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世界「報道の自由度」日本が22位→53位に急落のワケ(大貫 康雄)

5月3日は「世界報道の自由の日(world press freedom day)」とユネスコ総会で定め、加盟国に報道の自由を促進し、言論の自由の保障を義務付けているが、現状は理想にほど遠い状況だ。

毎年、この日に合わせて『UNESCO(ユネスコ・国連教育科学文化機関)』が「報道の自由賞」の授賞式を行い、また国際NGO『RFS(Reporters Sans Frontieres・国境なき記者団)』が世界179カ国の「報道の自由度」一覧を発表している。

今年も北部ヨーロッパ諸国が「報道の自由度」で最も高い評価を受けている。RFSはわかりやすいように今年から国別に地図で色分けしてもいる。1位のフィンランドから20位のカナダまでは白。日本は黄色に色分けされたが、1年前の22位から31位下げ53位に急落。(閉鎖的な)記者クラブ制度が依然改革されていないなど、名指しで警告されている。

(1)「世界報道の自由の日」は冷戦終結直後の1991年5月3日、独立まもないアフリカ南西部の国・ナミビアの首都ウィントフク(Windhoek)で開かれたユネスコのセミナーで、アフリカのジャーナリストたちが提唱した「報道の自由ウィントフク宣言(Windhoek Declaration)」による。

80年代までアフリカ諸国では民主主義にはほど遠く、人権軽視、強権政治、腐敗、言論弾圧などが続き、多くのジャーナリストが犠牲になった。こうした過去の歴史を繰り返すまいという言論人の決意の表明だった(RFSの報道の自由度評価一覧で今年、ナミビアは19位、アフリカ諸国で唯一、北部ヨーロッパ諸国と共に報道の自由が最も保障された国に挙げられている)。

報道の自由は、世界人権宣言の第19でも保障されている権利であり、このウィントフク宣言がそのままユネスコ総会での採決で「世界報道の自由」宣言となる。

今年のユネスコの『報道の自由賞(UNESCO Guillermo Cano World Press Freedom Prize)』の授賞式は、コスタリカ政府が5月3日、ユネスコ関係者を招いて行われ、エチオピアで投獄されている女性ジャーナリスト、レーヨット・アレム(Reeyot Alemuさんに与えられた。

アレムさんは高校で英語を教えながら週刊紙を出版し、貧困の問題、その原因、政府の腐敗、不正、女性差別などの政治問題、社会問題に鋭い筆を奮い、政府に“テロリスト”として逮捕、投獄された。

政府から反政府的言論をやめるよう圧力を受けるが拒否。刑務所は衛生状態が極端に悪く、アレムさんは体調を崩し入院。手術を施されるが翌日、回復しないうちに刑務所に戻されているという(RFSの報道の自由度評価一覧で、コスタリカは18 。北部ヨーロッパ諸国と並び報道の自由が良く保障されている国に名を連ねている。コスタリカの憲法は“日本国憲法に範を取った”として、武力での紛争解決を否定している。サンチェス元大統領は中米諸国間の和平を仲介しノーベル平和賞受賞者)。

(2)インターネットで発表されているので、ホームページを開けばわることだが、RFSの今年の「報道の自由度」評価一覧では、北部・中部ヨーロッパ諸国を主に20カ国が白く色分けされ、報道の自由が最も保障されている国々となっている。

一方で、真っ黒に塗られ、報道の自由がまったく無視されている最悪の国とされているのはトルクメニスタン、北朝鮮、エリトリア、シリア、ソマリア、イラン、中国、ベトナム、キューバ、スーダン、イエメンなど、やはり昨年と同じ国が多い。こうした国々では報道の自由だけでなく民主主義、人権がほとんど顧みられない現状が続いていることを示している。

ちなみにイギリスは29位、アメリカは32位、報道の自由を標榜する国にしてはRFSの評価は決して高くないようだ。

またRFSが発足し、本部(パリ)があり、政府もRFSに寄付をしているフランスも37位だ。フランスはいわゆる先進民主主義国の中では名にし負う中央官僚国家、寄付したからと言って「報道の自由」の評価は別というところがRFSの姿勢を示している。

アジア・太平洋地域では、ニュージーランドが最も報道の自由が保障されている国のひとつとして8位、オーストラリアが26 位、パプア・ニューギニアが41 位、台湾が47 位、韓国50 位などとなっている。

民主主義(の質、水準)が以前に比べて悪化している国としてイタリア、ハンガリー、ギリシャ、アルゼンチンと共に日本が名指しで警告対象になった。

昨年の70位から14位下落し84 位になったギリシャ。この国のメディアは財政危機の大きな一因となっている富裕層の脱税や腐敗を追及せず、IMFのラガルド専務理事から税金を払わない富裕層名簿を受け取ったジャーナリストが事実を公表した途端、拘束されたり、真相に迫る質問をした国営放送のアナウンサーが更迭されるなどしたのは周知のことだ。

RFSは現在ギリシャのジャーナリストが極左・極右双方、それに警察から暴力的攻撃を受けており、民主主義にゆゆしき事態であることを指摘している。

40位から16位落とし、56位になったハンガリーは、報道の自由を制限する法律を定めてEUと摩擦を引き起こしている。

RFSはまた、昨年の22位から53位に降下した日本について(政府・公的機関の)透明性の欠如福島第一原子力発電所事故と放射能災害に関する情報公開を尊重する態度はほとんどゼロに等しいと手厳しい批判をしている。さらに問題点として、最後に原子力産業報道で“検閲”(誰によるのかは言及せず)が行われていること、(閉鎖的な)記者クラブ制度が依然として改革されていないことなどを挙げ、以前は良い評価を受けていた国の急降下は警告すべき現象だとしている。

(3)「自由」は20世紀に入って一歩ずつ現実的に推し進められてきた。個人的に特筆したいのはユネスコの今年の「報道の自由賞」を与えられたレーヨット・アレムさんが焦点を当てている貧困と報道の自由の関連だ。

アレムさんの執筆活動は1941年8月、イギリス首相のチャーチルがアメリカ参戦を求めて大統領F・D・ローズヴェルトとニューファウンドランド沖の戦艦上で会談した時を思い起こさせる。ナチスやファシズム、全体主義の台頭で「報道の自由」が意識されていた時代だ。

この時、両首脳は「大西洋憲章」を共同声明として発表した。ここでローズヴェルトは“政治的自由は経済的自由を伴わなければならない”、経済上拘束されないことが必要だとチャーチルに念を押している。つまり経済的自由(貧困からの自由)が伴わない限り、政治的自由(自分の意見をはっきり言う権利)も制限されてしまうという発想だ。確かに、自分の意志で自由に活動するにはある程度の資金も時間的余裕も必要なことは誰にでもわかる。

しかし、現在の世界はローズヴェルトの国・アメリカ自身が彼の理想から逆に遠ざかっている。富裕層優遇税制の一方、生活保護の削減、年金条件制限、非正規雇用、長時間労働などなど貧富の格差を拡大して、我々日本人もアメリカの後追いをしているが、アレムさんの貧困の根源に迫る報道を追究していた話を聞くと、自由の意味を改めて考え直さざるを得ない。

(※編集部:この記事の見出しに「世界『報道の自由度』日本が31位→53位に急落のワケ」とありましたが、正しくは「日本22位→53位」でした。また、「14位から84位に急落したギリシャ」は「70位から14位以下落し84位になったギリシャ」、「16位から56位に落下したハンガリー」は「40位から16位落とし56位となったハンガリー」でした。訂正し、お詫びいたします)

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