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フクシマの真実(2) 除染しても人の住めないところがある(上杉隆/文・写真)

東京電力福島第1原発から外部に放出される放射性物資は、毎時7000万ベクレルを超えている(2012年当時/事故から2年が過ぎた現在でも毎時1000万㏃)。仮に3・11前にこの数値だったら、日本中が大騒ぎしていることだろう。

だが、いまの日本では放射性物質のリークというニュースが大きく取り上げられることはほとんどない。逆に、政府は「絆」を合言葉に「復興」や「支援」ばかりを謳い、多くのマスコミは原発事故による放射能の問題はあたかも終わったような雰囲気作りに協力している。

とりわけ、それは福島県の2つの県紙「福島民報」「福島民友」などでも顕著だった(当時)。

『除染元年 うつくしま、福島』(福島民報 2012年1月1日)

国と同様、福島県でも行政と報道による「官報複合体」が一体となって、こうしたキャッチフレーズを多用し、「フクシマの真実」から県民の目を背けようとしている。

福島での環境への放射能汚染、とりわけ人体への被曝の危険性は減っていないにも関わらずだ。

「信じられない。とてもではないが、人が生活できるような数値ではない」

イタリア「スカイTG24」のピオ・デミリア特派員はあきれたようにこう語った。

福島に通う筆者が、知己の海外特派員たちに、原発から50キロ以上離れた福島市と郡山市の空間線量の値を伝えたときの反応は概ねこうである(現在でも同じ反応を示す海外ジャーナリストは少なくない。海外特派員らによる「除染しても空間線量の下がらない場所がある」という指摘は、チェルノブイリの経験をした者であれば当然と見るようだ)。

また2012年2月、筆者が、郡山市役所前で測った地上1メートルの空間線量の値は毎時1.3マイクロシーベルトを超えた。一方、同じ日「地元紙」では、同じ地点での線量が0.6マイクロシーベルトとなっている。

公の発表と筆者の測定値がなぜこうも違うのか。ちなみに私の使っている測定器は、日立アロカ製(サーベイメーターPDR-111)、政府や福島医大の使っているものと同種である。

「だって、あの発表の数値は、測定前(設置前)に水で地面を洗って測ったりしているんです。違うのは当然ですよ」(当時、この発言をデマだという「同業者」たちが数多くいた。だが2012年秋、全国紙が相次いでモニタリングポストの計測前(設置前)の「除染」の実態を報じると、逆に「福島エートス」の案内で取材をしていたジャーナリストの方の誤報が明らかになった。つまり筆者らの指摘は正しかったのである)

地元の記者がこう種明かしをする。もはやジョージ・オーウェルの「1984年」の世界だ。

「もう、空間線量の値をいちいち指摘する人はいません。いくら言っても放射能がなくなるわけではないですから」

事実を伝えなくてはならない記者ですら、こうである。現実を直視するものがデマ扱いされ、奇異な目で見られる…。哀しいかな、それが「フクシマの現実」なのである。

(つづく)

※  当記事は2012年3月、「夕刊フジ」に連載した「福島の真実」に、加筆・修正しタイトルを変えたものである。