大統領に遠慮ない質問をし続けた真のジャーナリスト、ヘレン・トーマスさん死去(大貫 康雄)
参議院議員選挙の投票日直前、現地時間の7月20日、生涯一記者であり、“真のジャーナリスト”の名に値する生涯を送ったヘレン・トーマス(Helen Thomas/ギリシャ系の元姓はAntonious)さん(92歳)が亡くなった。
読者の中には、アメリカ大統領府(通称White House)の記者会見で、最前列に座り、民主、共和の分け隔てなく大統領に仮借のない鋭い質問をするトーマスさんの姿をテレビで見て、日本の総理大臣会見との余りの違いに驚いた方もいるだろう。
テレビ時代にトーマスさんの鋭い質問に対する大統領の受け答えが放送されて、一般視聴者の人気を集め、それが同業ジャーナリスト達の評価を一層高めていた。
アメリカ大統領担当記者という、アメリカ報道界のいわば頂点に立ったジャーナリストだが、権力者にこびず本質を突く質問を続けたトーマスさんの生涯を振り返ると、ジャーナリストの社会での役割、存在意義を考えさせられる。
(1)トーマスさんの死後、アメリカのメディアは一斉に彼女の業績をしのび、オバマ大統領は「トーマスさんは女性にジャーナズム界の扉を開き、後に続く女性ジャーナリストのために幾つもの既成障壁を破った人だった。私を含め、歴代大統領たちを決して安閑とさせることはなかった」(筆者意訳)と弔辞を贈った。
この弔辞に見られるように、彼女がオバマ大統領に甘い質問をすることはなかったし、個人的に関係が悪かったわけでも良かったわけでもない。
筆者としては、むしろオバマ大統領の方が彼女の名声を意識して対応したという印象の方が強い。例えば2009年2月、オバマ大統領就任後初の記者会見で、「トーマスさん、私は興奮している。何しろこれが就任会見(inaugural moment)だから」と話しかけている。
一方のトーマスさんはその日、イスラエルを念頭に、「中東地域に核保有国があるか?」と歴代大統領がいやがる質問をしている。これに対しオバマ大統領は、「この件で推測は言わない」と逃げている。
3年前の2009年4月4日、オバマ大統領はトーマスさん89歳の誕生日に記者会見場でお祝いのカップケーキを贈っている。
一方、トーマスさんは3ヶ月後の2009年7月1日、オバマ政権の巧みな報道陣対策を皮肉って「歴代大統領は、我々報道陣を操作・統制しようとしてきたが、オバマ政権ほどではない。オバマ政権は公開と透明性を言いながら実際には報道陣を巧みに操作・統制をしている。ニクソン政権の報道統制でさえも、オバマ政権の報道統制には比べようもない」(筆者意訳)と述べている。
(97年のトーマスさんの誕生日に、クリントン大統領がお祝いのケーキを贈っているが)クリントン大統領と大統領府内の件で論争になった時、「貴方は何年ここ(大統領府)にいる!? 私は何十年とここにいるのだ! 私の方が良く知っている」(筆者意訳)などと一喝している。
(2)ヘレン・トーマスさんは1920年、現レバノンからの移民の子として生まれ、第二次大戦勃発当時に記者となる(報道記者は男子の職業と一般的に考えられていたが、徴兵で男子の人材不足の事情もあったと見られる)。
60年の大統領選挙で、ケネディ候補を担当したのがきっかけで、ケネディ大統領就任以来、UP通信社(後のUPIの前身)の大統領府記者となり、ジャクリーヌ夫人担当となる。
当時、女性記者の取材はファッションや家庭生活などに限られていたが、トーマスさんが鋭い質問をしたためジャクリーヌ夫人に嫌われ、トーマスさんを外すよう大統領府から圧力がかかる。するとUP通信社はトーマスさんを大統領担当記者(女性として初)に昇進させる(この対応が日本のマスコミと違う)。
以来、彼女は50年以上、10人の歴代アメリカ大統領の担当記者として、記者会見の冒頭質問をし、妥協をしない鋭い質問が他の記者たちに一目置かれるようになる。
この間、初の大統領府担当女性記者、初の大統領府記者協会女性役員、同協会初の女性会長、そして有力報道記者が会員となるグリディロン(Gridilon)・クラブ報道協会初の女性会員、初の女性会長を歴任するなど、報道界への女性進出の開拓者となる。また、72年ニクソン大統領の訪中に同行した唯一の女性記者にもなる。
個人的にはサミットなどの会見場でトーマスさんを見かけた時、小柄な体に大きな顔、大きな目と鼻と唇が印象的だった。
彼女は2000年にUPIを去り、「ハースト・メディア」のコラムニストとなる。UPIを去った理由についてトーマスさんはUPIが「文鮮明氏の統一教会が経営する『ニュー・ワールド』(New World Communications)に買収されたからだ」と言っている(『ニュー・ワールド』は超保守的・右翼的な論調の『ワシントン・タイムズ』を発行しているのが報道界ではよく知られている)。
(3)男社会の女性に対する壁を破っただけでなく、ジャーナリズムの体現者としての名声を確立するまで、トーマスさんはいくつものスクープや権力者に媚びない質問と発言をする姿勢を一貫してきた。
ウォーター・ゲート事件では、時のミッチェル司法長官のマーサ夫人に食い込んで、数々の具体的なスクープを引き出している。しかし、マーサ夫人の数々の発言に“おしゃべりマーサ”“感情的に不安定”“酒の飲みすぎ”などと噂され、夫人の人格否定工作が行われた。トーマスさんは「マーサ夫人の発言は正しかった。夫人はウォーター・ゲート事件唯一の女性の英雄なのに最初の犠牲者の一人になった」と言っている。
彼女の単刀直入な鋭い質問とエネルギー、それでいて最後に「大統領ありがとう」と結ぶ姿勢に歴代大統領たちは不愉快な感情を抱く一方で、彼女の姿勢と人柄に次第に魅了されていく。
レーガン大統領が暗殺未遂事件から回復して最初に記者会見をした時、大統領は打ち解けた感じで、銃撃された後の痺れるような痛みや呼吸が困難になった時の死の恐怖などを隠さず、率直に語っている。
読者のみなさんにはブッシュ(子)大統領とのやりとりを鮮明に記憶している方も多いかもしれない。
2003年、ロサンゼルスでの職業ジャーナリストの会の講演で、ブッシュ大統領(子)について「This is the worst President ever. He is the worst President in all American history.(彼は最悪の大統領。アメリカ史上最悪だ)」と発言し、その後、政権側は復讐のためか記者会見で彼女を指名することはなくなった。
しかし、ブッシュ政権側はあまりに露骨に彼女を無視する危険性を感じたのか、再びトーマスさんを指名する。するとトーマスさんは「ブッシュ大統領の決断したイラク戦争で、アメリカ兵、イラク人双方に数千数万人の犠牲者を出しているが……」と切り出し、「イラク戦争決断の理由として挙げた項目がすべて事実でないとわかった。なぜ、イラクに対し戦争を起こしたかったのか本当の理由は? 貴方が大統領府に足を踏み入れた瞬間から、貴方の閣僚たち、情報機関職員、その他多くの人たちを動員したのは一体何が本当の理由なのだ? 大統領、貴方は石油利権が目的ではないと言った。イスラエルの安全保障のためでもないと言った。それでは本当は何が本当なのだ!?」と問いつめた。
これに対しブッシュ大統領は「貴女は長い経歴を持つジャーナリストである。貴女の質問に対して、私は戦争を望んではいなかった。私が戦争を望んでいたと推測するのは間違っている」などと直接の返答を避けた。しかしトーマスさんは納得せず、しばらくブッシュ大統領とのやり取りが続く。
長いので全部を紹介できないが、ブッシュ大統領は、9月11日事件や、容疑者追求のアフガニスタン戦争、国連安保理での決議などを持ち出すなど、いろいろと言い訳をしている。
当時のやり取りを振り返っても短いドラマを見るようで視聴者を興奮させるのが良く分かる(このやり取りはアメリカの独立メディアNGO『Democracy Now』が紹介している)。
(4)トーマスさんは、オバマ大統領から誕生日のケーキを贈られた翌年の2010年、“反ユダヤ的発言”をしたとして批判を呼んで間もない7月、ジャーナリストとしての引退を表明する。
この発言はトーマスさんが大統領府を退出しようとした時、待ち構えていたユダヤ教聖職者・ラビのインタビューに答えたものだ。この時トーマスさんはイスラエルのパレスチナ人占領政策を批判して、「ユダヤ人はパレスチナから出ていき、ドイツやポーランドに帰れ」と発言したビデオがユーチューブで流され、批判の嵐を招いた。
トーマスさんは後日、謝罪ではなく「深く反省している」との声明を出し、「あのビデオは本当に言いたいことを伝えていない。中東和平は全ての関係者が相互尊敬と寛容を通して達成できるものであるし、私が切望する日が間もなく実現されることを望む」と言っている。彼女はまた、出自はユダヤ人(Semite)であるとも言っている。
アメリカ社会で反ユダヤ的発言をすると、その時点で経歴は終わるがトーマスさんの場合、死去に伴い多くの賛辞が寄せられたのは、やはりトーマスさんがジャーナリストとして数々の実績があった故であろう。
最後にトーマスさんの強い意志を示す発言を紹介する。
●「トルーマン大統領が言ったように(権力争いの町)ワシントンで友達が必要ならば犬を飼え(犬は裏切らない)」
●最後の著書『民主主義の番犬(Watchdogs of Democracy)』で「大統領府と国防総省担当の報道陣は、ブッシュ政権のイラク戦争論理づけに喜んで従うだけだった」(彼女は当初からイラク戦争に反対した数少ないジャーナリスト)
●「真相をつく質問(probing question)と失礼な質問(rude question)の差はない。本質を突く質問に失礼な質問などない」
【DNBオリジナル】
photo from http://commons.wikimedia.org/wiki/File:White_House_lawn.jpg?uselang=ja
by Daniel Schwen
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