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クロアチアEU加盟はバルカン半島の平和につながるか(大貫 康雄)

7月1日、バルカンの国クロアチア(Hrvatska. 英語はCroatia)が、EU(欧州連合)に正式加盟し、EUは28カ国体制となった。

1975年3月25日、仏・西独・イタリア・ベネルクス3国の6カ国の外相たちが、ローマでEEC(欧州経済共同体、後のEU)などの設立を定めるローマ条約に調印。以来54年間、2004年の旧東欧諸国の一斉加盟など拡大・統合を続けてきた。

しかし、現在は経済の停滞、加盟各国の財政悪化、失業の増大、それに加盟国間の格差拡大など、問題が山積している。発足以来、最も厳しい状況で、加盟国国民のEUへの信頼が最も低下しているなかでの新規加盟となった。

しかし、そこにはEUと現加盟国、そしてクロアチアの3者にとっての基本的な理念、「人権尊重と民主化」、「経済を通したヨーロッパの統合と強化」そして「安全保障と繁栄を確固たるものにする」という揺るがない信念が見て取れる。

この小国のEU加盟が、ヨーロッパの歴史のひとつの転換点になるかも知れない。

首都ザグレブでの加盟式典では熱狂的歓迎風景は見られなかった(また皮肉なことだが、EUが拡大し強大になり無視できない存在になった現在、最も信頼していたはずのアメリカ政府が、EU情報の傍受、盗聴を行っていたことが報じられ、各国首脳陣も歓迎一色ではいられない状態だった)。

加盟に伴い、EUからは社会基盤整備の補助が導入されるが、クロアチア国民430万人の3分の2以上が賛成した去年1月の国民投票時に比べると、今年4月に実施した世論調査で、賛成する国民は54%と減っている。

今も政治腐敗や汚職が蔓延し、経済が停滞しているルーマニアやブルガリアのEU加盟は早すぎたと言われているが、この両国に比べるとクロアチアの経済は比較的安定し、国民の生活水準もポーランドやハンガリーよりも高い。

国民のなかには、現状のままであれば「経済的にあまり恩典はない」と反対する人間も結構いた。

それでも、クロアチアがEU加盟方針を変えなかったのは、何といっても平和と安全保障への強い願望が根底になるからだ。

クロアチアは冷戦終了後、旧ユーゴスラビア連邦からの独立の過程で、セルビア主体の連邦軍と4年余りにわたって激しい内戦を戦った生々しい過去がある。

国内少数派のセルビア人武装勢力との間で互いに戦争犯罪を繰り返し、多くの犠牲者を出した。家族を失った人たちは、クロアチア人、セルビア人双方に大勢いる。

また、その過程でセルビア系住民20万人をセルビアに追放(いわゆる民族浄化)した。今も両者の対立感情は激しく、相互交流もほとんどない。

ハンガリー国境に近い独立戦争時の激戦の地、北部のブコバルは、破壊された建物が、今でも再建も整理もされないまま残っている。今回の加盟にも主流派のクロアチア人の歓迎具合に比べ、少数派のセルビア系住民には期待感がほとんどない。

EUはクロアチアの加盟交渉に4つ条件を課していた。

(1)戦争犯罪人のハーグ国際法廷への引き渡し

(2)民族間の和解と融和の促進(平和に不可欠)

(3)人権の尊重(民主化の充実)

そして――

(4)財政の健全化(経済安定と汚職防止)

 だったが、セルビアへの嫌悪の環状、猜疑心から来る民族主義感情が強く、

(1)の旧ユーゴ紛争時の戦争犯罪人引き渡しにはなかなか応じず、交渉が延期されたりした。戦犯引き渡しに最終的に応じたのも、いつまでも不安定な状態ではいられないからだった。

クロアチアはすでにOSCE(全欧州安全協力機構)にもNATOにも加盟している。

しかし、NATOは軍事同盟で紛争が勃発してからの対応が中心であり、またOSCEは「民主的で公平な選挙が実施されるか」「社会的不正義があるかの監視と調査、告発」などに限られる。

その点、EUの基本的理念は、「人権尊重、民主化推進」とともに経済基盤を改善し、「経済を通した統合と連帯を推進」することである。

また90年代半ばから政治的統合も深めつつあり、ヨーロッパ全域での平和と安定を社会経済面から最も強く推進してきた。

クロアチアにとって、バルカンの主要国セルビアとの平和で安定した関係を築くのにEU加盟は欠かせない条件だった。

そのセルビアも、EU加盟への交渉条件を整えつつある。

セルビアは、旧ユーゴスラビア内最大の国で連邦の中心を担っていたが、冷戦終了後、北部スロベニアの独立などで危機意識を持った。

そこで右翼・民族主義政権が他民族を武力で抑えにかかったことで、他の民族の反発を招き、結果として旧ユーゴスラビア連邦の崩壊につながった。

武力行使を行なった結果、その失われたものの大きさに、今も心の整理がつかず、セルビア人に被害者意識が根強く残るのは、逆説的だが当然かもしれない。

そのセルビアのEU加盟交渉の障害になっていたのが、この根強い被害者意識とセルビアのもうひとつの民族対立、アルバニア系の国コソボとの関係だった。当時のセルビア右翼・民族主義政権がコソボ自治州に侵攻すると、欧米諸国が介入し、コソボ独立を西側諸国が承認した。そのため、セルビアはコソボも失い、コソボ域内のセルビア人は少数民族となる。

その時に、セルビアの歴史的文化的遺産である世界遺産・セルビア正教会の僧院が、コソボ域内になってしまった。これはセルビア人からすれば、無念でならない状況に違いない。

しかし、セルビアがEU加盟を目指すようになって以来、そのコソボとセルビアの和解も徐々に進んできた

セルビアが民族融和と人権尊重を進めてEU加盟が実現すれば、コソボ域内のセルビア人の聖地を自由に訪問できる可能性が開ける。

そして3つの宗教と諸民族が混じり合い、ヨーロッパ大陸の火薬庫と言われ、内戦、戦争と負の歴史が連なるバルカン半島にも歴史上初めて平和と安定・繁栄の時が来るかもしれない。

この時、初めてEUはヨーロッパ大陸から紛争危険地域をなくし、基本理念の達成に大きく近づくことになる。

 

クロアチアの国旗

photo by Petr Hubik

source from http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vlajka_chorvatska.jpg?uselang=ja

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