報道されない福島・原発被災者たちの「孤立」と「不信」(大貫 康雄)
先日、福島市で東京電力福島第一原発事故と放射能被害者の人たちの現状を聞く会合に出た。宗派を超えた宗教者たちが協力して、被災者の支援に取り組んでいる活動の一環を知る機会でもあった。
すでに読者の皆さんが知っておられることばかりかもしれないが、この場では政府発表の放射能線量が自分たちで測った線量より低いこと。被曝診断がいい加減で、しかも本人・家族に情報公開されていないこと。政府や東京電力が賠償請求にいかに冷たい対応をしているか、などの諸問題が改めて具体例をあげながら語られた。
原発事故以来の日本政府、東京電力、福島県、その下で動く科学者たちが、安全云々といかに人々を騙してきて、さらに新しく騙しの工作を始めているか、などが指摘された。
問題点の幾つかはインターネット・メディアで、そして海外のメディアで報道されているが、日本のマスコミでは報じられる機会が少ない。諸問題を忘れないためにも、地元の人たちの声を改めてお伝えする。
この会合は宗教者が宗派を超えて作る「WCRP(World Conference of Religions for Peace)・世界宗教者平和会議」が開いたもので、福島県の相馬市、いわき市、会津若松市、郡山市と県内各地の皆さんが出席した。
WCRPは震災発生以来、被災者と被災地復興の支援を続け、今は最低5年間は支援活動を継続しようと仙台に駐在者を置いて活動している。
人々の生の声をお聞かせできないのが残念だ。まとまりもなく雑駁な文章で恐縮だが、2日間の会合の中で指摘されたうちの幾つかは以下の通り。
① 政府の発表する放射能線量が信用できない。飯舘村から、福島市の北東・伊達市に避難している畜産農家の長谷川健一さんは、政府の担当者やいわゆる放射能学者が相次いで来ては“全村避難の直前まで安全だと嘘を”ついていた。地元の皆さんの前で自分が持参した線量計を用いながら、“ここは人の住む処ではない。即時避難してください”と警告をしてくれたのは京都大学の今中哲二さんただ一人だけだったという。
長谷川さんは飯舘村前田地区の行政区長でもあり、今も毎月定期的に村に戻っては各家の前で放射線量を測定している。すると国が設置したモニタリング・ポストの測定値と長谷川さんが測定する線量の間に2倍の差があるという(つまり国のモニタリング・ポストでは非常に低い線量しか表示されず、あたかも線量が下がりつつあり、安全な環境に戻りつつあるような錯覚を与えているということを指摘していた。この政府発表の測定値が人々の計測値より低い問題と理由は、ドイツなどヨーロッパのメディアも指摘している)。
長谷川さんの言葉が頭に残る。「政府や県が信用できなくなった以上、自分たちで定期的に計測し、記録して将来に備えなければならない」
② また福島市「わたり病院」の医師で「IPPNW(核戦争防止国際医師会議)」日本支部の一員でもある斎藤紀さんは、放射能汚染の中で生活せざるを得ない多くの人たちのことを考慮して慎重に言葉を選びながら、単に健康診断や被曝検査の数値だけでは解決できない問題であることを述べる。低線量被曝の影響についても社会病理学的な視点で被害者の救済と解決を図っていく必要を指摘した。
③ 伊達市の曹洞宗龍徳寺住職の久間泰弘さんや南相馬市の曹洞宗同慶寺住職の田中徳雲さんは、それぞれ放射能被害から家族・子供たちを守るために避難。その一方で、地元に留まり地域の人たちの拠り所となる寺の住職の活動との板挟みになり、最終的に自分が地元に戻った経緯を語った。久間さんは一旦家族と遠方に避難したが、子どもが避難先で落ち着き、学校の友達もできた後に再び福島に戻る決断をした。その時、「もう福島には友達はいない、戻りたくない」と叫ぶ子どもの悲しみを語る。
福島では子どもたちが線量の高い校庭や公園での遊びを禁じられ、内にこもってゲームで時を過ごすようになり、満足な子ども時代を送れないという(将来の発達障害の恐れを指摘する人は多い)。
④ “福島県は本当に県民のためになっているのか”も取り上げられた。県民の被曝検査は県立医大病院でしか認めない。近隣の県でも出来ないよう手配されている。その県立医大病院での被曝検査といえば、本人や家族に結果を見せない、知らせない。幼児の被曝線量検査など数秒間機器を当てただけ。
ようやく北海道の医師に内部被曝検査をしてもらった人は、北海道の医師が福島県立医大での被曝検査に驚いたことを紹介した(福島県が県立医科大学以外での被曝検査を認めず、隣県の病院にも手をまわしている問題は、すでに「ZDF(ドイツ第二公共テレビ)」のハーノ記者が報じているが、海外メディアの報道だと高をくくっているのか、福島県は一向に改めていないようだ)。
郡山では23歳の女性が突然心筋梗塞で死亡し、医師が驚いている。また50代の男性がコレステロール値も低いのに心筋梗塞で危うく命を取り留める例も出された。しかし県は、これらが放射能汚染と関連付けようとはしない。いずれも現代科学では因果関係が解明できないことを格好の理由にしているからだ。
会合では会津地域などへの県内避難者と県外に避難した人たちから、県内避難者に対してはわずかながら支援もあるが、県外避難者には冷たいとの指摘がだされた。
避難すれば友人・知人を見捨てたと言われ、一方で避難したいが処々の事情で避難できない人が大勢いるのが現実だ。
また、自分の住まいの放射線量が時間当たりわずか0.001μSvだけ違っただけで、支援金の支払いを受けられないという区別が行われ、隣近所の関係が壊れ地域社会が崩壊する例が出された。
その一方で、放射能被害者の実態を知らない人たちからは、「東電から多額の補償を貰っている」などと冷たい言葉を浴びせられる経験をする人たちが増えている。
家も仕事も失い、東電から月わずか10万円だけ支給されて「楽な暮らしをしている」と言われ、被害者はさらに傷つく。その東電は分厚い書類に正確に記入しないと賠償請求にすら応じない(被害者切り捨ての問題はドイツの国営国際放送「DW(ドイチェ・ヴェレ)」などが指摘している)。
被害者の人たちからは、東電の冷たい対応の背後に日本政府がいる、そこを誰も指摘してくれないとの声も出された。
また、福島県内で、“放射能被害は軽微、深刻だという主張は誤り”だなどと戸別に人々を説得する工作が密かに進められている、という。
文部科学省は、また宗教者とアーティストを対象に“放射能教育”を密かに(筆者の知る限りマスコミは報じていない)始めたとの指摘も出された(それはどんな動きなのか。宗教界では全日本仏教会が“脱原発社会”への宣言を出し、そして宗派を超えた集まりであるWCRPが脱原発への活動を始めるなど、宗教界で新しい動きが広がっている。文部科学省は、これを意識した反「脱原発」工作を進めているのだろうか。陰湿な形であっても動きが続けば、文部科学省の意を受けた者の接触を受ける宗教者もアーティストも増えてくるので、それは自ずとわかってくる)。
東日本大震災とそれに伴う原発事故・放射能被害の規模の大きさと深刻さは、すでに指摘され、今さら言うまでもない。政府の復興支援の遅れ、杓子定規的な官僚機構の弊害、その一方での官僚たちによる復興予算の流用、地元のためというよりは大企業優先の復興工事、除染作業。除染や原発の現場作業員への報酬が中間搾取されるなど、数々の問題点は既に指摘されている。
富岡町から水戸市に避難している木田節子さんは、息子が原子力施設の放射能管理者で母と息子が、“なかなかわかりえない”悩みを告白する。木田さんはジュネーヴの国連人権理事会に出かけ原発難民の現状を直接訴えた時の日本政府代表の無機質な反応に驚かされる体験を語る。
WCRP(世界宗教者平和会議)の皆さんが、岩手・宮城の被災者の人たちに話を聞いた時は“それでも明日に希望を持って復興に奮闘している”意欲と雰囲気が感じられた、という。
一方、わずか2日間だけ話しを聞いただけだが、福島では“将来が見えない”とか“隣近所、地域がバラバラになった孤立感”などの深刻な悩みを地元の皆さんが持っているという現実があった。
“自分たちは見捨てられ”つつある。政府は“本当に自分たちの政府なのか”、“何を信じて良いのか”、そういった日本社会への根本的な疑念を福島の人たちが抱いていることが胸に迫るのは私だけではあるまい。
[caption id="attachment_8462" align="alignnone" width="620"] 福島県 福島市 福島県庁本庁舎・西庁舎[/caption]
photo(Fukushima Prefectural Government )by とっち
at:http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fukushima_Prefectural_Government_(02.19.2009).jpg?uselang=ja
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