ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

原発警戒区域設定から2年 今も続く「死の街」(今西 憲之)

まいど、いまにしです。

2年前の今日、4月22日、福島第1原発事故で、警戒区域が設定され、20km圏内に立ち入ることができなくなった日。

警戒区域となる、前日の4月21日。ワシも、20km圏内にいた。それまで、まったく人影がなかった、警戒区域。それが、朝から、けっこうな数の車が行き来する。

許可なく立ち入ると、罰金10万円。「警戒区域の自宅に戻るだけで、犯罪者とされてしまうんや。今日中になんとか、帰宅しておきたかった」と出会った浪江町の住民はそう話し、手には、亡くなった、両親の写真を握りしめていた。だが、長く飼っていた、鳥や金魚は息絶えていた。「事故がなければ、死ぬことはなかった」とつらそうに、話していたのを、今も覚えている。

帰り際、浪江町役場の駐車場を見ると、しだれ桜が実にきれいに咲いていた。誰も、楽しんでもらえん、桜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのすぐ脇に、猫が横たわっていた。あらゆるものの命を奪う、原発事故。

今、警戒区域は再編された。だが、町は死んだまま。いつになれば、元通りに蘇るのかと、複雑に思う朝。

【ブログ「商売繁盛で笹もってこい!」より】