ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

インタビュー:オペラ演出家、ペーター・コンヴィチュニー「オペラから世界を変える」(高橋 彩子)

オペラと聞いて、どんなものを想像するだろうか。歌で世界を征服する太ったディーバ? セレブの観客が空々しい会話を繰り広げる社交場?? 国際的なオペラ演出家ペーター・コンヴィチュニーは、世界中のオペラハウスで30年以上、こうしたイメージに立ち向かい続けている。どんな作品を扱おうとも、常に「今・ここ」を強く感じることができるのが、その演出の特徴だ。彼自身が語ってくれた言葉から、刺激的なコンヴィチュニー・ワールドに迫ってみよう。 ペーター・コンヴィチュニー

社会的なメッセージを発するオペラ

「オペラはもともと貴族など上流階級の楽しみとして生まれたもの。オペラにアクセスするには、作り手側も観客側も相当なお金がかかりますよね。だから、愛好家は、社会のうちの0.000何パーセントに過ぎません。このような状況下、オペラは“無意味”になる危険性が高いでしょう。無意味なオペラとは、美しい衣裳・装置や美しい音楽以上に何もなく、社会のエリートだけを楽しませるようなもの。そうした上演だけでは、オペラは頽廃し、他のメディアに負けて、消えてしまいます」 と、コンヴィチュニーは、穏やかな表情ながらきっぱりと言い放つ。この見地から彼が提案するのは、“意味のある”オペラだ。 「私にとって、あるべきオペラ演出とは、作品そのものに隠されたメッセージを読み取り、意味を抽出して提示すること。照明も衣裳も美術もすべて、メッセージを際立たせることに寄与します。もちろん、そのためには、綺麗だったり奇抜だったりするだけでなく、きちんとメッセージを伝えられる演出家が必要不可欠。私はそうした演出の実現に最大限の努力を払っています。そのようなオペラにこそ未来があり、社会に貢献できるのです。観客が、作品について、事前に勉強する必要はありません。もちろん、ある程度の知識・教養はあったほうがいいけれど、何よりも私が尊重したいのは、“心の目”。頭を使いたいとか、何かを受け止めたいとか、そういう志をもった観客ならば、必ずやメッセージに気づくことができるでしょう」 限られた人の楽しみではなく、広く社会のための存在としてオペラをとらえる……。これは主に、ベルトルト・ブレヒト——演劇のもたらす社会的機能に着目し、作品の中で常に弱者と強者の社会的メカニズムを考察してきた舞台人——から学んだことだろう。ブレヒトが設立したベルリナー・アンサンブルで20〜30代の約8年間を過ごした“孫弟子”コンヴィチュニーもまた、作品に潜む弱者や虐げられた人間を、救い上げようと試みる。 彼を定期的に演出に招く東京二期会が2011年に上演した『サロメ』(原作:オスカー・ワイルド、作曲:リヒャルト・シュトラウス)では、男を惑わせる“ファム・ファタル(運命の女)”の烙印を押されてきたサロメに、新たな姿が与えられていた。義理の父に所望されて七つのヴェールを順番に脱ぐ妖艶な踊りを披露し、褒美に預言者ヨカナーンの首をもらって口づけする悪女は、そこにはいなかった。いたのは、力強く生を希求して現状を打破し、未来の扉を開く少女だ。 「15歳の少女のストリップティーズを観客に見せて喜ばせるなどという既存の演出は、私に言わせればポルノ同然。無意味なものです。そこに芸術的なメッセージはないでしょう? ヴァルター・ベンヤミンが『歴史哲学テーゼ』(別名『歴史の概念について』)の中で述べている通り、歴史とは勝者のもの。真に人間を理解するためには、弱者や敗者からの視点が大切なのです。 私はすべての演出を、この態度で行っています。そこから、『サロメ』の演出プランも自ずと生まれました。あの作品に描かれるローマ人もユダヤ人もみな空虚で、快楽ばかりを追究している。預言者ヨカナーンもまた、他の人と同じように自分の世界にがんじがらめにされています。彼の場合、縛られているのは宗教の世界。その宗教は女性を忌み嫌っています。これらの人々とは違って目の前の世界に固執していないのが、サロメ。15歳にしてあらゆることを体験している彼女が唯一、まだ経験していないのは、本当の恋であり、彼女にそれを知らしめたのは、ヨカナーンの存在でした」 オスカー・ワイルドの原作では、ヨカナーンはサロメになびかず、サロメはヨカナーンの首を切らせるしかない。オペラではラスト、サロメがヨカナーンの首に長々と語りかける。ところが、コンヴィチュニー演出においては、それまで舞台上の世界の全てだと思われていた閉塞的な装置が、舞台奥へと下がっていき、サロメとヨカナーンは装置の外に飛び出す。サロメの独唱は楽譜通りだが、その横には生きたヨカナーンがいるのだ。 「厚紙でできた首の小道具に話しかけるなんて、ばかばかしいではありませんか(笑)。人間に語らなければ、意味がない。私はあの場面で、2000年もの間、宗教や社会制度によって踏みにじられてきた男女の愛を、一人の男と一人の女が解き明かすようにしたのです」 原作や、従来のオペラ上演を知る者なら、誰もが驚く演出だ。コンヴィチュニーは、ト書きそのままに上演することよりも、オペラが作られた当時のセンセーションの鮮度や、音楽に秘められた本質を今に伝えることに、重きを置く。彼の演出は刺激的・独創的だが、ただのこけ脅しではなく、高名な指揮者の父と歌手の母をもち、音楽と演劇を学んだ彼ならではの思索の賜物である点も、強調しておきたい。 東京二期会オペラ劇場『サロメ』/撮影:三枝近志

 男女のあり方を提案する『マクベス』

この5月に東京二期会オペラ劇場が上演する『マクベス』(原作:ウィリアム・シェイクスピア、作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ)にも、コンヴィチュニーの哲学は行き渡っている。シェイクスピアの四大悲劇の一つとして知られ、黒澤明の『蜘蛛巣城』として映画化もされた本作では、主人公マクベスが魔女たちの予言に導かれ、妻と共に主君を殺し、やがて破滅するまでが描かれる。このドラマをコンヴィチュニーは、魔女たちのドラマとして捉え直した。 「人類の長い歴史の中で、女性は男性の支配下に置かれていました。魔女として虐待されたり火あぶりに処せられたりした女性達もその一員です。私の演出では、そんな魔女たちが男性に報復するのです」 虐げられた魔女たちの復讐劇と聞くと、なんだか恨みがましいウェットな世界を想像しそうだが、見学した二期会の稽古場では、つけ鼻にポップな装いの女性達が登場し、舞台の至るところで、実に生き生きと活躍していた。 「カール・マルクスは『歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として』と述べていますね。エウリピデスら悲劇作者の後に、アリストパネスなどの喜劇作家が出て来たのは、喜劇は悲劇を超える第一歩だから。悲劇の後には笑いが必要なのです。これは、私ではなく、マルクスの意見ですよ! そして喜劇性は、どんな悲劇の中にも存在します。 今回、魔女たちがマクベスに『もっとやれ』とけしかける辺りなどは、シェイクスピアの原作とは少し違いますけれども、ヴェルディの音楽そのものに、そうした要素があるのです。魔女たちの音楽は、クラブで踊った帰り道のようにうきうきとした愉快なもの。オペラでは演出家も音楽をよく聴くべきだというのが私の考えですが、このプロダクションでも、音楽と向き合う中で、多くの発見がありました」 この舞台の全貌については、二期会公演を楽しみに待ちたいところだが、魔女と関連する話として、マクベス夫人についてだけ、少し聞いてみた。彼女もまた、ある意味で抑圧された女性だが、魔女とはどのような関係になるのか?と。 「マクベス夫人も本当は魔女です。ただ、マクベスとの結婚という間違いを犯しました。つまり、男性社会と結びつき、そこから離れることができません。彼女は権力欲を満たし、その社会のトップに立つ。このことによって男性社会の価値観に隷属し、犠牲となるのです。一方、魔女たちにはそうした欲がありません。男性との関係にとらわれることなく、自由に生を謳歌しているのです」 コンヴィチュニーはそんな魔女たちを通して、男女の新しい在り方を提案するのだという。 「初期のウーマンリブでは、女性が“男性に比べて自分がどうか”を常に意識し、男性と対立関係に陥りがちでしたよね。しかし、私の『マクベス』の魔女たちは、もっと新しいウーマンリブのかたちを示しているのです。先程申し上げた通り、偏見なく、心の目で観ていただければ、そのことはお分かりいただけるでしょう。でなければ、私は演出家失格です(笑)」 テロ、戦争、経済危機、貧困……と暗雲が立ち込め、不安や逼迫感に苛まれている現代社会。それらを救う力が、オペラにはあると、コンヴィチュニーは主張する。 「私にとって、悲劇とは、ドラマの中で男達が殺されることではありません。最も悲惨なのは、社会がありのままでとどまること。社会は、変わらなければならないのです。『マクベス』では殺害シーンのあと、魔女たちが掃除機で辺りを片付けますが、その掃除機は吸い込むのではなく、吹き出す仕組みになっており、紙吹雪を舞わせます。これは、古い制度を越えて先へ進んだ喜びの表れです」 そう。彼は「オペラ界の革命児」などといった手垢のついた形容にとどまらる存在ではない。オペラによって新たな世界を示し、社会を変えようと志向する「革命家」なのだ。今回上演される『マクベス』は1999年にグラーツ歌劇場で世界初演され、2011年にライプツィヒ歌劇場で上演されたものだが、同じプロダクションでも、異なる地での上演に際しては細部から作り直す彼の“東京版”には、3.11への言及もあるとか。彼がオペラを通して提示する、現代社会のあり方を、しかと見届けたい。 ライプツィヒ歌劇場『マクベス』/ ⒸAndreas Birkigt 東京二期会オペラ劇場 『皇帝ティトの慈悲』/撮影:三枝近志   東京二期会オペラ劇場『エフゲニー・オネーギン』/撮影:三枝近志 【プロフィール】 ペーター・コンヴィチュニー 1945年、フランクフルトに生まれる。父は著名な指揮者フランツ・コンヴィチュニー。旧東ベルリンで、オペラを含め演出全般を学ぶ。ベルリナー・アンサンブルを経て、1980年以降、壁崩壊前の旧東ドイツを中心に、旧西ドイツでもオペラ演出を手がけ、現在はヨーロッパの歌劇場から先鋭な舞台を発信している。日本では、バイエルン国立歌劇場『トリスタンとイゾルデ』、シュトゥットガルト歌劇場『魔笛』、 ドレスデン国立歌劇場 『タンホイザー』、『アイーダ』、東京二期会『皇帝ティトの慈悲』『エフゲニー・オネーギン』『サロメ』の演出でセンセーションを巻き起こした。 【公演情報】 東京二期会オペラ劇場『マクベス』 5月1日(水)~4日(土・祝) 東京文化会館 http://www.nikikai.net/lineup/macbeth2013/index.html   【NLオリジナル】