アフリカ最後の植民地!? 〝西サハラ〟の外務大臣が「アフリカ開発会議」直前に訪日した理由とは?(大貫康雄)
6月1日から3日間、神奈川県・横浜で『TICAD V(第5回アフリカ開発会議/Tokyo International Conference on African Development)』が開かれる。この開催を前にアフリカから“ひとつの国”サハラ・アラブ民主共和国、通称「西サハラ(Western Sahara)」の大臣が日本を訪れ、政界や大学を回り帰っていった。
西サハラといっても実効支配地域は人の住めない砂漠。人が住める大西洋岸側の大半はモロッコ占領下で、国民の多くは占領地とサハラ砂漠の難民キャンプに分かれて住む。つまり「西サハラ」は難民政府ではあるが、列記としたAU(アフリカ連合)加盟国である。
しかし、第5回アフリカ開発会議への出席希望を日本政府に袖にされたまま帰国した。アフリカ最後の植民地といわれる「西サハラ」。今回は人々の民族自決権を求める険しい道のりについて紹介する。
(1)「西サハラ」はアフリカ大陸最西端、北はモロッコ、南と東はモーリタニア、東北部の一部でアルジェリアと国境を接している。広さは日本の60%余り。大半が砂漠で海岸沿いに人々が住む。
1973年、西サハラの住民はスペインからの独立を目指し「ポリサリオ戦線」を結成。74年、国際司法裁判所は住民投票実施の必要性を認める。
これに対し、75年フランコ独裁体制末期のスペインは、住民の知らない間にモロッコ、モーリタニアと秘密協定を結んで撤退。そして、北からモロッコ、南からモーリタニア軍が侵攻(この時モロッコは国民を動員して侵入、いわゆる「緑の行進」をさせる)。
両面から攻められた人々は、アルジェリアの砂漠に逃げ込み、難民となりながらも独立闘争を継続。79年、モーリタニア軍が撤退しモロッコ軍が全土を侵略し占領下におく。
87年、モロッコは南から東にかけて「砂の壁」を築き、両側に地雷を設置。西サハラの大半を実効支配していく。
その後も西サハラの人々は闘い続け、91年、国連の斡旋でモロッコとポリサリオ戦線との停戦が実現。帰属を決める住民の直接選挙の実施を約束(当時のアメリカ・エドワード上院議員らの働きで、アメリカ上下両院が国連による選挙を支持)した。
しかし、住民投票で負けることが明白なモロッコは合意を無視。97年、西サハラの石油ガス鉱区を一方的に開放し、外国企業と開発契約を締結。
これに対しアメリカのジェイムズ・ベーカー元国務長官が国連特使となり、住民選挙の実現を目指す。ベーカー特使が実に精力的な働きかけを行ったのは私自身良く記憶している。
2007年、国連の斡旋で両者の直接交渉が実現したが、モロッコの一方的な対応は変わらず事態はまったく進展していない。
難民政府は、アルジェリア国境の最南西の砂漠に作られ、以来37年間、十数万人が暮らしている(アルジェリア政府は難民キャンプに相当の支援を続けている)。
(2)この間、西サハラは今のAU(アフリカ連合)に加盟を認められる一方、モロッコはAUを脱退。現在、AU加盟国は54カ国で、モロッコはアフリカでも数少ないAU非加盟国となった。
第5回アフリカ開発会議は、日本政府とAUとの共催の形を取り、クーデターなどで資格が一時停止した国を除きAU加盟国を招待している。しかし、今回も西サハラは招待されていない。日本が国家承認していないためというのがその理由だ。
今回来日したのはムロウド・サイド(Mouloud Said)アジア担当外務大臣(63歳)で、4月22日(月)に来日し、連日動き回り、与野党の政治家、鳩山由紀夫元総理ら政界、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などの国連機関、それに東京や京都の大学で講演するなどして、27日(土)に帰国した。
(3)ムロウド・サイド大臣に西サハラと難民キャンプの最新事情を聞いたところ、「何もない厳しい砂漠での仮設住宅暮らしで、一番心を砕いているのが子どもたちの教育だ」という。
大臣は1950年スペイン占領下に生まれ、モロッコ侵攻後、両親とともに難民キャンプに逃れる。旧宗主国のスペインで高等教育を受け、76年以来、外交官として西サハラ難民政府のAU大使、ニューヨークの国連大使、ワシントン駐在代表を歴任後、2010年から現職となった。
旧宗主国のスペインからはNGO団体が支援に来ているが、フランスはモロッコとの関係を重視して、西サハラ占領や住民への人権侵害にも冷たい反応をしている。フランスはEUの主要国なので、EUの西サハラへの取り組みもおよび腰だ。
ムロウド・サイド大臣は「フランスは基本的にアフリカ人を見下している。人権云々と言うが二重基準の政策を平然と行っている。
アメリカのベーカー元国務長官は、国連特使として7年間良くやってくれたが、今のアメリカはサハラ地域のイスラム過激派対策のためモロッコ軍とアメリカ・アフリカ軍との協力関係を進めていることもあって腰が重い」などと言う(スペイン国営放送のTVEは、最近「アメリカが西サハラの住民投票を推進するならば、モロッコはアメリカ軍とモロッコ軍との共同演習を拒否する構えだ」と報じている)。
いわゆる先進国が西サハラを承認せず、アフリカ諸国や中南米諸国が西サハラを承認し支持している(モーリタニアは西サハラを承認。両国の人たちは同じ言葉を使う)。
モロッコから西サハラ沖の太平洋は、タコなどの優良な漁場だ(日本関係の漁船も入っている)。
「アルジェリアの支援は大変ありがたい」と大臣は話していた(大臣が効率的に活動できるために今回、アルジェリア大使は公用車を提供していた)。
ヨーロッパ各国からは、いくつものNGOが来て支援活動をしているが、モロッコが占領地には入国させないため、アルジェから難民キャンプ近くまで空路が開設されているのだ。
大臣は、最も力を入れているのが子どもの教育だと言い、次のように語った。
「毎年夏に8歳から13歳までの子どもたち1万1000人から1万4000人を、ヨーロッパ各国やアメリカの家庭にホームスティさせる活動が広がっている。アメリカのロバート・ケネディ元司法長官の娘、ケリー・ケネディ財団やヨーロッパのNGOが取り組んでくれている。
難民キャンプの仮設暮らしで、知らされるのは戦闘やモロッコによる人権侵害、拷問などの話しばかり。こんな状況下では子どもは普通の感性豊かな人間に育つことができない。ヨーロッパやアメリカの一般家庭にホームスティして、世界の国々での人々の暮らしを体験し、その国の子どもたちと交流するのが、西サハラの子どもたちにとって何よりも貴重で有益な体験になっている。後にホームスティの家庭を訪ね、社会人になった自分を報告する者も多い」
(4)「難民キャンプ(仮設住宅)の生活は実際厳しく、決して楽ではない」と現地を訪ねた中東問題ジャーナリストの平田伊都子さんは言う。
「何といっても砂漠の真ん中で水の確保が大変。地下水をくみ上げても塩分がひどい。最近、スペインのNGOが塩分除去装置を持ってきたが、やはり水は少なく貴重で、わずかな量の水で顔や体を洗っているのが実情だ。
国連機関や各国政府、NGOから送られる生活必需品などの支援物資は西サハラ赤新月社(イスラム圏での赤十字社に相当)が管理し、女性が主体となって各家庭に配給している。
ソーラーパネルで発電できるようになり、パソコンや携帯電話も使えるが、テレビは放送時間もわずかで情報は不足気味。それでも学校や公民館、みんなの憩いの場があり、精神面の健康維持に不可欠となっている」
『TICAD(アフリカ開発会議)』は1993年から日本が主体的に開催しており、NGOの関心や活動も増えてはいる。
モロッコは人権を平然と無視する政策。各国政府の関心の低さがモロッコの人権侵害の政策を増長させている。日本の政界や政府の西サハラの人たちの人権や民族自決権には残念ながら未だ関心が薄い。何しろ、アフリカ開発会議にオブザーバーとしての資格さえ認めない。日本は自主外交を充実させられなかった。少数民族の自決権には、我々日本のメディアの関心も低いと言わざるを得ない。
【西サハラ・ムロウド大臣出演番組の予定】
ムロウド・サイド大臣のインタビューは、4月30日(火)午後6時から『ニコニコNOBORDER』の『大貫康雄の伝える世界』で(http://ch.nicovideo.jp/uesugi)で放送予定。ぜひ、ご覧ください。
Photo: Michele Benericetti at http://flickr.com/photos/61371753@N05/5638307029