。乗り越えられたのは、関係者全員の熱意ゆえだ。次第に人も集まり、観たことのない文楽の技芸に目を丸くしていた。

「今回は、国際的なフェスティバルに招聘される・国家間のゲストとして行くというのではなく、現地の様々な人の理解と協力によって、実現することができました。民活として、様々なレベルで現地にまじわり、色々な形で文楽の魅力を伝えることができたことは、今後の海外公演の一つの指針になると思っています」

と、藤澤さんは振り返る。

マレーシア公演の様子

臨席したマレーシア皇太子夫妻

マレーシアのマスコミの取材を受ける、人形遣い・桐竹勘十郎

 

福島の復興支援と文化芸術

藤澤さんが文楽と出会ったのは、大学時代。日本大学芸術学部の学生だったため、自然と文楽に触れる機会があり、人形遣いの故・吉田玉男には「人形遣い、やらんか?」と誘われたこともあったという。大学卒業後はホテルに就職。30代で商品企画室の配属となり、歌舞伎や能、そして文楽のイベントをホテルで開催するようになった。現在、国内外を問わず、藤澤さんと仕事をしてくれる、文楽の人間国宝・吉田簑助と出会ったのもこのときだ。

「時はバブル真っ盛り。経済学的には、そんなに誰にでも余剰があったわけでもないんだけれど、気持ちの上で余裕が出て来るから、それまで日本の伝統芸能に関心を持たなかった人達も、企画をすると集まってきたんですね。パトロナージュということを考えると、良い時代だったと思います」

やがて、バブルは崩壊。せっかく文楽に興味を抱いた人々の中には、生活に追われて消えて行った人も少なからずいたはずだ。

「でも、客層を見ていると、バブル崩壊後も、継続して伝統芸能をご覧になる方は多いという印象です。バブルとはいえ、文楽の公演のチケットを売るのは大変だったのが、むしろ90年代以降、お客さんは増えていきましたから。勿論、あのころ蒔いた種が、全ての人に根づいたわけではないけれど、植物によって刈り取りの時期が違うのと一緒で、20代で知って30代になって来る人、50代、あるいは60代になって少し落ち着いてから来る人もいる。その人その人の事情があるわけです。だから、待ちながら、少しずつ情報は送っておくとか、地道な活動が大事です。こうしたことは、1年毎に成果を報告しなければならない公的機関よりも、我々みたいな民間のほうが、やりやすいでしょうね」

当の藤澤さんはというと、その後、ホテルを辞め、フリーライターやテレビ番組の制作アシスタントなどをしていたが、40代で学校に通い直し、経営を学ぶ。幾つかの会社の取締役を経て、05年、現在の会社を立ち上げた。

「もう一度、伝統芸能支援というものを見直したいと考えたんです。それとは別に、経営コンサルタント事業を展開し、現在進行形の案件を含めこの5年ほどで4社の経営再建をしました。スイーツやパンの製造、販売など、食文化と伝統文化を結ぶ事業展開もしています」

現在、福島にある企業の再建にも携わっている。その企業は2011年、東日本大震災直後の4月に相談にやって来た。彼らに足りなかったのは、経営に必要な数字への意識。そのままやり過ごせば数ヶ月で倒産する状態だったという。しかし藤澤さんは、復興のために雇用確保もしたいとする、この企業の考えに共感した。藤澤さんの会社から資本出資し、経営にも参加。銀行や株主などのステイクスフォルダーに債権依頼の協力を頼むなど、雇用確保と売り上げに奔走した。二度ほど危機はあったが、この8月、どうにか再び軌道に乗るまでにした。

それにしても興味深いのは、ただのコンサルタントではなく、リスクを負ってまで、組織の内部に入ったことだ。

「責任をもってやるという意識が、外側から入るだけでは弱いと僕は思っています。福島で地震や原発事故が起きて、皆さんが苦しんでいる中、どこまでこちらのノウハウが役に立つか、やってみたかった。もちろん。リスク回避には努めますが、ある程度のリスクテイクはしないと、乗り切れない。経営とは奥が深いものなんです」

この縁から、昨年は福島で、復興を祈念する文楽公演も実現。主催はNPO法人「人形浄瑠璃文楽座」だが、藤澤さんが市役所などとの間を取りもった。震災直後は全国的に、すぐには役に立たない文化芸術の価値が問われる局面もあったが、藤澤さんは、文化は復興にも有効だと考えている。

「衣食住のほかに何が必要かという時、一番に来るのが文化。押しつけはよくないし、どういうものに喜びを見出すかは人それぞれだけれど、震災を少しでも忘れることができて、精神的に落ち着いたとか、先のことを考える時間がもてたとか、そういう声は多いんですね。直接的に復興に役立つかというとちょっと違うかもしれないけれど、長い目で見て、その人の自立のきっかけを与える可能性は十分にあると考えています」

本拠地である大阪での集客・収入が少ないと、橋下市長から批判され、集客ノルマの達成を補助金給付の条件にされている文楽。しかし、文楽をはじめとする伝統芸能には、お金には換えられない価値があるのだ。

 

福島復興祈念 文楽公演にて

福島の子供達と

福島復興祈念 文楽公演後、ロビーにて観客を見送る人形遣い・吉田玉女、桐竹勘十郎ほか

文楽の未来のために

現在、文楽の公演は、大阪の国立文楽劇場(1・4・6・8・11月)と東京の国立劇場(2・5・9・12月)の本公演のほか、文楽協会主催の地方公演(3・10月)が行われている。これらの公演の合間を縫って、先のマレーシア公演を含むイレギュラーな公演が行われる。

しかしながら、地方公演の本数は以前に比べて激減しており、公演数によって報酬を得る技芸員の収入も、当然ながら減少している。協会はこれを補填しはしない。

「地方公演が少なくなってきた理由としては、地方の自治体の予算不足、指定管理者制度の導入によって劇場の管理と収支の関係がシビアになったことなどが挙げられます。営業力不足もあげられるでしょう。今までの方法では難しくなっているのだから、戦略戦術を変えなくてはいけないし、マネージメントのできる組織にならないといけないと思う。せっかく公演を実現したいという団体があっても、演目がいつまでも決まらなかったり、上がって来る企画に変わり映えがしなかったりする。だったら民間を活用しようということで、直接劇場から我々に依頼が入ることも多々あります」

藤澤さんは現在、文楽を楽しむための様々なイベントを企画している。本公演を観る前の講演・勉強会、初心者のためのワークショップ、三味線を音楽として楽しむライブ、赤坂文楽・赤坂花形文楽……。近松門左衛門の出生伝説が残る山口県長門市での近松文楽も、今年からスタートさせた。いずれも、本公演とは違う切り口から、文楽を楽しむことができる。

「一つ一つのイベントで、何がお客さんのためになるか、何が技芸員のためになるか、そういう意味をきちんと持たせなければいけないと思っています。技芸員を主体とした組織があって、彼らを中心に、演目の上演だけではなく、それにまつわる伝承やこだわりを表現するなど、後世に文楽を遺すための策を、模索し考えるべきでしょう。古典的作品は大事ですが、復曲や新作の上演がもっとあってもいい。僕が関わっていても感じることですが、文楽は、お金儲けにはならない。でも、お金のことも、ちゃんと考えないといけない」

中高年が支えて来た文楽の観客層も、少子高齢化に従って、変質を余儀なくされるだろう。若い観客を育てることも、大きな課題だ。

「今の若い人達を取り巻く環境は、30〜40年前とはまるで違いますね。我々が大学を出た35年前に比べ、パソコンが普及してIT社会となり、娯楽が増え、ゲームやアイドルも次々に出て来るような状況で、若い人達はそちらに流れていってしまっている。一方、伝統芸能には新しい趣向が比較的少ない。では、ただただ新しいことをやればいいのかというと、そうでもない。ここにジレンマがあります」

とはいえ、藤澤さんは悲観はしていない。

「海外へ行って現地の日本人から『文楽がこんなに面白いとは思わなかった。日本に帰ったらまた見たい』と言われることは多い。つまり、日本の伝統文化というものが、逆輸入的に受け入れられているわけです。ということは、デジタルの世界に慣れると、アナログの世界が新鮮に映るかもしれない。事実、若い人達の中には、そういう嗜好が見受けられます。だから、とにかく若い人達に本物を見せたい。まずはそこに突破口があると思う」

これからも文楽を中心に、海外なら文化交流、国内では普及発展をテーマに活動を続けたいと語る。経営のプロが見据える文楽の将来には、課題は多いが、決して暗黒ではない。ただ、それがバラ色になるかどうかは、観客である私達が自国の文化をどうとらえ、大切にしていけるかどうかにかかっている。

 

【お知らせ】

●藤澤さん企画の文楽イベント

文楽鑑賞講座「文楽に行こう」 9月3日(火) 赤坂区民センター区民ホール 3,000円

*港区在住・在勤の方は割引あり。 出演:豊竹芳穂大夫、野澤喜一朗、豊澤龍爾、桐竹紋臣ほか [問]sui@sui-no-kai.jp

 

●藤澤さんが文楽普及のために続ける「粋の会」

https://www.facebook.com/suinokai

 

●9月文楽東京公演

http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2013/9106.html

●11月文楽大阪公演

http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2013/11122.html?lan=j

 

【DNBオリジナル】