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国会事故調が米の「科学の自由と責任賞」受賞(大貫 康雄)

国会事故調・黒川前委員長にAAAS、「科学(者)の自由と(社会的)責任賞」

東京電力福島第一原子力発電所事故に関する国会事故調査委員会の活動が海外で高く評価され、委員長だった政策大学院大学の黒川清教授がAAAS(アメリカ科学振興協会)の「科学(者)の自由と(社会的)責任賞」(AAAS Award for Scientific Freedom and Responsibility)を受賞。これは1月29 日付の拙文でお伝えした。

その受賞式で黒川教授は、原発事故の根本的な原因として、日本人に自由な発想・行動社会に対する責任(感)が欠如していることを指摘している。

黒川教授の受賞挨拶は世界の科学者に向けたものだが、黒川教授が言うように、これは、さまざまな分野で社会を構成している我々自身にも突き付けられていることであり、我々なりに考える縁としたい。

授賞式は2月15日、ボストンで開かれたAAAS総会の場で行われた。黒川教授の授章挨拶は以下の通りである。

※以下、筆者拙訳/( )内は筆者の加筆

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AAASのこの賞を受けるのは大変な栄誉であるが、受賞に値するのは私だけではない。国会事故調査委員会報告のために6ヶ月間余りの間、昼夜を問わず調査活動に尽力された常勤・非常勤からボランティアまで100人以上の専門家の人たちである。これら同僚の皆さんのお陰で去年7月、日英両国語で報告書を公表することができた。

アメリカや各国では憲法の下、議会の委員会がいかなる有力者であっても宣誓して証言をさせるのが当たり前だが、こうした試みは日本では極めて画期的なことなのだ。

我々の調査委員会の使命は、政府からでもなければ省庁からでもなく、立法府、すなわち(国権の最高機関である)国会から直接付託されたもので、既得権勢力の影響力を排除し、調査対象となるいかなる者にも証言を迫る権限を伴うものだった。

これまで多くの事が歌舞伎のように舞台裏で決められてきた日本にとって、これは革命な新機軸といえる。もちろん、歌舞伎は極めて洗練された日本の芸術様式で、それを悪くいうものではない。ただ真相を知るためには余計な衣装や化粧は要らないという意味だ。

危機の頂点にあって、日本の市民は、政府や原子力業界、それに国内メディアによって騙されたと感じた。それだけに人々は真相を、透明で隠すことのない真相を必要とした。

我々はそれゆえ、調査の全工程を透明にし、すべてをインターネットで公開するよう最大限の配慮をした。また日本人自身と全世界が日本への信頼を取り戻せるためにできるだけ英語に訳した。

我々は、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、スペース・シャトル・チャレンジャー爆発事故、それに9月11日同時テロ事件の調査報告など重要な先例を参考にした。これらすべての調査報告には、“(型にはまった)思考”(mindset)とか“(規制する側が規制される側に取り込まれ自由でなくなる)規制機能不全(regulatory capture)”など同じ言葉・表現が記されている。

我々の使命は原子力が安全か否かを決めるのではない。しかし自己満足に陥った型どおりの思考が横行し、規制する側が規制される側と親しくなりすぎるところでは原子力の安全性が損なわれてしまうのだ。

いかなる事故の調査でも極めて重要なのは「一体何が起き、原因は何か?」を突きとめることだ。誰かを責めるより根本にある原因(the root causes)を突き止めることこそ必要なのだ。

我々には“考えることなく条件反射的に従属する性向(reflexive obedience)”、“権威に質問したがらない性向(reluctance to question authority)”、“(決められた)計画に疑うこともなく傾倒する性向(devotion to sticking with the program”、“(皆と同じことをする)集団志向(groupism)”、そして“(視野狭窄に陥る)島国根性(insularity)”がある。同僚たちには、こうした点こそ今回の事故の根本にある原因だと言ってきた。

結局のところ、そうした怠慢、無頓着、愚かさに我々が陥るのを防ぐには我々市民社会の強さ、健全さが最も大事なのだ。そのためには真摯に任務を追及する規制担当者、告発者、調査報道をするジャーナリスト、(権威に拘束されない)独立した科学者、NGO団体、問題を追求する人、機敏な立法者(政治家)たちが必要だ。

そして何と言っても選挙で投票する一般の有権者が必要なのだ。

最後に言わせて頂くならば、1945年の広島、長崎の被曝以来、我々人類は原子の威力を学んできた。しかしながら、原子の力より遥かに永続的で強い力がある。つまり我々人類の愚かさだ。

この我々人類の愚かさに対峙できるものは何か? それは物事を科学的に分析・検証する精神と原則である。すなわち、いつどこであれ、我々人間の愚行や愚かな思考に決然として対決する個々の科学者の勇気である。

AAASの皆さん、今回の賞は、調査委員会の同僚の人たち、私の家族、そして何よりも原発事故のために突然、家族と共に家や日々の生活の放棄を余儀なくされた15万人以上の人たちのために、謹んで頂きたい。

〈以上、黒川教授の受賞あいさつより〉

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「科学(者)の責任」は特に核物理学者に意識されるようになった。良く知られるのは第二次大戦中、アメリカ政府に原爆製造を進め、その原爆が多くの無実の人たちに筆舌につくせぬ惨禍をもたらすのを知った科学者たちだ。

特にラッセル・アインシュタイン宣言を出して反核・平和活動に入って行ったアルベルト・アインシュタインは良く知られる。

科学が社会に良い影響だけでなく悪い影響を与えるのを考えていた日本人は、ノーベル物理学賞受賞者・朝永振一郎博士が良く知られる。

同じノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士は、戦時中、日本の原爆製造計画に関わった人物だ。その湯川博士がその後、政府の原子力推進機関から距離を置き、科学者の立場から平和運動に関わるようになったのはアインシュタインの影響のようだ。

彼がプリンストンに招かれた際、アインシュタインが訪ねてきて、広島・長崎への原爆投下に繋がった原爆製造計画に関わったことを涙を流して謝罪したのに驚いたと博士自身が書いている。

こうした科学者の姿勢は、今こそ科学者だけでなく、黒川教授の受賞挨拶で後段指摘されているように現代社会に生きる我々自身に必要とされるのではないだろか。

【NLオリジナル】