死者たちはバナナ畑に眠る。ウガンダ・エイズ対策「模範国」からの転落(1) (和賀えり子/文・写真)
人類が初めてHIV/AIDSウイルスを発見して以来、ウガンダ共和国ほど「対策事業で最も成功した」と称賛された国はなかっただろう。80年代都市部において3人に1人が感染したものの、05年までには国民の感染率を約6%まで軽減させた。
だが、ウガンダ保健省と同国エイズ委員会によれば、08年には11万人、11年には6万人もの新規陽性者が登録されている。母子感染はいまだ深刻で、感染の20%以上が起因している。近年、アフリカ大陸ではウガンダ共和国とチャドのみが、エイズ感染率の増加傾向を示している。
対ウガンダODA援助額1位である米国は、2005年から2012年までに約17億ドルを費やして、ウガンダのHIV対策を支援した。だが、注目された対妊婦への抗HIV薬無料投与は、大した成果を生んでいない。
抗HIV薬の存在により、人々はエイズ=「死の病」と認識しなくなったと指摘する専門家もいる。ロンドン大学公衆衛生大学院ジャスティン教授はかつて、「(抗HIV薬の存在が社会で認知された後)、人々の行動パターンがもとに戻ってしまっている」ことに警鐘を鳴らしていた。また、都市と地方における薬へのアクセス格差について、指摘する声もあった。
首都から車で西側へ向かって3時間。バナナ畑に囲まれた小さな地方都市、ムベンデにある病院看護婦ジョセフィーヌ(28)は「首都の医薬品管轄所からエイズの薬が半年以上送られてこない」と嘆いていた。
ウガンダでは、公的サービスを提供する役割が、近年中央から地方政府へと移行しつつあり、地方への財政移転総額も増額している。だが中央政府は、地方自治体の自主財源であった税(GraduatedTax)を2006年に廃止。この措置による損失分の補償を約束したにも関わらず、2013年現在、非常に限定的にしか約束は守られていない。
2012年6月、ムベンデ病院で「奇跡の薬」を待つ人々は、もはやいなかった。抗HIV薬を知らない、見たことがない人にもあった。
村へ行くと人々は、5年前と同じく太陽が昇れば農作業をし、談笑に花を咲かせ、死者あらば手際よくバナナ畑の下へと埋めていった。バナナ達はこの5年間で、大きな成長を遂げていた。この畑のどこかに、当時11歳だった売春婦Maryが、ひっそりと眠っている。
[caption id="attachment_9132" align="alignnone" width="620"] ゴッドフレイ氏と3人の子供達。うち一人には、栄養不良のため腹部がポッコリ膨らむ症状がでている[/caption]
[caption id="attachment_9133" align="alignnone" width="620"] 農業(主にトウモロコシ)を営むゴッドフレイ氏は、靴のない片足で、日々ウガンダの乾いた道を歩いている[/caption]
[caption id="attachment_9134" align="alignnone" width="620"] バナナ畑の中を通る坂道を自転車を押しながら登ってくる農民。バナナ畑の下には、棺桶が購入できない人々の遺体が、多く埋められている[/caption]
[caption id="attachment_9135" align="alignnone" width="620"] 仕事場から帰ってきたゴッドフレイ氏を迎える3人の子供達と近所の住人。一家には、妻がいない[/caption]
[caption id="attachment_9136" align="alignnone" width="620"] 手足は細く、お腹だけが大きな子供たちの体は、その社会にある栄養失調や食料不足を物語っている[/caption]
(2)へ続く
【(c)Erico Waga】