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フクシマの声/「富岡町レポート」(久保田 彩乃)

VOICE Of FUKUSHIMA~福島に生きる人たちの声~【第4回】

区域再編が行なわれた富岡町

福島県の東端に位置し、太平洋に面する双葉郡・富岡町は、人口約1万6000人の町だ。町内には標高593mの大倉山(おおくらさん)があり、それに連なる山々に囲まれているため、海の幸山の幸ともに豊富である。

冬の寒さが厳しい東北・福島においても雪がほとんど降らず、気候が温暖なのも特徴だ。ここに一度住んだことのある人は、口々に「住むのにあんなに良い環境を他に知らない」と言っていた。

しかし、2011年3月に起こった東日本大震災と東京電力福島第一原発事故によって、町の様子は一変した。町民は富岡町に住むことができなくなり、除染作業はもとより、ガレキの処理や倒壊した建物の修復など、現在まで、ほぼ何も手つかずのままだ。

そんな中、震災から丸2年が経過してようやく決まったのは、町を放射線量に応じて3つの区域に分けること。こうして2013年4月1日に富岡町の「区域再編」が行われた。

1、「避難指示解除準備区域」(富岡町の人口の9%・約1470人を占める)

2、日中の立ち入りは可能だが、夜間の滞在ができない「居住制限区域」(62%・約9800人を占める)

3、長期にわたり戻ることができない「帰還困難区域」(29%・約4650人を占める)

富岡町の多くの人たちは、自宅に戻れないという現状がいまも続いている。

[caption id="attachment_7994" align="alignnone" width="620"] 空気の止まった町[/caption]

[caption id="attachment_7995" align="alignnone" width="620"] 津波で駅まで押し流された車[/caption]

[caption id="attachment_7991" align="alignnone" width="620"] 津波で流された富岡駅。今は海が見渡せるようになっているが、かつては駅の後ろにも多くの住宅が並んでいた[/caption]

私は4月から富岡町の臨時災害FMに関わる仕事をするようになった。しかし、これまで一度も富岡町を訪れたことがない。そこで、自分がラジオで町民に向かって話をする前に、震災から2年が過ぎた町の現状をこの目で見ておきたいと思い4月11日にこの町を訪れた。

取材には町民の女性が同行し、町の中を案内してくれた。郡山市から高速道路を利用し2時間ほどで到着。山道を抜けながら「ここからが富岡町です」と言われた瞬間は、特に違和感はなかった。

どこにでもありそうな落ち着いた田舎町。その日は晴れていて、春らしい陽気であった。澄み渡った広い空をゆっくりと雲が流れていく。風は少し冷たいが穏やかだ。町のあちこちで桜が見頃を迎え、水仙や菜の花も咲いていた。本来ならば、田植えの準備を始める時期である。

しかし、住宅地に入った途端、印象はガラリと変わる。スーパーマーケットやコンビニエンスストア、人々が集っていた喫茶店、スナック、役場、学校、野球場、テニスコート、お寺……当然だがどこを見ても人がいない。

田んぼは雑草が生い茂り、キジがあちこちで鳴いている。里山からエサを求めて下りてきたのだろうイノシシが悠々と県道を歩いている。よく見ると身ごもった母イノシシだ。以前、家畜として飼われていただろう牛たちは、群れをなして住宅地に生えた草を食べている。

かつて、ここに人がいたことが想像できないくらい静まり返り、町全体がひとつのセットのようだった。人の息づかいが感じられない町というものは、これほどまでに不気味なものなのかと思った。

しかし、人がいなくとも動植物はこれまでと変わらず命のサイクルを回し続けていた。放射線量が高かろうが、ライフラインがなかろうが、自然には関係ない。その環境に適応して生きるだけである。

富岡町内の放射線量は場所に寄ってさまざまだ。低い所で1~2マイクロシーベルト、帰還困難区域など線量の高い所では7~8マイクロシーベルトある。帰還困難区域の前には銀色に光るバリケードが置かれていて、これがあるために立ち入ることができない。

町内に立ち入るのに防護服を貸し出す場所もあるそうだが、ガイドをしてくれた女性は次のように話す。

「防護服を着るかどうかは、今はその人次第になっています。少しの時間だから着なくていいと言う人もいれば、将来何かあったら困るということできっちり着る人もいる」

取材当日、一時帰宅している町民を何人か見かけたが、防護服を着ている人はひとりも見なかった。しかし一方で、町中を警備する人や除染作業をする人たちは防護服を着用している。何とも奇妙な光景だった。家に入ることは制限するのに、防護服を着ることは本人任せなのだ。

東京電力福島第一原発事故以降、福島の被災者はとにかく指針を求めているように思う。「賠償に関する指針」「帰還に向けた指針」「原発廃炉に向けての指針」そして「生活再建に向けた指針」……。

現在は、多くのルールがわかりづらい用語であふれ、伝わり方があやふやなのだ。道しるべのない道を歩いていくことの不安を、東京電力や政府・福島県は少しでも考えてくれているだろうか。

[caption id="attachment_7992" align="alignnone" width="620"] 富岡駅前。地震で崩れた建物。1階は津波で流された。この辺りは特に津波による被害が大きい[/caption]

[caption id="attachment_7993" align="alignnone" width="620"] 津波の被害にあったお店。「町で中華料理と言ったらここだった」と町民は話す[/caption]

[caption id="attachment_7996" align="alignnone" width="620"] 富岡町から臨む太平洋。「あんなことがあっても、海のそばで育ったから海を見るとやっぱり落ち着く」とガイドの女性は話していた[/caption]

[caption id="attachment_7997" align="alignnone" width="620"] 帰還困難区域近く、車内で計測した放射線量[/caption]

[caption id="attachment_7998" align="alignnone" width="620"] 帰還困難区域の中の家。目の前にバリケードがあり中には入れない[/caption]

[caption id="attachment_7999" align="alignnone" width="620"] 帰還困難区域のであることを示す看板とバリケード[/caption]

[caption id="attachment_8000" align="alignnone" width="620"] 富岡町には「夜ノ森の桜」と呼ばれる、全長2.5kmの大変長い桜並木のトンネルがある。富岡町民はこの桜並木を大変誇りに思い、日本一綺麗な桜の名所だと信じている[/caption]

 

【VOICE OF FUKUSHIMA&NLオリジナル】

※「VOICE OF FUKUSHIMA」のラジオ版は「U3W」(http://u3w.jp)で聴くことができます。