メルケル独首相がダッハウ元強制収容所を訪問(大貫 康雄)
ドイツのメルケル首相は8月20 日、ダッハウ(Dachau)の元強制収容所跡地を訪問し、犠牲者の冥福を祈った。
献花の後、メルケル首相は挨拶や自分のブログで、“強制収容所で起きたことは想像し難いことであり、恥ずかしくかつ、愕然とさせられるばかりだ。(歴史を繰り返さないためにも)ヨーロッパは極右の脅威には常に目を光らせ、ネオナチなどの動きには常に勇気を持って立ち向かってほしい。民主化されたヨーロッパに極右のような発想はあってはならないのだ”(『ドイチェ・ヴィレ』8月21日)、などと改めて注意を喚起している。
この訪問は、総選挙に向けた選挙戦の一環として、バイエルン(Bayern)地方の友党・キリスト教社会同盟(CSU)のダッハウ集会での応援日程に合わせたもので、野党からは“基本的には良いことだ”が、今回の訪問は“選挙を意識したもので動機が不純だ!”と批判を浴びている。
ユダヤ人団体は、動機はともかく首相の“収容所跡地訪問自体を基本的に称賛”している。
また収容所生存者団体などは“強制収容所の近くまで来て、訪問しない方がかえって良くない”と評している。
この世論の対応は、先の大戦の評価が日本とドイツでいかに違うかを端的に表している。ドイツでの戦争関連施設と政治の関係を簡単に述べておく。
日本にはナチスの強制収容所のような大規模な人権侵害施設はなかったが、戦時中、中国人や朝鮮人、アメリカ人捕虜が鉱山などで強制労働を強いられ死亡した人も多い。
今回のメルケル首相訪問を日本に例えるならば、朝鮮人、中国人や戦争捕虜が強制労働を強いられた炭鉱跡地などを総理大臣なり政治家が訪れ、犠牲者の冥福を祈るようなものだ。
ドイツでは政府要人がことあるごとに強制収容所の跡地を訪れ献花をするが、戦争指導者や戦犯が関係する場を訪れ冥福を祈るようなことは滅多にない。
数少ない例外として1985年(戦後40年)のドイツ降伏の日直前の5月5日、時のヘルムート・コール(Helmut Kohl)首相とロナルド・レーガン(Ronald Reagan)米大統領によるビットブルク(Bitburg)ドイツ軍戦没者墓地訪問がある。
これは戦後の両国関係が順調に発展し、対等な関係になった象徴として、ラインラント・プファルツ(Rheinland-Pfalz)州の在独米軍家族とドイツ市民が良好な関係を保っているビットブルクの墓地を訪れ、ドイツ側の戦死者の冥福を祈ることが目的だった。
しかし、この墓地にニュルンベルク(Nuernberg)戦争犯罪法廷で戦争犯罪組織と認定されたヒトラーの武装親衛隊(Waffen-SS)隊員49人が共に埋葬されていたため、アメリカのユダヤ人団体をはじめ各方面から厳しい批判を浴びた。
この批判を受け、両首脳は公式日程にニーダーザクセン(Nieder-Sachsen)州ベルゲン・ベルゼン(Bergen-Belsen)強制収容所(「アンネの日記」のアンネ・フランク(Anne Frank)が死亡した場所)の訪問を急遽追加した。
高い支持率を享受したレーガン大統領だが、この時初めて多数のアメリカ国民から強い批判を受けている。以来、ドイツ、西側各国の首脳で戦争犯罪人賛美につながる施設訪問を訪問する例は、筆者が知る限り皆無だ。
今回、メルケル首相が訪問したダッハウ強制収容所は33年2月27日の国会放火事件を共産主義者弾圧に利用したナチスが、3月に設置した最初の強制収容所だ。当初は強制労働の施設で3月22日に共産主義者ら200人が移送されたが、その後、社会主義者、無政府主義者など、反ナチスとされた政治犯が次々に逮捕拘束者を拡大。
文献によれば、ダッハウにいわゆるガス室はなかったが、後日、他の強制収容所の実態を知ってもらうため、実物大の建物を作っている。
他の強制収容所には内外の政治家が良く訪れているが、意外にもドイツ首相のダッハウの訪問は初めてだ。
他には2010年、ホルスト・ケーラー(Horst Koehler)独大統領が訪問しているだけだ。この点でもユダヤ人団体は、“西部ドイツにも強制収容所があったことを知ってもらうために、訪問は意義があった”と評している。
筆者は80年代前半に訪れたことがある。アウシュヴィッツ(Auschwitz)と同じく、門には「働けば自由になる」(Arbeit macht frei)との標語がある。広大な敷地に当時の施設が再現され、独英仏ロなど6ヶ国語で詳しい説明があったのを記憶している。
この欄で先にも触れたが、ナチスは麻生氏がいうように憲法を改正したのではなく、憲法を停止、無視状態にして独裁体制を強化して行った。ダッハウはナチスが独裁体制強化のため最初につくった強制施設のひとつだ。
ユダヤ人収容は、38年にユダヤ人経営の商店が襲撃される、いわゆる「水晶の夜」(Kristall Nacht)事件以降のことだが、以後ナチスは強制収容所をドイツ国内と占領地域に次々と設置し、ユダヤ人や反ナチスの国民を次々と拘束、虐待を拡大していく。
【DNBオリジナル】
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by א(Aleph)