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ワグナー&ヴェルディ生誕200年「極私的ワグナー体験の告白」(玉木 正之)

今年はワーグナー&ヴェルディ生誕200年!「オペラ」に興味を持ってみませんか?!

今年は、ドイツ・オペラの大巨匠リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883)と、イタリア・オペラの大天才ジュゼッペ・ヴェルディ(1813〜1901)というオペラ界の2大巨人の生誕200年。世界各地のオペラ座で、彼らの大功績を称えてさまざまなイベントが計画されている。

そこで……というわけでもないのですが、オペラ大好き人間の小生が、束の間、レスリングや柔道や体罰の話題を忘れて(笑)、オペラの話題をお届けしたい。題して、『極私的ワーグナー体験の告白:私は如何にしてワーグナーの洗脳を解かれたか?』……では、いざ……。

世の中に絶えてワーグナーのなかりせば音楽の心はのどけからまし……人生わずか五十年。長いのか短いのかわからないその年月……。振り返ってみれば、わたしの人生はリヒャルト・ワーグナーとの格闘の連続だった。

最初の出逢いは小学4年。忘れもしない昭和37年夏。毎年夏休みになると宝塚に住む叔父の家にあずけられたわたしは、「そろそろこういう音楽も聴いてみいや」という叔父に促され、床の間に三菱ダイヤトーンスピーカーが二台左右に並んだ和室の真ん中に正座させられた。

叔父は一枚のレコードを取り出し、丁寧にクリーナーで拭いてからマランツの大きな四十センチ・ターンテーブルの上に載せ、グレースのムーヴィングマグネット型カートリッジの着いたアームを操作し、マッキントッシュのアンプのヴォリュームをまわした。

その瞬間、わたしの耳の鼓膜を破るかと思えるほどに鳴り響いたのは、まさしく悪魔の音楽だった。頭の天辺から跳び出たようなソプラノの叫び声を聴き続けるのは、まさに拷問だった。が、それ以上に辛かったのは、もう一枚のレコードだった。これが音楽か? メロディもなければ歌もない。何やら空気が漂ってるだけ。そんな音を聴くだけで、ほかに何もせずに正座しつづけるのは、いまにして思えば児童虐待以外の何物でもなかった。

音大のピアノ科を一番で卒業しながら戦争中にアル中で指が動かなくなり、中学校の数学の教師をしていた叔父は、わたしの横で籐椅子に座り、悦に入って指揮者のように腕を動かし続けた。

「最後まで座って聴いたら西宮球場へ連れてったる」

わたしは、張本対米田の対決やスペンサーの「殺人スライディング」を思い浮かべながら拷問に耐えつづけたのだった。

エーリヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団による『ワルキューレ』第三幕。トスカニーニ指揮NBC交響楽団による『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲と「愛の死」。それらの言葉を記憶したのは二年後の小学六年の夏休み。そのときは、自分から進んで叔父のレコード棚を漁り、グレースやマッキントッシュも操作できるようになっていた。

叔父の洗脳をきっかけに、中学生になったわたしは暴走を開始した。

ベートーヴェンやチャイコフスキーも嫌いではなかった。『ウエストサイド・ストーリー』もビートルズもストーンズも、モンクもコルトレーンもレイ・チャールズも都はるみも悪くないと思った。

しかし、ワーグナーの『ニーベルンクの指環』は13時間半。『トリスタンとイゾルデ』だけでも4時間半なのである。この大芸術をうわまわるものなど世の中に存在しない。京都に暮らしながら、鮎や鱧よりもトンカツのほうが好きだった餓鬼は、そう確信して疑わなくなったのである。

そうして、抜粋ではなく管弦楽曲集でもなく、『さまよえるオランダ人』や『タンホイザー』のような「短いオペラ」でもなく、『ニーベルンクの指環』という「大楽劇=ムジーク・ドラマ」の全曲を、とにかく聴いてみなければならない、というオブセッションに取り憑かれたのだった。

ところが、全曲版のレコードは存在しない。いや、存在していたところで餓鬼に買える値段ではない。さいわい我が家が電器屋だったので、総出力30ワットのアンプを職人さんに手伝ってもらって手作りし、テクニクスの8PW1スピーカー2台を親父にねだり、サンスイのスタンド型テープレコーダーを中古で手に入れたわたしは、NHK-FMのバイロイト祝祭劇場の『ニーベルンクの指環』の放送をエアチェックするようになった。

録音用のオープンリール・テープは、店から盗むことができた。しかし、カール・ベーム指揮の『指環』を全曲録音するには、1本往復2時間録音の7インチ・テープでも、8本は盗まなければならない。それが発覚しないわけがない。親父に雷を落とされ、『指環』全曲への挑戦は、『ジークフリート』第1幕で挫折したのだった。

中学3年になったときには、大事件が起きた。

大阪フェスティバルホールにバイロイト祝祭劇場が引っ越してくるという。『ワルキューレ』は指揮がトーマス・シッパース。ブリュンヒルデがアニヤ・シリア、ヴォータンがテオ・アダム、ジークリンデがヘルガ・デルネシュ、ジークムントがジェス・トーマス。フンディンクは……忘れた。

『トリスタンとイゾルデ』は、指揮がピエール・ブーレーズ、トリスタンがヴォルフガンク・ヴィントガッセン(!)、イゾルデがビルギット・ニルソン(!)、マルケ王がハンス・ホッター(!)、ブランゲーネは……忘れた。クルヴェナールも……記憶にない。

が、そのころから、バドミントンというスポーツでインターハイをめざすと同時に『レコード芸術』の熱烈な愛読者になり、読者投稿まではじめていたわたしは、それがいかにすごいメンバーであるか、よ〜く理解できた。

京都と大阪は近い。が、入場料を知った瞬間、あきらめた。オケがN響なんだからホンマモンのバイロイトやない、と思えばさほど悔しくもなく、NHKが実況中継したテレビ放送を6時間以上、2日にわたって食い入るように見た。そして、聴いた。

親父が晩酌を楽しむ4畳半の居間のテレビではなく、店先のテレビを夜遅くまで見ていると、親父が心配して「何をしてるんや」と居間から店先を覗き込んだ。そして素っ頓狂な声を張りあげた。

「おまえ、売り物のテレビを壊したんやないやろな。画面の色が消えて真っ暗やないか」
「これでええねん。こういう舞台やねん」

しかし、親父は納得がいかず、奥の居間から店先に出てきてチャンネルをまわし、ほかのチャンネルが「色つき」できちんと映っていることに安心したのだった。

「近頃はNHKもケッタイナモンを放送しよるんやな」

そのころ「ワグネリアン」という言葉に、異彩の輝きを感じていた生意気な餓鬼は、親父に向かってヴィーラント・ワーグナーの演出の特徴を話したところでどうにもならん、と思いながらチャンネルを元に戻し、宇宙を示す無限の放物線と、大地を表す有限の楕円の接点に横たわるブリュンヒルデの横で、主神ヴォータンが高々と槍を掲げる姿に陶酔していたのだった。

高校三年になったときには、さらに大きな事件が勃発した。それは、わたしにとっては、大阪万博よりも大きな事件だった。

なんと、『ニーベルンクの指環』の全曲版のレコードが発売されるというのだ。ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。プロデューサーであるジョン・カルーショーの著作が特典として付き、解説書が2冊に、レコードが19枚。プラス、ライトモチーフ集3枚。合計22枚。4万円!

これには、あらゆる意味で、まいった。

まず、高校三年生として、これを手に入れたら受験に支障を来すことは明らかだった。高校2年でバドミントンのインターハイに出場し、3年になる前に種目を変えてハンドボールでの2種目インターハイ連続出場を狙っていたわたしにとって、その練習にプラスして13時間半の大楽劇のレコードを手にすることは、勉強時間の完全喪失を意味した。

おまけに受験勉強をはじめる区切りというか、最後の楽しみとして、春休みに1人で東京へ出かけ、ベルリン・ドイツ・オペラの『ファルスタッフ』を日生劇場で見るという贅沢を味わっていた。往復には新幹線を使わず、各駅停車の鈍行と夜行の寝台列車で節約したが、A席8千円プラス交通費で貯金は吹っ飛んでしまっていた。

バーンスタイン指揮のレコードで大感激していたフィッシャー・ディースカウのファルスタッフの舞台(ロリン・マゼール指揮)をナマで見て、オペラがこんなにおもしろいものかとレコード以上の感激を味わったとはいえ、大楽劇『ニーベルンクの指環』のスケールにはおよぶものでなく、ちょっと「浮気」をしてみただけ、と思っていた当時、「指環全曲版発売」のニュースを知ったわたしは、頭を抱え込んでしまった。

受験に支障を来すとはいえ、我慢ができるわけがない。かといってカネはなく、アルバイトをするわけにもいかず……。そこで思いついたのが、昼飯を抜くことだった。高校3年は学校の食堂を使わなければいけない、などとありもしない御託を並べて母親に弁当を作らせず、毎日昼食代をせしめてそれを貯め込んだ。

しかし、発売の日までに1万円がやっと。そこで意を決して、その1万円を握り締め、京都三条河原町にあった(いまもあるのかな?)「清水屋レコード」へ行き、主人に直談判した。頭金1万円。残りは3千円の10か月払い。ダメだというなら、ここを動かない。売ってくれるまで店先に座る。ハンストや!(昼飯抜きの生活は、本当にハンスト状態だった)

「どうぞ御勝手に。うちは月賦はしてまへんねん」

そこで本当に店先に座り込むこと約1時間。

「ほんまに、もう、しゃあないヤツやなあ。そんなにほしいんか。毎月あんじょう持って来てくれるんやろな」

その言葉に跳んで立ちあがり、「持ってきます!」と答え、人工皮革のケースに22枚のレコードと2冊の解説書の入った重い段ボール箱と、1冊の単行本を抱きしめるようにして持ち帰ったときは、四条大橋の上で涙が出そうになった。それほどうれしかった。

なにが『ファルスタッフ』や。なにがヴェルディや。なにがプッチーニや。オペラはアカン。ムジーク・ドラマこそホンマモンや。なんちゅうても13時間半なんやぞ。LPレコード22枚なんやぞ。『ボエーム』や『トスカ』なんて、たったレコード2枚やないか。『ファルスタッフ』でも3枚しかないやないか。『椿姫』でも3枚や。それに、なんや、あのナヨナヨした音楽は。なんや、あのブンチャカチャッチャは。『ドン・カルロ』が4枚やって? あほいえ。『タンホイザー』でも『ローエングリン』でも4枚あるんや。『トリスタンとイゾルデ』は5枚やぞ。『ニーベルンクの指環』は、その4倍やぞ。ワーグナーは、レベルが違うんや。レベルも次元も違うんや。ニーチェやぞ。無限旋律やぞ。男と女がイチャイチャするのんやないんやぞ……。

と、まあ、そのときの思いをいまになって書けば、こんなふうなものだったに違いない。それだけで涙しそうにもなった青春というものは、まったく恥ずかしい季節というほかない。が、それはさておき……。

ハンドボールのインターハイ出場は予選でボロ負け、勉強も手に着かず、その日から、学校から帰ると対訳と首っ引きで一三時間半に挑み続けた。が、『神々の黄昏』の最後の最後、ここで大感激に浸れる!……と心の準備までしていたところで、愕然とした。

「なんや、これ、バーンスタインの『ウエストサイド・ストーリー』の音楽やないか」

もちろんそれは、バーンスタインのほうが『指環』の「愛の復活のテーマ」をパクッたというべきだろう。が、何やら期待していた感激に水をさされた気がしたのも事実だった。

とはいいながらも、滅び行く神々と英雄の長大な物語に感動し、おまけに13時間半の超大作とはいえ、あまり難解ではないわかりやすいメロディにも感激し、毎日のようにニルソン、ホッター、ヴィントガッセンの歌声に酔い、大阪万博で二期会が上演した『ラインの黄金』にも足を運び、「天地創造」の冒頭から「世界の破滅」と「愛の復活」まで、おおよそ口ずさめるほどにまで何度も何度も『指環』のレコードを聴きつづけた結果……大学受験に失敗。

「わけのわからん音楽ばっかり聴いてたさかいや」

と親父にもいわれ、我が愛器のステレオに封印。一浪して大学に合格し、東京へ出たときは、四畳半の下宿にステレオを運び込むわけにもいかず、二期会の『ワルキューレ』を東京文化会館で楽しんだ程度。半年ほど通っただけで大学を中退し、フリーのスポーツライターになったときには、カネもなく、オペラや楽劇どころではなくなった。

それから10数年後、《『ニーベルンクの指環』全曲日本初演》というニュースを耳にしたのは、結婚もし、子供も2人生まれ、スポーツライターの仕事も忙しくなり、ワーグナーはクナッパーツブッシュの抜粋版を時折楽しむ程度になっていた1987年のことだった。ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演。ゲッツ・フリードルリヒの演出。指揮はヘスス・ロペス・コボス。

とつぜん「青春時代」を懐かしく思い出したわたしは、公演半年前に4夜すべてのチケットを購入。ところが、それがジャイアンツ対ライオンズの日本シリーズとバッティング。おまけにそのシリーズが6戦目までもつれ込み、『指環』のチケットは、よだれを垂らして待ち受けている友人の手に次々と渡ってしまった。

それでも最後の『神々の黄昏』にだけは足を運ぶことができ、マッティ・サルミネンのハーゲンにふるえたのだったが、なぜか、どうも感激が薄かった。演奏が悪いのでも、演出が悪いのでもない。聴きすぎたせいか……とも思ったが、そうでもない。ワグネリアンの皆さんは怒るかもしれないが、な〜んや、この程度の話やったのか、と思ってしまったのだ。

「愛」を断念してラインの黄金から指環をつくったアルベリヒの息子のハーゲン。彼の奸計にはまり、ジークフリートがグートルーネを愛してしまい、怒り狂ったブリュンヒルデが復讐を誓い……。なるほど、これは「神話」である。神話から「テツガク」は引き出せる。

しかし、結婚もし、子供も生まれ、仕事に励み、住宅ローンも組み、そんななかで、ちょいと浮気心も湧き、女房と喧嘩もし、仲直りもし……という生活をしているイッパシの三十代の男が、まあ、たまに「神話」で「テツガク」するのもいいのかもしれないけれど、そこまでの暇もなく……などと思っているところで再会したのが、ヴェルディでありプッチーニであり、イタリア・オペラだった。

すごいですねえ……。すばらしいですねえ……。『椿姫』二幕のジェルモンとヴィオレッタの二重唱。グルベローヴァの舞台とメータの指揮には泣きました。『リゴレット』の父と娘の二重唱も。人生の深い悲哀がしみじみと感じられ、それに較べてワーグナーは、ヴォータンとフリッカの会話の卑近なくせに理屈っぽいこと。「ヴェルディの音楽は『リゴレット』の『女心の歌』だけでも『ニーベルンクの指環』全曲以上の価値がある」と、ストラヴィンスキーがいったことにも頷けます。

最近、名古屋の中日栄文化センターで「オペラ講座」などというものを開講するようになった小生は、その席で、『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」(カラヤン指揮ウィーン・フィル/ジェシー・ノーマン)をビデオ映像で聴いた直後に、続けてプッチーニの『ジャンニ・スキッキ』の「私のお父さん」(ガヴァツェーニ指揮スカラ座/チェチーリア・ガスティア)を聴くという無茶をやった。

「ドイツ式観念論」と「イタリア式人生論」の比較文化論、というほど大袈裟なものではないが、ドイツのジャガイモ料理とイタリアのパスタ料理の違いは明白(まあ、どっちが美味いかは、嗜好の問題といえるのでしょうが……)。

というわけで、青春時代の洗脳を解かれたわたしは、いまもときおりクナッパーツブッシュやショルティの『指環』のCDを聴いたり、バイエルン国立歌劇場やバイロイトの映像を見ながら、スッゲエなあ、『ニーベルンクの指環』はやっぱり『スターウォーズ』よりはずっと素晴らしい神話やなあ・・・と納得しているのであります。

まあ、もう少し年を重ねれば、また違う見方になるのでしょうが……。

(日本ワーグナー協会・編の『年刊ワーグナー・フォーラム2003』+NLオリジナル)