ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

「ルイ・ヴィトンを着た初音ミク、“死”を歌う!? 」渋谷慶一郎が語るボーカロイド・オペラ『THE END』(高橋 彩子)

音楽家の渋谷慶一郎、劇作・演出家の岡田利規、映像作家のYKBXら、気鋭のアーティストがコラボレートした新作オペラ『THE END』。歌手もオーケストラも登場せず、コンピュータ制御された音響と映像により、初音ミクらボーカロイドが展開する異色作だ。初音ミクがルイ・ヴィトンの2013年春夏コレクションに基づく衣裳を着用することでも話題の本作が、この5月に東京で上演され、11月にはフランスのパリ・シャトレ座で公演を行う。人間不在のボーカロイド・オペラとは、一体!? 渋谷慶一郎に聞いた。

[caption id="attachment_8343" align="alignnone" width="620"] ill. by YKBX
(C)Crypton Future Media, INC.www.piapro.net
(C)LOUIS VUITTON[/caption]

 

——なぜ、ボーカロイド・オペラを作ろうと思われたのですか?

今までにないオペラを作るなら、人間がいないほうが面白い。日本人が世界に通じるものを作るという意味でも、歌手はボーカロイドしかないと考えました。以前、東浩紀さんと一緒に初音ミクで曲を作ったことがあるんですが(渋谷慶一郎+東浩紀 feat. 初音ミク『 イニシエーション』)、まず声が好きだなと感じたんですよ、独特のはかなさがあって。

僕は、テクノロジーに対して、ある種のロマンティシズムを感じているんです。テクノロジーって、進歩しかしないけど確実に終わりますよね。初音ミクの声も存在も、そういうものをすごく象徴している気がします。

——タイトルは『THE END』=“終わり”。どのような作品なのでしょう?

生きているのかどうかもわからないボーカロイドの初音ミクが、「私は死ぬの?」と言いながらさまよって、自分の劣化コピーと出会ったりペットと話したりして「死とはなにか?」を探す旅に出るというストーリーです。死の中あるいは死後の世界にいるような空気が、密度高く充満していて、そこに現実や様々な物語が暗示されたり、多層なレイヤーが展開されたりします。

——舞台には、演奏する渋谷さんの姿もあるとか。

舞台上に2重のスクリーンがあり、そのスクリーンの間に、僕がキーボードを弾くブースが設置されます。ステージやブースのコンセプトは“部屋”。部屋というのは、個人と社会の境界でもあるけど、生と死の境界にもなる場所だと思います。僕自身が経験したことですが、一緒に住んでいる人がいなくなった後って、人の気配が猛烈にほしくなる。僕がそうなった時に、「24時間話し続けるのは無理だけど、部屋に気配が感じられるだけでもいいでしょ」と、スカイプをずっとオンにしてくれた人がいたんです。僕のほうもスカイプをオンにすると、生活している音がなんとなく聞こえて来て、僕はそれをスピーカーから流したりしていた。そんな体験も、作品に投影されています。

——観客はそれを観ながら、自分の身近な故人を思い出すかも知れないし、部屋という空間についてそれぞれ思いを馳せるかもしれない?

読み解きは何重にもできるし、すべてを読み解けなくても、最後に色々な感情が溢れ出すような作り方になっています。分散したイメージが、分散したまま飛び込んでくる感じ。そもそも、部屋はプライベート、社会はパブリック、なんてよく言うけれど、人が来る時って部屋を片付けたりしますよね。本当にブライベートだったら片付けないわけだから、境界線は常に揺らいでいるんじゃないかとも思います。

——今回は、脚本を書いた岡田利規さんとの共同作業でした。いかがでしたか?

僕は生のものが好きだとか、人が動いているから感動するとかいうことがまったくない人間なんですが、演劇の中で、岡田さんが率いるチェルフィッチュの作品だけはすごく好きで。でも、演劇においては音色って大きいから、岡田さんは、自分の歌詞を初音ミクが最初に歌った時、すごい違和感をもっていましたね。

初音ミクに対して「もっとこういう言い方で」「笑って」といったリクエストはできないので、作り手としては、既に死んだ存在を眺めるのに似た、触れることができない感覚がありました。

——作品に流れる死のモチーフには、3.11も関係していますか?

手つかずのものが福島にあり、完全に除去することも撤去することも修復することもできないという状況によって、この世界が終わりに向かっていることが可視化されたという感覚はあります。それは、この作品にだけではなくて、僕自身に影響しています。ただ、これは僕個人の固有の感覚ではなく、多くの人に共通しているのではないでしょうか。

僕個人は3.11の時に日本にいなかったので、実際の揺れを経験していません。知人が死んだということもなかった。だから当事者のように悲しむことは出来ない。知らない人が死んで悲しいっていうのには、ちょっと違和感があります。抽象的な死なんてないから。死というのは取って替わることはできないんです。従って、自分も自分の周りも死んでいないのに、自分のことのように悲しむというのは、僕からすると奇妙です。死というのは、代替不可能なことが一番の悲しみなので。

——本作はもともと、2012年12月に山口情報センター(YCAM)で発表されたものですが、YCAMと違い、東京公演の場所となるオーチャードホールも、パリ公演のシャトレ座も、非常に大きなホールです。

まずは東京公演に向けて、大きく作り直します。映像は1万ルーメン以上の高性能プロジェクターを7台使って巨大スクリーンに映し、スクリーンも巨大になるので圧倒的な迫力になるかと思います。また、客席の至るところに黒い触覚を持った昆虫みたいなスピーカーを数十台も設置して10.2サラウンドを作るので、砂嵐に巻き込まれたような音の充満や拡散が体験できるはずです。

実験的なもの・カッティングエッジなものって、狭いところでやられることが多い。内容以前に、狭い場所で大きな音が鳴って音圧がすごいものが、ある種の定型になっていますよね。でも、オーチャードホールのように広くて天井も高い場所で、建物全体が揺れたり、情報が溢れ出すようなものを作ることができたら、すごく面白いと思うんです。

——通常、オーチャードホールやシャトレ座で上演されるような、クラシカルなオペラやコンサートとは、だいぶ趣きが異なりそうですね。

僕は幸か不幸か、昔の音楽もけっこう知っているし、ヨーロッパに行った時は、オペラやコンサートに毎晩のように行っています。だからそれらを非常にフラットに見ることができる。

そこで一つ感じるのは、オーケストラや生の声は、現代社会においては音量が小さ過ぎるということです。人の意識を全部飛ばすような表現のためには、音の質はもちろんですが、“量の力”、つまり音量は重要なんです。昔は街も静かだったから、オーケストラのユニゾンでも十分にドキッとしたかもしれないけど、今は世界は喧噪に溢れている。だったらPAを使って音量を増やせばいいのではないか、というのが僕の今回の提案です。

それに、歴史的に見て、オペラというのは、その時代その時代の音楽を総合してきましたよね。だから、今の芸術としてオペラを新たに作るなら、電子音やビートがないのもありえない。とはいえ、機械的なビートが劇場と合わずに鳴り響く、薄ら寒い感じは避けたかったし、全てがランダムで印象に残るメロディやリズムもない現代音楽みたいになるのも嫌だった。つまり、ビートが、必然を伴ってオペラにならないとうまくいかないんです。それが山口でできたことで、いけると確信しました。奇跡みたいなものだと思います。

——「幸か不幸か」という言葉に、クラシックに対する両義的な思いも感じられるようで、興味深いです。

知っていれば忘れることはできるけど、知らないとそれはできないですからね。忘れるというのは、作る時に重要なプロセスです。僕はクラシックもポップスも実験音楽も知っているから、いいところを組み合わせればいいという、すごくシンプルな態度なんです。

山口での公演の時も、音や情報が多いし、物語にも解釈の幅があるから、観ているうちに脳がやられちゃうというか、ハックされるような感覚をおぼえた観客は多かったみたい。こちらが思っていないようなことも含めて、みんなそれぞれに「あの場面は、本当はああでしょ」という感じで語り出したのはすごくエキサイティングでした。

——観客の中に物語が増殖していくというわけですね。増殖して無数に生み出される初音ミクという、作品の根底に流れるテーマともつながるのではないでしょうか。 

そうですね。情報にやられて、色々なストーリーを語り出すというのは、極めて現代的な反応。答えは一つではないし、終わりも一つではない。それは作品自体のポジティブな可能性を示していると思います。作り手の意図以上に、人は多様に作品に反応するもので、東京公演ではその幅が広がりそうで、今から楽しみにしています。

* * *

現代を表象し、現代の観客からのレスポンスを得て、作家がまたそれを創作へと活かしていく——。そんな現在進行形の異色オペラの行方が気になる。

【プロフィール】

渋谷慶一郎

1973年、東京生まれ。02年に音楽レーベルATAKを設立、国内外の先鋭的な電子音響作品をCDリリース。代表作に『ATAK000+』『ATAK010 filmachine phonics』など。2009年、初のピアノソロ・アルバム『ATAK015 for maria』をリリース。2010年には『アワーミュージック 相対性理論+渋谷慶一郎』を発表。TBSドラマ『Spec』、映画「死なない子供 荒川修作」、2012年公開の「セイジ 陸の魚」「はじまりの記憶 杉本博司」など映画やテレビの音楽も手がける。国内外でマルチチャンネルによるサウンドインスタレーションを発表し、コンサートも行うなど、多彩な活動を展開している。http://atak.jp

【公演情報】

ボーカロイド・オペラ『THE END』

5月23日(木)〜24日(金) Bunkamuraオーチャードホール

http://theend-official.com/

 

【NLオリジナル】