ノーボーダー・ニューズ/記事サムネイル

“強いヨーロッパ”を目指した「独仏条約」から日本が学べることは(大貫 康雄)

ドイツ・フランスの友好条約、いわゆるエリゼ条約は1月22日で締結50年になり、ドイツのメルケル首相が、ベルリンにフランスのオランド大統領を迎え、記念式典が催された。

長年ヨーロッパの平和を脅かす宿敵だった両国が結び、発展させてきたのがこの条約。50年続いた意義については各国のメディアのみならず、日本の新聞・テレビもヨーロッパの平和と統合に条約が果たした意義を報道した。

この条約が意図したものは単なるヨーロッパの平和と統合ではない、もっと確固たる野心的な目標があった。

条約は1963年1月22日、フランスのドゴール大統領と西ドイツのアデナウアー首相が、パリのフランス大統領宮殿・エリゼ宮殿で調印したことからエリゼ条約と言われる(発効は63年7月2日)。

条約はわずか18ページだが両国友好のために将来やるべきことを具体的に列記している。それが現在のヨーロッパを考える上で欠かせない重要な条約となった。

それ以上に、この条約が目指したものは遥かに野心的だった。単に両国和解の礎となっただけでなく、両国がヨーロッパの復権を目指したこと、旧ソ連型の全体主義でも米英型の資本主義でもない、どちらにも囚われない強いヨーロッパ(社会資本主義社会)の建設を具体的な行動を通して目指したことだ。

いわく、

●両国首脳閣僚は毎年定期的に会って意見交換をする。

●防衛と安全保障に関する主要政策の決定は両国間で調整する。

●主要な外交課題は両国がいかなる決定をするにせよ、事前に協議する。

特にEC(EUの前身、ヨーロッパ共同体)やNATO、それに東西ヨーロッパの関係に関しては必ず事前協議をするよう強調している。

加えてドゴール、アデナウアー両首脳は文化交流と次世代対策を重視し、相互の言語の学習や若者の交流促進を誓っている。この政策は現在、93年に設立された独仏青年事務所が担っている。

両国間がいかに緊張しても両国の首脳・閣僚たちが条約に謳われる活動の実行状況を定期的に話し合う。

この対話の義務付け、毎年の定期協議の開催こそドゴールとアデナウアーが後継世代に託した政治的課題だった。

大戦後、両国には互いへの不信感が溢れていた。友好条約成立への道のりは簡単ではなかった。先駆者となったのが仏元首相で48年から52年にかけての外相ロベール・シューマン。

ルクセンブルク生まれのこの政治家は、第一次大戦はドイツ兵、第二次大戦はフランス兵として従軍し、両国間の平和・友好を誰よりも願った一人だった。彼の提唱したヨーロッパの各種共同機関に賛同する声が周辺各国に広がっていく(5月9日の「EUの日」は「シューマンの日」とも呼ばれる。またEU本部前の環状交差道路〈roundabout〉はシューマン環状交差と命名されている)。

そして58年、大統領に就任したドゴールだった。ドゴール、アデナウアーは相互に相手国を訪問する。仏至上主義者と言われるドゴールは62年ドイツを訪れ、特にドイツの若者たちにドイツ語で未来への協力を呼びかけた

ドイツ側は第二次大戦後の西側の盟主アメリカに配慮、連邦議会はアメリカ主導のNATOとの良好な関係維持を条約の序文に入れてドゴールを怒らせている。

最終的に両者を一致させたのは(アメリカ、ソ連とも異なる独自の)強いヨーロッパの建設、ヨーロッパの復権という共通の目標だった。

いかなる条約・協定も長続きは難しいと言われたが、後継の政権にやるべきことを課した両首脳の狙いは正しかった、といえる。

以来、エリゼ条約は旧敵国同士の協力推進だけでなく、両国、及びヨーロッパの和解・統合の基礎となってきた。

冷戦時は東西ヨーロッパの平和推進、そしてEU統合推進への両国首脳の強い関係は日本でも知る人が多いだろう。

●ヘルムート・シュミット(独)=ジスカール・デスタン(仏)

●ヘルムート・コール(独)=フランソワ・ミッテラン(仏)

●ゲルハルト・シュレーダー(独)=ジャック・シラク(仏)

最近では“メルコジ”と揶揄されたメルケル(独)=サルコジ(仏)などの関係を振り返ると良く判る。

今では定期的な首脳・閣僚会議も年に2回開かれ、それも儀礼的でなく、数日協議が続くことがある。

良好な関係を維持・強化するために両国がどんな努力をしてきたか、主な協同政策、協力事業を簡単に振り返ってみよう。

ボーイング社と並ぶ世界の航空機産業エアバス社は両国協力事業だ。

88年には独仏合同旅団を結成。これが後のEU部隊の元となり、現在は紛争地域での平和維持活動などに当たっている。93年発足のEUは両国が一致協力したからこそ実現した。

ルイ14世が奪って以来、領土争いが絶えなかったアルザス・ロレーヌ(エルザス・ロートリンゲン)地域を巡る領土争いにも終止符が打たれた。今この地域では両国の文化が学べ、両国の交流推進の中心地となっている。

アルザスの首都ストラスブール(シュトラズブルク)には、EUのヨーロッパ議会やヨーロッパ人権裁判所などヨーロッパ統合を推進する機関が置かれている。

両国180余りの大学では独仏学生が共通のカリキュラムで学び、単位を修得している。歴史教科書の共同編纂も続いている。もちろん、国境は自由に行き来できる。

何よりも、両国関係がいかに緊張したものになっても歴代指導者たちがポピュリズムに走らず、ナショナリズムを抑える努力を続けてきたことに強い印象を受ける。

リーマン・ショック、統一通貨ユーロ危機などへの対応でしばしば意見が異なる両国、経済格差も開いて独仏関係が新しい段階に入っており、エリゼ条約に謳う協力がこれまで通り推進されないのでは、と懸念する声も出ている。

しかし意見が対立する困難な状況であればこそ、ヨーロッパに対する責任の大きさを自覚し、一致点、落とし所を見出す努力が伴っているのも確かだ。

フランス国営テレビ「フランス2」は、ここ近年ベルリンに住むフランス人にインタビューしながらベルリンに魅かれ住み着くフランス人が急増し2万人になっていると報じている。

そして両国民の90%以上、圧倒的多数が互いに良い印象を持っている。共に相手を、人権を尊重する民主主義国家として協議を重ねる努力の積み重ねがあればこその数字だろう。

両国がヨーロッパ統合の基礎であるエリゼ条約を重視する姿勢は条約50年の幾多の式典を見る限り不動といえる。

【NLオリジナル】