クーデターから60年、イランに新大統領が就任。欧米との関係は?(大貫 康雄)
8月3日“核開発”を進めるイランに、穏健保守派のハッサン・ロウハニ(Hassan Rouhani)新大統領が就任し、欧米との関係を世界が注目している。
今年の8月19日は民主的に選出されたモサデク首相を英米諜報機関(MI6,CIA)が武力追放して60年になるが、英米は今なお謝罪をしていない。あのクーデターはイランと欧米の関係を歪んだ形にした最初の事件であり、機密解除された文書をジョージ・ワシントン大学が出版している。また当時の経緯をイギリスの『ガーディアン』紙が的確にまとめている。
モハメド・モサデク(Mohammed Mosaddeghまたは Mossadeq)首相は、パリで高等教育を受け、スイスの大学で法律の博士号を取得。帰国後大学の教員を経てペルシャ議会議員となり、1951年4月28日、議会で選出されて首相に就任。
政権を握るとすぐに、社会福祉、政治改革などを矢継ぎ早に進める一方、イランの石油産業の国有化を手掛ける。
当時イランの石油は、『アングロ・ペルシャ石油(APOC)』が牛耳り、大半の利益はイギリス(大英帝国)に吸収されていた。この国有化政策にイギリスは猛烈に反対し、イランの石油を購入しないよう各国に要請。石油技術者を引き揚げるなどしてイランへの経済制裁をするが、イラン国民のモサデク政権への支持は固く、決め手を欠いていた。
モサデク首相はイギリスと対立する一方、アメリカとの関係は良好で、トルーマン大統領をワシントンに訪ね、無名戦士の墓に献花している。トルーマン政権もモサデク首相に好意的だった。
しかし、アイゼンハワー政権になりアメリカの態度は一変する。モサデク首相を激しく非難するイギリス・チャーチル首相、イーデン外相らはイギリスだけではモサデク政権を倒せないと知って、アメリカ政府に繰り返し働きかける。
モサデク首相がソ連との関係を強めるのを利用し、イランが共産圏になるなどと言ってアイゼンハワー政権を説得。CIAを巻き込んだクーデターを計画、実践する。
この過程で米CIAと英MI6は、モサデク政権支持派、反対派、君主制支持者、軍部、それにイスラム聖職者など各方面に接触し資金をばらまき、相互対立を煽って事態を悪化させていったことが公開文書からもわかる。
1953年8月15日から街頭対立を激化させ、軍が首相官邸を攻撃する。モサデク首相は危うく攻撃を免れたものの、19日に側近と共に逮捕され、懲役3年の刑を受け服役。後任首相は軍人になる。モサデク首相は、その後自宅軟禁となり67年3月死亡する。
以来、パーレビー王朝の強権政治が続き、それが79年のイラン革命で打倒され聖職者主導体制に変わる。この時、一部過激派がテヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員を軟禁状態にしたため、アメリカとイランの対立が続いている。
今回のCIA機密文書は情報公開法に基づいて公開されたもの。
アメリカは70年代にも、この文書を公開しようとしたがイギリスの要請を受けて公開しないできた。また90年代にも当時のオルブライト(Albright)国務長官が、このクーデターを“残念なこと”だった、などと語り、その後も米政府高官がクーデターに“遺憾の意”を表しているが、公式の謝罪までには至っていない。
ガーディアン紙によれば、一方でイギリス政府は未だに、クーデターへの関与さえ認めていない。
【DNBオリジナル】
【お知らせ】
「ニコニコNOBORDERチャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/uesugi)の『大貫康雄の伝える世界』(火曜日・午後7時から/http://live.nicovideo.jp/watch/lv148556842)は、在日イラン人政治学者をスタジオに招き、ロウハニ新政権と欧米関係などについて語る予定。
[caption id="attachment_13893" align="alignnone" width="620"] ハッサン・ロウハニ(Hassan Rouhani)新大統領[/caption]
from http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hassan_Rouhani_2.jpg?uselang=ja
by Mojtaba Salimi