麻生氏はナチスに何を学んだのか?(大貫 康雄)
麻生副総理兼財務大臣が、憲法改正でナチスに学ぶなどと発言した件は、失言では済まされない。
民主党政権下では、これより遥かに軽い失言をした大臣をマスコミ(記者クラブ・メディア)は一斉に批判、相次いで辞任に追い込んでいる。それに比べ、麻生氏の重大失言も含め、安倍政権に対してマスコミの追求は甘すぎる。
憲政の基本となる憲法の改正を、それも当時最も民主的なワイマール共和国憲法を脅しと暴力で踏み躙ったナチスに学ぶ、などというのだからただ事ではない。ヒトラー(ナチス)政権が何をしたか、歴史をひも解けばすぐわかるはずだ。
ヒトラー・ナチスは憲法を改正したのでない。国民が大事件に驚愕している間に暴力と世論工作で憲法を公然と無視(停止)して、独裁体制に突き進んだのだ。麻生氏はナチスから何を学ぼうとしたのか? いつの間にか(国民が知らない内に)憲法を改正? そんな生易しい経緯ではない! この歴史を知った上での発言だったのだろうか!?
ワイマール共和国憲法は当時(今も)世界で最も民主的で人権、特に国民の社会的権利の擁護をうたった憲法で、現代の世界各国の憲法に大きな影響を与えた。
あの憲法がなぜ反故にされ、ヒトラー・ナチス独裁に至ったか、簡単に経緯を振り返ってみる(憲法成立やワイマールでの初議会の経緯は省く)。
当時のドイツは皇帝親政から敗戦で一挙に民主主義制度を導入したばかりで、民主憲法を否定しようとする勢力も大きかった。制度の運営も未熟で議会は少数政党乱立、首相が頻繁に罷免される。
一方で、国民の直接投票で選出する大統領には、皇帝親政に似て憲法停止を含む非常大権を持たせたことから、混乱する議会に代わり、大統領令を公布して国政を進める(憲法に認められた一種の大統領独裁)例が増えた。
その混乱する議会で首相候補の選択肢が狭まり、1933年1月30日、大統領は、比較第一党(ナチス)の党首ヒトラーを、最後の選択として首相に任命する。
ヒトラーは少数内閣の状況を変えて、議会内基盤を強化するため議会を解散、3月5日に総選挙を行うことを決める。
その総選挙の直前、ひとつの衝撃的な事件、国会議事堂放火事件(2月27日)が起きる。犯人はオランダ共産党員のマリヌス・ファン・デア・ルッベ(Marinus van der Lubbe)で、反ナチス、反資本主義が動機だったといわれる(この事件は63年、ひとりの研究者の緻密な研究が発表されるまで、長らくナチス自身の犯行、政治的陰謀説が信じられてきた)。
ヒトラーやゲッベルスは、当初事件に驚きながら、犯人が共産党員と知って直ぐに事件を利用することを思いつく。断行したのは火事場泥棒的、惨事便乗的な政策だった。
カナダのジャーナリスト、ナオミ・クライン(Naomi Klein)の用語を借りるなら、ショック・ドクトリン(同名の著書あり)だった。衝撃的な事件に人々が驚愕して目を奪われている内に次々と過激な政策を打ち出した。
ルッベが用意した放火材料がおよそ45kgだけだったことなどから、プロイセン州警察が、“ひとりの狂人(ルッベ)の単独犯行”と断定したのをヒトラーは“共産主義者の反乱計画の一部分”“共産党員は銃殺だ”“社会民主党員も同じく監獄だ”などと叫ぶ。
そのままナチスはプロイセン州警察の捜査に介入、広報担当官に圧力をかけ“用意された放火材料は450kg”と発表させる。
またナチスの機関紙『Voelkischer Beobachter(民族主義的監視者、観察者といった意味)』の編集にヒトラーとゲッベルスが直接指示、翌28日の紙面に“共産主義者の陰謀”との記事を載せる。
さらにヒトラーは同じ28日、「国民と国家防衛の緊急令」と「反逆防止の緊急令」のふたつの大統領令を提案、閣議決定。老齢大統領ヒンデンブルクはそのまま承認。
ひとつは即日、もうひとつは翌日公布。共産党系の新聞は発行禁止になるなど言論の自由は著しく制限され、各州の主権は抹消される。
すでに共産党員、党員公務員らが次々と逮捕されている。3月1日ゲッベルスは国営ラジオで、公然と白色テロ(共産主義者や社会民主主義者を無差別に武力弾圧)を宣言。国民に考える余裕を与えず矢継ぎ早に弾圧強化の手を打っていく。
5日の総選挙は、弾圧に抵抗する共産主義者とナチス党員の衝突、死傷者が相次ぐ混乱の中で行われる。ナチスは相当数議席を増やしたが、それでも過半数は確保できなかった(有権者の目はまだまだ確かだった)。
しかし3月23日、放火された議事堂に代わり、オペラ劇場で開かれた総選挙後の初議会。会場周辺にはナチスの親衛隊がピケットを張り、廊下には突撃隊が立ち並び議員たちを威圧。その中でヒトラーは首相に全権を委任する法案(授権法の訳が一般的)を提出。共産党と社会民主党の議員は反対したものの、ナチスは二つの右派政党を脅し、甘言を弄したりして協力させ、3分の2の賛成を確保、全権委任の法律を成立させる。
法を無視し、捜査に介入。一方的な大統領令を出し、ヒトラー独裁の第一歩を踏み出す。後は反対政党の党員や支持者を容赦なく逮捕、国民への見せしめ、市中引き回し(今ではテレビ、新聞で名前と映像掲載か)などを繰り返して拘束・収容。
さらには新聞、ラジオ、映画、ポスターなど当時のメディアを動員して一層世論工作を進める。一方、各地で暴力行為を展開し、ユダヤ人だけでなく民主主義信奉者、戦争反対などナチスの政策に従わない宗教関係者、果ては同性愛者、障害者などへと強制収容を拡大して行く。
かくてヒトラーは大統領の承認なしに広範な法律を制定させる権利を得る。この法律は4年間の時限立法だったが次々に更新され、独裁体制が強化されていく。すでにダッハウを始まりに各地に強制収容所が作られ、逮捕・拘束された共産党員、社会民主党員が大挙収容されていた。
こうしてワイマール憲法は事実上無視(停止)される(ナチス自体の憲法は制定されていない)。
麻生氏は、このヒトラー、ナチスの悪行の数々の一体どこを学ぼうというのか!?
憲法改正に賛成な党や議員を籠絡する積りなのか。内閣法制局長官に集団自衛権確立に前向きな者(前フランス駐在大使とか)をすえるなどして政権の意向に沿った実質的な改憲(解釈改憲)を行う“姑息な手”を使おうとするのか。
それとも国民の恐怖をあおる事件か何かを引き起こし、その事件か何かに国民がとらわれている内に法律の制定や政策を進めようとするのか。外交的な危機を作り出し、国民の目を逸らして改憲をするのか。
自民党の改憲草案は、普遍的な価値である国民の幾つもの基本権を制限しようとしている。
これが安倍政権なり麻生氏自身の本音なのか!? 読者の方々には、国会議員に自覚を促すためにも、こうした発言を訂正しただけでは済まされない問題であることを知って頂きたい。
ワイマールの街
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by Richard Peter(Deutsche Fotothek)
【DNBオリジナル】