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かつて日本も米国から重要視された時代があった(大貫 康雄)

アメリカのバラク・オバマ(Barack Obama)大統領と中国の習近平(Xi Jinping)国家主席の会談は、両首脳だけの30分間の散歩も含め、2日間で8時間に及んだ。これはカリフォルニア州南部の保養地パーム・スプリングズ(Palm Springs)の故ウォルター・アネンバーグ(Walter Annenberg)氏別邸で行なわれた。

1日目(6月7日)は、午後8時から11時まで。2日目(8日)は、朝食後に米中双方とも関係高官ら8人ずつが出席。オバマ大統領は7時間分の会談資料を用意してきたというから、相当多岐にわたって問題を話し合ったことがうかがえる(中国側は習金平夫人も同伴したが、この邸宅での宿泊を断り、近くのホテルに滞在。一方、オバマ大統領のミシェル夫人は二人の子供の学校の日程で参加せず)。

両者は気候変動対策や北朝鮮の核問題では、前向きに対処することで一致したが、中国からのサイバー攻撃、領土紛争、貿易などの問題では互いに立場を譲らなかったという。

中国は原則に触れる問題ではアメリカの要求を撥ねつけ、両者の対等な関係を主張したという。世界は米中二国を中心に展開する時代に入るのを予知するような会談だったと言える。

今回のようにアメリカの歴代大統領は折に触れ、時のアメリカや大統領本人にとって最も重要な国の首脳を保養地や別荘に招き、儀礼抜きの会談を通して首脳同士の人間関係を深め、問題解決や協議の進展を図る方法を取ってきた。

このパーム・スプリングズではバブル経済の最中の日本が、世界経済で極めて存在感を発揮していた時期に一度、日米首脳会談が開催されたことがある。

1990年3月2日、海部俊樹総理大臣はアメリカのジョージ・H・ブッシュ(George H. Bush)大統領と今回の首脳会談と同じ、故アネンバーグ氏の別邸サニーランド(Sunnyland)で会談を行った。

サニーランドはサッカー場が200近くも入るくらいの広い砂漠の真ん中にゴルフ場や森、池を配置して作られている。近現代美術品だけでなく、中国古代の美術品も飾られている。アネンバーグ氏の死後は財団が運営し、現在は一般公開もされている。

(アネンバーグ氏はアメリカ社会で、テレビガイドを出版したり、大衆扇動紙を買収して資産を築いた。誹謗中傷報道で敵や競争相手を倒す、強欲の象徴的な人物を描いた映画「市民ケーン・Citizen Kane」をもじって「市民アネンバーグ」と揶揄される人物だった。

一方で、莫大な資産を大学や病院、美術館に寄付して、フィランソロフィスト・利他的な奉仕活動家の模範のような人物とも評された。保守的な共和党員だったが、政治家が人種差別的な人物だとわかると一転して支持を取り消したりする毀誉褒貶に富む大富豪だった)

当時の日本は80年代末のバブル経済真っただ中。日本企業がロサンゼルスの象徴的なビルや高級ホテル、有名ゴルフ場など、アメリカの代表的な施設や企業を次々に買収してアメリカのメディアが感情的な報道をしていた頃でもあった(ソニーがコロンビア映画社を買収したのもこの時代だった)。

90年1月1日のLAタイムズ「日本、最大の脅威」との社説を載せ、日本の経済力に対する警戒心がアメリカに強まっていた。

アメリカの対日貿易赤字は毎年500億ドルに達し、円の大幅切り上げに繋がった85年のプラザ合意以降も、一向に対日貿易赤字は改善しない。

アメリカ議会は、強力な制裁措置を含んだ新貿易法スーパー301条を通過させていた。そこでアメリカ政府は89年から日本に対し構造協議(Structural Impediments Initiative)(この表現は日本の官僚の意図的な意訳。正確には構造障壁主導権とでも訳すべきか)を迫り、日米両政府が集中的に協議を続けていた。

その89年8月末に就任した海部俊樹総理大臣は、就任後1カ月でアメリカ・メキシコ・カナダの3国を歴訪。この時の会談で海部総理はブッシュ大統領と一気に親しい関係を築き、その場で「ジョージ・トシキ」と呼び合う仲になっている。ホワイトハウス中庭でブッシュ大統領の教えで馬蹄投げに興じる海部首相の姿が記憶に残っている。

(しかし89年から91年にかけては世界で大事件が相次いだ。民主化を求める学生のデモを中国軍が武力で鎮圧した6月4日の北京の第二次天安門事件が起きた。また、夏から旧東ドイツ国民が大量脱出を続け、11月7日にベルリンの壁が崩壊。そのまま旧東欧諸国の民主化革命が連続し、冷戦体制が終焉している)

海部・ブッシュ・パームスプリングズ会談は、そんな世界の激動する時期に行われた。ブッシュ大統領は海部総理との個人的な関係を活かして懸案の有利な解決と同盟関係の強化を狙った(この時はアネンバーグ夫妻もわざわざ海部総理を迎えている。その位、当時の日本はアメリカにとって重要で無視できない存在だった)。

それまでの構造協議で、アメリカの要求を日本側がかなり受け入れたと言われていた。アメリカ側の厳しい対日要求に屈した結果、日本全国で中小の小売店が倒産や店じまいをして、シャッター通りが各地に出現するなど、日本社会にも幾つかの悪影響が出るようになる。それでも日本側の対米貿易黒字が大幅に減ることはなかった。

海部・ブッシュ両首脳の個人同士の関係は良好でこれ以降も続いた。辞任間際の91年の夏には、ブッシュ大統領の別荘ケネバンクポートに招かれてもいる。

しかし海部総理には時代が悪かったと言えようか。

90年8月2日にイラク軍のクウェート侵攻、10月にドイツ統一と続く時代。イラク軍のクウェート侵攻に対しては。国連が多国籍軍の派遣を決定、91年1月17日に対イラクの湾岸戦争となる。原油の多くを中東に依存していた日本経済は一気にバブル崩壊するが、アメリカ政府は同盟国として共同行動や戦費の拠出を求めてきた。

日本政府はアメリカ側に「もっと出せ」と言われ、結局、611億ドルの戦費の内アメリカ以外の国で、日本は最高の130億ドルを拠出した。しながらクウェート政府が、アメリカの新聞に出した感謝広告に日本の名はなかった。

アメリカのメディアは正当な理由もなく言われるままに金を出す日本外交を「小切手外交」とからかい、日本政府を「現金自動支払機」と揶揄した。

以降、日本脅威論が嘘のように影をひそめていく。また日本経済も停滞期に入っていく。

すでに自民党政権は88年以降、富裕層優遇税制と企業優遇制度を推進する一方で、中産階級以下の低所得層への課税強化をしていく。消費税も導入される。労働組合の力が削がれていき、派遣労働法も適用範囲を拡大され、非正規社員が増加するなど、労働条件は悪化の一途をたどる。当然のように、こうした政策が消費を冷え込ませ税収は大幅に減っていく。

90年代は国民一般の消費が停滞、デフレ経済に入り、失われた10年、20年の時代に入った。大手メディアは構造的な変化を人々に知らせることはなかった。

国際社会での日本の相対的な力が低下するのに相反して、中国が勃興する時期になる。ブッシュ政権の後のクリントン政権が中国重視政策を取り、日本国内では「日本パッシング」(日本通り過ぎ)論が出てくる。

今回の米中首脳会談は今後の世界政治のありようを示唆する会談になったことは疑いない。私個人にとっては、海部総理とブッシュ大統領のパーム・スプリングズ会談は戦後日本が存在感を示した時期、バブル終焉の直前の時期を想起させるものとなった。

[caption id="attachment_9290" align="alignnone" width="620"] 米国カリフォルニア州南部の保養地パーム・スプリングズにで会談する中国の習近平国家主席とオバマ大統領
President Barack Obama talks with President Xi Jinping of China at the Annenberg Retreat at Sunnylands in Rancho Mirage, Calif., June 7, 2013. (Official White House Photo by Pete Souza)[/caption]

[caption id="attachment_9291" align="alignnone" width="620"] 中国の習近平国家主席と会談する米国のオバマ大統領President Barack Obama walks with President Xi Jinping of the People's Republic of China on the grounds of the Annenberg Retreat at Sunnylands in Rancho Mirage, Calif., June 8, 2013. (Official White House Photo by Pete Souza) 

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