焼身自殺者の願いはふたつ「ダライ・ラマ帰還とチベットの自由」チベット・ワンチュク厚生大臣インタビュー(相馬 勝)
ツェリン・ワンチュク(Dr. Tsering Wangchuk)中央チベット政府厚生大臣
「中国は平和的に政権を移譲すべきだ」
中国共産党政権の圧政に抗議して、中国内の焼身自殺者が今年3月10日現在、107人に達し、そのうち死者が90人を超えるなど、チベット情勢は緊迫の度合いを増している。
昨年11月に発足した習近平指導部は「焼身自殺はダライ・ラマ集団が扇動している」と強く非難し、国内のチベット僧に執行猶予付きの死刑を下しており、チベット民衆に対して弾圧に弾圧を重ねるなど過酷な姿勢を貫いている。
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を守るためにチベット民衆が立ち上がり、14世のインド亡命につながった1959年3月10日の「チベット蜂起」52周年を機に、チベットの惨状を日本国民に伝えるため、インドの中央チベット政府(CTA=チベット亡命政権)のツェリン・ワンチュク厚生大臣が初めて来日し単独インタビューに応じた。
ワンチュク氏は「焼身自殺者の願いは2つ。ダライ・ラマの帰還とチベットの自由だ。これは全チベット人共通の切なる思いでもある」と強く訴える一方で、「共産党政権はすでに民衆の心を離れている。平和的に下野すべきだ」と指摘した。
[caption id="attachment_8423" align="alignnone" width="620"] インタビューに応じるワンチュク氏(筆者撮影)[/caption]
インタビューの一問一答の前にワンチュク氏の略歴などを紹介しよう。
ワンチュク氏はインドの高校卒業後、ポーランドの首都ワルシャワで医学を学んだ特異な経歴をもつ。CTA(亡命政権)の7人の閣僚のなかでもポーランド語を話すのはワンチュク氏だけ。それは1994年、ワンチュクさんら5人がCTA教育省の奨学金を得てポーランドに派遣された初のチベット人留学生だからだ。
チベット人のポーランド留学のきっかけは、その前年の93年、当時のポーランド大統領で、同じくノーベル平和賞受賞だったレフ・ワレサ氏がダライ・ラマと会談し、チベット人留学生の受け入れを約束したためだ。「留学生をどのようにサポートした方がよいか」とのワレサ氏の問いかけに、ダライ・ラマは「教育面で協力してほしい」と即座に答えた。このため、5人のうち、ワンチュクさんら4人は医学を学び、他の1人はエンジニアを目指したという。
ワンチュクさんらの留学先はポーランドの名門ワルシャワ医科大学。最初の1年間はポーランド語の語学研修を受け、95年から大学で医学を学び、2003年までの2年間は同大学病院で研修医を務めた。専門は総合診療(医療)。インドに帰国後は08年まで総合病院で医師の経験を積んだあと、インド東部ダージリンのチベット難民自助センター付属病院の主任医師として、主に圧政を避けて中国から逃れてきたチベット人難民らの診療に携わってきた。
これについて、ワンチュク氏は「これは父母や私が受けた恩返しの意味もある」と語る。
ワンチュク氏の父親は現在のチベット自治区ラサで、ダライ・ラマを守るチベット軍兵士だった。父は1959年3月のチベット蜂起後、中国人民解放軍によって陥落したラサを逃れ、ダライ・ラマを慕ってインドに亡命。父はインド東部ラダクの難民キャンプで、ワンチュクさんの母となる女性と知り合い結婚した。ワンチュクさんの父母はともにチベット人難民だったのだ。
[caption id="attachment_8418" align="alignnone" width="267"] ロブサン・センゲ首相(筆者撮影)[/caption]
ワンチュクさんの献身的な勤務態度は患者の間でも評判となり、CTAの医療活動にも積極的に参加するなど、チベット人の間では「名医」と称賛された。2011年に初めて実施されたCTAの首相選挙で当選したロブサン・センゲ氏は、その名声を聞き、迷わずワンチュク氏を厚生大臣に任命したのだ。これについて、ワンチュク氏は「まったく想像もしなかった、思いがけない指名」と驚きを隠せなかったものの、「ダライ・ラマのため、祖国のため、一命を投げ打つ覚悟で厚生大臣の指名を受けた」と照れ隠しの笑みを見せた。
一問一答は次の通り。
——医師として、チベット人の焼身自殺をどうとらえているか。
「医師としてだけではなく、1人の人間として、同じチベット人としても、こういう極端な行動を起こしたことを聞いたときには、本当に悲しく強いショックを受けた。われわれCTAでも全チベット人に対して『焼身自殺をするという極端な行動はしないでほしい』とお願いしている。1人の人間の生命は非常に大切で重要だからだ。私は仏教徒との立場からも、心から二度と焼身自殺が起こらないように祈るしかない」
——中国政府はダライ・ラマや亡命政府の幹部、高僧がチベット人をそそのかして、自殺するよう扇動していると非難しているが……。
「中国側の言い分はいつも同じであり、同じような反応を示しており、驚くに当たらない。いつもの繰り返しだ」
[caption id="attachment_8419" align="alignnone" width="567"] ダライ・ラマ(筆者撮影)[/caption]
——しかし、中国内ではラサをはじめ、各地でチベット人の統制がかなり厳しくなっている。焼身自殺の写真を持っているだけで懲役10年の判決を受けたり、場合によっては無期懲役の判決も出ている。ただ、「止めてほしい」というだけでは、チベット亡命政府として無策ではないか。
「もちろん、私たちは『焼身自殺を止めてほしい』と言うと同時に、彼らの気持ちを国際社会に伝えようとしている。彼らは『ダライ・ラマの帰還とチベットに自由がほしい』と叫んで死んでいったのだ。
今年1月にはロブサン・センゲ首相らCTAの主催で、ニューデリーで、国際的に支援を求める大規模集会を開いたほか、欧州各国でも同じような集会を行った。センゲ首相らが国連代表部にも赴き、中国を批判する署名簿を渡したほか、CTAの閣僚がいまの全世界を回っている。私もその1人として、いま日本を訪れているのだ」
[caption id="attachment_8420" align="alignnone" width="500"] 筆者の著書[/caption]
「ダライ・ラマや亡命政府は本当の意味での民主主義を実行している。若い人たちが『ダライ・ラマのやり方ではだめだ』と発言できるのは、われわれが民主主義を実現しているからだ。民主主義からすれば、言論自由は保障されている。何であろうと、どのような意見であろうと、自分の意見を言うのは自由だ。——チベットでは若者を中心にダライ・ラマの中道路線、平和主義的な方法では、問題の解決につながらないとの意見があるが……。
ロブサン・センゲ首相は2011年の初の首相選挙で、ダライ・ラマの中道路線に沿った政策を打ち出して当選した。つまり、チベット民衆の大多数がダライ・ラマの中道路線、平和的な路線を支持しているということだ。これは議会も同じであり、僧侶の間でも同じであり、全チベット人はダライ・ラマの考え方に賛同しているのだ」
[caption id="attachment_8421" align="alignnone" width="500"] (筆者の著書)[/caption]
——昨年11月に習近平指導部が発足したが、彼らのチベット政策をどうみるか。
「習近平氏が最高指導者に就任して、まだ日が浅い。習氏が今後、どのような政策をとるのかを予想することは難しい。今後、時間をかけてみていくしかないだろう。ダライ・ラマが言うように、事態が良くなることを期待する一方で、悪いことにも備えなければならない。ただ、焼身自殺をした人々が望むダライ・ラマの帰還とチベットの自由は与えるべきだ。この二つは全チベット人の切なる思いでもあるからだ。
わたしが医学を勉強したポーランドもかつては共産党一党独裁国家だったが、彼らは暴力的な混乱を避けて、ソフトランディングを望んで自主的に下野した。中国共産党も、すでに民心は離れており、自主的に政権を渡すべきなのだ。それが本当に理想的だ」
——日本政府、あるいは日本の国民に望むことは何か。
「日本は第2次世界大戦を通じて、貴重な経験を積んできた。軍国主義から平和的な国家として変わった。そのような経験を元にして、平和的なアプローチをチベットにもしてほしい。日本が中国にチベット問題の平和的解決を訴えるなど、平和的な方法で解決できるよう働きかけてくれることを期待したい」
——専門の医学から、日本に期待することは?
「看護士(看護婦)の資格を持つチベット人女性はざっと500から600人ほどで、インドの大きな病院で働いている者も多い。チベット人の医師の数は約70人で、インド政府の取り決めで、チベット人の医師免許の枠は毎年3人。これから卒業するのは18人で、江西省で働いている医師は9人いる。
私は厚生大臣として、健康情報システムの普及、公衆衛生の普及、チベットの伝統的な医学の普及、医療関係の人材の育成、インドやブータンなどに居住するチベット人の健康維持システムの構築−の5点を目標としている。これらの実現のため、チベット人医師や看護士を日本が受け入れてもらいたい。インドの医学レベルはかなり高いので、きっと役に立つと思う」
【NLオリジナル】