フクシマの声/「3aアクション in 郡山・野口時子さん」(久保田 彩乃)
VOICE OF FUKUSHIMA ~福島に生きる人たちの声~【第3回】
「要望書や署名を提出しているのに行政はまったく動いてくれません」
(「3a(安心・安全・アクション)in 郡山」代表・野口時子さん)
「3a(安心・安全・アクション)in 郡山」は、福島県・郡山市で子育てをしているお母さんたちが中心になって設立した団体だ。震災後、福島で生きていくために必要な“安全で安心できる”食べ物を選ぶため、自分たちの手で食品の放射性物質測定を行なってきた。
これまでは、スーパーで売っているものから地元で採れた野菜・魚まで、地元の人が持ち込む食品を測るだけだったが、最近は、西日本の野菜販売会や座談会なども開催している。
『3a in 郡山』代表の野口時子さんは次のように話す。
「座談会のテーマは、子供たちの学校環境に関することが多いですね。例えば2012年4月から屋外活動の3時間ルールが撤廃されたことや、これから夏に向かってはプールの問題など、あとは給食。郡山市は震災後、県内のどの市町村よりも早く地元のお米を使い始めました。また、森まさこ(少子化対策担当・消費者及び食品安全・男女共同参画)大臣からは『地元の農作物を使えば補助金を出す』という話もあります。しかし、子供たちに関することなので妥協できません」
野口さん自身も現在、中学2年生の娘を持つ母親だ。震災直後は、福島県内のどこかしこでも見かけた“マスクをつけた子供”は、今ではほとんど見かけることはなくなった。野口さんの家庭でも、娘さんは「もうマスクはつけない」と言う。だから、子供を放射能被害から守るために、親が一番気をつけなくてはいけないのが“食べ物”なのだ。
そのため「座談会が行なわれるたびに要望書や署名を郡山市に提出しているのですが、行政はまったく動いてくれません。でも、やり続けるしかないんです」という。
私が初めて野口さんに会ったのは2012年1月のことだった。その時は、「娘が4月から中学に上がるので、そのタイミングで県外に避難したいと思っているのだけれど、娘は小学校のお友達と一緒に中学に行きたいと言っているし、どうしようか迷っているんです」と話していた。
それから約1年。郡山に残った野口さん一家は、「今度は高校のタイミングで県外に出ようと思っています。一家でね」と言う。しかし、野口さんは少し表情をくもらせながら、次のように語りはじめた。
「でもね、娘は今の学校生活がとにかく楽しいんだって。困っちゃうよね。去年1年生の夏休みに保養に出したけれど、帰ってきて早々に『もう行かない』と宣言されちゃった。部活をやっているので、『保養に行くと練習ができなくなる。それで選手として選ばれなくなったりするから』って……。だから、これからはクラスや部活ごとの単位で保養を受け入れてくれるところがあればありがたいんだけど。そうすれば、保養に行く行かないで迷うこともなくなるでしょ。そういうことを行政に進めてもらいたいんです」
こうした市民の思いは行政に届いているのだろうか。
『3a in 郡山』に参加している多くのお母さんたちは、 “放射能被害から子どもたちを守るため”“原発事故を風化させないため”に活動している。
「本当は、こんな活動しなくていいのが一番なんですけどね。それに、最近は“震災前の福島に戻そう”という思いが、“震災はなかったことにしよう”という雰囲気になっているような気がするんです。絶対に忘れちゃいけないことなのに……」
原発事故から3年目。野口さんは少し戸惑いながら、そう話した。
[caption id="attachment_7724" align="alignnone" width="620"] 団体の活動の様子[/caption]
[caption id="attachment_7725" align="alignnone" width="620"] 奈良県からの野菜の価格表[/caption]
[caption id="attachment_7726" align="alignnone" width="620"] 保養情報が置かれている[/caption]
※「VOICE OF FUKUSHIMA」のラジオ版は「U3W」(http://u3w.jp)で聴くことができます。
【VOICE OF FUKUSHIMA&NLオリジナル】